今更ヒーローになれやしない
迷子の面倒
「ママ!」
「…………あ?」
「…ママじゃない…」
白いパーカー、白い帽子に更にフードを被り白い髪をささやかながらカモフラージュ。ブラウンのチノパンにスニーカーとオフスタイル。服の袖を誰かが引っ張った。私を母親だと勘違いしたらしい小さな女の子。うるうると両目に涙が溜まっていく。
「ちょっ、泣くなって」
「ママぁ…どこぉ…うぇ、ううぅ」
ギュッと袖から頑なまでに手を離さず、泣き叫びはしないが愈々泣き出した女の子にガチで焦る。慰められるようなものは何も持っていない。今スマホと財布しか…。そうだ、自販機がそこにあった。
ひぐひぐと泣き始めた女の子。私が歩けば倣うように歩を進める。ひな鳥か?そのまま自販機に誘導しお金を入れた。
「おら、好きなもん、のボタン押しな」
「じらない人がらもらっぢゃいげないっでママが言っでだぁ!」
「教育行き届いてんな」
だったら知らない人の袖掴んで着いていくなとも教えてあげて欲しかった。子どもならオールマイトが喜ぶだろ、とオールマイトのイラストが施されたオレンジジュースを勝手に選んだ。ガコン、と160mlのアルミ缶が落ちた。
「おら、落ちたよ」
「ひっぐ、ひっぐ」
目の前で買われたものならいいのか。この子の考えが分からん。女の子は缶ジュースを取ると、「オールマイトだぁ!」と漸く泣きやんだ。
「手、放しなさい」
君のような綺麗な人間が触れていい人間じゃないんだよ私は。
女の子はびしりと固まり、また両目に涙をためた。
「…うぅ…ママぁ」
「だー!!分かった!分かったから!」
頭撫でたり涙拭ったり、そんなこと私にはできない。
「家に帰れりゃ誰かどうかいるだろ」
「お家どこか分かんない」
「いやいや、何で」
「お家、新しくなって、それで」
ひぐひぐ、でもオレンジジュースのオールマイトを見てふへへとだらしなく頬を緩める女の子。つまり、最近ここに引っ越してきて家までの帰り道が分からないということか。
「ママとどこまで一緒だったの」
「ママ、えこばっく?忘れたから、届けに行こうと思ったの!」
「そのエコバックは?」
「…あ、おうちに忘れた」
「なんなんだよ…」
買い物に出かけた母親がエコバックを忘れていったから届けようと家を出たものの、肝心のエコバックは持ってくるのを忘れた上に家までの帰り道が分からないと。交番に連れていけばいいか。
(…いやいや、私がヴィランだと知ればこの子の過去に傷がつく)
都合良く都合良さげな人間どっかに転がってねぇかな。女の子はジュースを飲もうとプルタブに指をひっかけるが、力が弱くジュースを開けられない。開けられないと諦めた女の子は、飲み口を私に向けるように差し出した。
「開けて!」
「図々しいなおい、さっきの教育どこへ行った」
逡巡したがキラキラと期待の目で見上げられ、「しかたねーなくっそ」と悪態突きながらプルタブを引いた。そう、自分で持たず女の子に持たせたままプルタブだけを引いた。
「あ」
カチッとジュースは開いたが女の子が手を滑らせジュースが傾いた。地面に落ちる前に慌てて掴んだが、中身が零れ出て白いパーカーにオレンジ色の染みを作った。
「……ううぅうぅ」
「怒ってねーから!怒ってねーから泣くなよ!!」
「怒ってる…」
「ほら!うさぎさんみたいだろ!可愛いナー!」
染みの形がまるでうさぎの様になったのでなんとか語気を弱くし、怒っていないアピールをする。女の子は染みを見てまたキャッキャした。
「オールマイト!」
「それはヤダ」
「……ううぅ「そうだね!オールマイトだね!!」」
「ぶふっ」
吹きだす音が聞こえ横を向くと、なんとも都合良く都合良さげな人間が3人もいるじゃないか。吹きだしているのは真ん中にいた、緑谷だった。
「おい、あそこのにーちゃんたち、ヒーローだぞ。きっとママかお家に連れて帰ってくれるぞ」
この子のこと押しつk…任せよう。そう思い緑谷、飯田、轟を指さす。今日は日曜日、彼らは私服。寮生活になった筈だが、外出届を出して外に出ているのか。3人とも近くの本屋の袋を持ってるから、何か本を買ったのだろう。
「ヒーロー?」
女の子は3人の方をきょとんと見る。指さされ視線を向けられた3人、特に緑谷は「え!?僕ら!?」と驚いている。
「何やら困っているようだな、ヒーローとして困っている人は見過ごせない!緑谷君!轟君!」
流石飯田。便利だ。
近づいてきた3人を女の子はじーっと見上げる。私は女の子の視線に合わせしゃがんでいたが、立ち上がりパーカーのポケットに手を突っ込んだ。
「じゃあな、ヒーローに助けてもらえ」
これでお役御免。踵を返そうとした。
ぎゅっ
「知らない人に着いて言っちゃいけないってママが言ってた!!」
「私は知らない人じゃないんか!!」
「ジュースくれた!オールマイト!」
「ちっげえよ!オールマイトじゃねえよ!ジュースで知り合いとか安いなおい!!」
「……ううぅ「そうだね知り合いだね!!!」」
右手は私の袖、左手はオレンジジュースを掴んだ女の子。ため息を飲み込み右手を額に当てた。
「なんでこんなことに…」
「別に減るもんじゃねぇだろ、一緒に送ればいいじゃねえか」
「減るもんねぇけど問題大ありだろ…はぁ…」
「えっと…この子迷子なんですか?」
私はまだ彼らと視線を合わせていない。フードでこちらの顔も、向こうは見えていないだろう。声色で気付かねえのかって思ったけど、こいつらに聞かせた声は状況的にもっと低くて落ち着いてたから気付かないか。…3人とも天然入ってそうだし。
「最近ここに越してきたらしい。買い物出掛けた母親追いかけようとして迷子になったと」
「母親はこの子が迷子になっていることに気付いているか分からないな。…母親を探すよりこの子の家を探したほうが早そうだな」
飯田が方向性を決める。緑谷がしゃがんで女の子に目線を合わせた。
「僕、緑谷出久って言うんだ。君は?」
「…知らない人に名前言っちゃいけないってママが言ってた!!でもお姉ちゃんには教えてあげる!私ね、マイカって言うの!」
「ほーへー可愛い名前ですネ」
「お姉ちゃんは?お姉ちゃん名前教えて!」
「忘れた」
「えー!」
いやマジで、本名は忘れた。死柄木冥でもエンフォーサでもない、こういう時名乗る名前がマジでない。
「じゃあお姉ちゃん白いから、シロ!」
「私は犬か!!…って、これじゃ埒が明かねぇ。おい、この兄ちゃんたちはオールマイトみたいな、すげぇヒーローになるんだから知らない人じゃねぇよ」
「そうなの?」
女の子がきょとんと緑谷を見つめる。緑谷は照れながらも力強く頷いた。
「僕たち、まだヒーローじゃないけど君を笑顔にできるヒーローになるんだ!」
「すごーい!お兄ちゃんたち知らない人じゃない!私ね、マイカって言うの!」
なんかげっそり疲れた。「俺は飯田天哉だ!」「…轟焦凍」と残りの2人も続くように名乗る。
女の子、マイカを家まで届けることになった。とはいえ10歳以上離れた人間と歩調を合わせるのは無理な話。緑谷がマイカを抱きかかえることになった。
「…いや手離せよ」
「お姉ちゃんどっか行っちゃいそう」
抱えられたマイカは私の袖を意地でも離さないらしい。おかげで緑谷の隣に近距離で歩くことになってしまった。私の右側に轟、緑谷の左側に飯田が並ぶ。
(…弔が見たらガチギレしそう)
「マイカちゃんのお家、どんな家かな」
「えっとねー、マイカのお部屋1階にあるんだけどね、大きくなったら2階になるんだって!お庭にママのプチトマトがあるの!」
「一軒家っぽいな」
緑谷が聞き出し、飯田と轟が家の特徴を明確化する。私はその間だんまりだ。
「近くに踏み切りのある2階建ての一軒家…このあたりの踏切だとあっちの方だね」
「うむ、とりあえず踏切の方まで行ってみよう」
とういうことで近くの踏切まで行くことになった。
「お姉ちゃん髪の毛まっしろー!しょーとお兄ちゃんと半分お揃いだー!なんで白いのー?」
「…俺は母さんの髪が白くて、だな」
律儀に答える轟。彼の場合白い理由に疚しいものなど一切ない、遺伝的なものだから私とは事情が違う。
「お姉ちゃんのお母さんも白かったの?」
「ちげぇよ。私は元々黒かったよ」
両親の顔はもううろ覚えだ。今際の時はよく覚えているのに。自分の名前も覚えてない。
「分かった!絵具塗ってるんだ!」
「んな面倒なことするかよ…」
轟は私の髪色を見ようとしたのか顔を覗き込んで来た。
「…!…」
そしてハッと目を見開いた。…これは気づいたな。しかし轟は特に何も言うことなくそのまま隣を歩いていた。
さっきまであれだけひぐひぐ泣いていたのに、子どもとは随分テンションの差が激しい。あっちへこっちへ話題は代わり、あっという間に踏切に着いた。
「この辺りだと思うんだけど…」
「マイカちゃん、ここからお家は見えるかい?」
マイカはきょろきょろと辺りを見渡す。
「見えなーい…」
「うーん…周辺歩けば見つかるかな」
ポケットからスマホを取り出し地図アプリを開く。今自分たちのいる場所周辺を航空モードにして拡大した。隣の轟が何となく覗き見てくる。…お前結構パーソナルスペースちけぇな。
「……ああ、ここか」
「分かるのか?」
「航空地図の更新頻度はそこまで高くない。新居だっていうなら元々空き地だった可能性が高いだろ。さっきの話から玄関は西向き、そんで玄関出ればすぐ道路があるっていや道路が南北にのびてるのが分かる。偶に強い風が吹くのは周辺のマンションによるビル風みたいなものの影響。ここなら近くにマンションが数棟立ってる。あと2階の部屋からスーパーの看板が見えるって言ってたが、この場所とスーパーの間に高い建物ねぇから。聞いた話だけで考えるとここが妥当か」
「すげぇな」
「マイカちゃんの話でそこまで分かるなんて…」
スマホを緑谷と飯田に見せ、「ここな」と座標を指さす。踏切を渡し座標の場所を目指した。短い道中、好奇心旺盛な子供の疑問は尽きない。
「お姉ちゃんはヒーローにならないの?」
「ならないんじゃねぇなれねぇんだよ」
「何で?個性弱いの?大丈夫だよ!ヒーローに大事なのは個性じゃないってオールマイト言ってたもん!」
「そんくらい知っとるわ」
「じゃあなんで?」
「……ヒーローになれねぇ事沢山してきた、ヒーローになれねぇって言われた、何より精神が弱い、以上」
「悪いことしたの?ママが、悪いことしたらごめんなさいしなさいって言ってた!そしたら、えっと、ごめんなさいされたほうもいいよって言ってくれるって!」
いや殺しておきながらごめんなさいで済んじゃダメだろ。つかごめんなさいする相手もいねえ、死んでるし。
「パパが、ヒーローになれないって言われても、諦めちゃダメって言ってたよ!」
「諦めるとかそういう話以前なんだよなぁ…」
「あ!マイカのお家ここ!!」
話をぶった切ってマイカは、漸く私の袖から手を離し一軒の家を指さした。玄関から慌てた女性…恐らく母親だろう、が飛び出してきた。
「あ!舞花!!!」
「ママ―!ただいまー!」
緑谷はマイカを降ろした。マイカは母親に抱き着き、母親も「どこ行ってたの!心配したのよ!!」と嬉しそうに怒っていた。
「ありがとうございます、なんとお礼を言ったらよいか…」
「いえいえ!当然のことをしたまでで…」
誇らしげな3人…いや轟はそうでもないか、とにかく居心地が悪く感じキャップ帽を目深に被り、愛想悪くその場を去ろうとした。のを今度は轟が私の腕を掴みとめた。
「なん」
「こいつがその子をここまで連れてきたんです」
「おいやめろって」
「シロお姉ちゃんジュースくれたんだよ!」
「まあ!ジュースまでいただいて、ありがとうございます。ちょっと待っててください何かお礼を」
「いらねえって!!!ぜってー後悔するから!つかてめ、離せ!」
お礼だなんて貰える立場じゃない。そもそも私が救けたという事実すらあってはならない。轟はさっきの女の子の比にならないくらい強く左腕を掴んでいる。
「あ、じゃあ僕たちこれで!!」
いい感じに空気を呼んでくれた緑谷がペコリと頭を下げた。飯田は「マイカちゃん、元気でな!」ビシッと腕を直角にした。
「ばいばーい!!」
轟は掴みはするが引き摺るつもりも引き摺られるつもりもないらしい。私が歩けば先ほどのマイカの様に腕を掴んだまま隣を歩いた。
少し歩いたところで緑谷が戸惑いながら轟に声をかける。
「轟君?えっと、嫌がってるし腕離したほうが…」
「お前、エンフォーサだろ」
「「!!?」」
ギュッと腕を握る力が強くなる。ハァと盛大なため息を吐いた。
「だったら?…ったく、だから言ったんだよ問題大ありだろって…」
フード越しに頭をガシガシかく。
「エンフォーサ、お前ヴィラン連合の仲間じゃないんだよな」
「仲間でも敵でもねぇよ。弔…死柄木弔と一時期一緒に過ごしてた関係で多少情けはある、状況によっては手を貸すことはあるだろうが、お前らに危害を加えるような協力はするつもりはねぇ」
未だ轟は手を緩めない。何度目かという盛大なため息を吐いて腹をくくった。
「答えるかどうかはともかく、聞きてぇことあるならちゃっちゃと聞け。腹減った」
「…じゃあ飯食いながら話すか?」
「馬鹿か!?馬鹿なのかお前は!どこの世界にヴィランと飯食うヒーローがいるんだ!」
「俺たち仮免は取ったがまだ正式にヒーローじゃねぇ」
「ああ取れたんだおめでとう…じゃねえよ!!」
「…エンフォーサのイメージが崩れていく…」
「爆豪君みたいな人だな…」
何だ!?こいつ天然なのか!?お前ら目の前にヴィランがいるんだぞ!2桁の殺害人数を誇る6年…正確には7年だけど、7年間警察やヒーローの手から逃れ手を汚し続ける凶悪ヴィランだぞ!
「お前が捕らえなければならないヴィランだってのは分かってるんだが…なんか…今はあんまヴィランって感じしねぇな」
「殺すぞゴルァ」
「爆豪みてえ」
「あいつみてぇにキラキラしてねえよ!」
「爆豪はキラキラしてないぞ?お前、目ぇ悪いんじゃねえか?」
「私からすりゃお前ら全員眩しいんだようるせえな!!」
こいつマジ…マジ…天然すぎだろ…。
「…え、本当にエンフォーサ?なの?」
「人が違い過ぎないか」
「あの状況でこの態度も問題過ぎんだろ!…ハァ、お前らマジ…んで!聞きてぇことあるのか!ねえのか!」
「何であの時俺たちを救けた。理由もメリットもないだろ」
あの時…爆豪救出のときか。漸く真面目な空気が出てきたのでちょっと息を吐いた。
「救けたわけじゃねえよ。私は私の信念に従っただけだ」
「信念…ステインが言っていた正しき社会の為、ってやつか」
「それだよ。お前らを殺したり死なせたりした方が、社会の為にならねぇ」
「…俺は一度ステインにヒーローとして相応しくないと言われた、エンフォーサにとっては、俺は生かす価値があるということか?」
「私はあいつみたくヒーローに理想なんざ求めてねぇ。目的としてのヒーローは嫌いだが、殺すほどでもない。私の殺害履歴知ってんだろ、報道されてんだから。死んでこそ価値ある人間しか手ぇ出さねえよ」
「死んで価値があるなんて…!」
「なんとでも非難するがいいさ。んで、他は」
「爆豪はまだ奴らに狙われてんのか」
「狙われてはねぇんじゃねえかな。一度こっちに来る気がないっつったガキ説得して仲間にするくらいなら、こっちよりの強い人間勧誘したほうが合理的だろ。弔だって愈々ただの馬鹿じゃなくなった。あいつが真っ先に狙うとしたら…緑谷、お前だな」
「ぼ、僕…が…?」
「4月のUSJ事件のことは弔から愚痴られたよ、クソガキのせいでうんたらかんたら。その上爆豪救出でまたって激おこだった。弔にとって一番邪魔なのは緑谷に間違いねぇな」
他の連中は眼中にないかと言われると微妙なところだ。少なくとも弔の記憶にインプットされている人間は爆豪と緑谷なのは間違いない。
「んな怯えんなよ…、ヒーロー目指してんだろ、ちったぁ爆豪の気概見習えや」
命狙われてる、となれば誰だって恐怖と不安で怯えてしまう。弱音を吐くなとは言わないが、弱音は自身の心を益々弱くする。嘘でも己を鼓舞し続けなければ向上心はストップしてしまう。
「…言っちゃいけねぇって分かってるけど、エンフォーサ良い奴だと思ってしまった」
「言ってんじゃねえか」
「お前がヴィランじゃなければ友達になれたと思う」
「ヴィランは許してはいけない。だが、轟君の言葉に同意したい自分がいるのも事実だ」
轟と飯田から真っ直ぐな目で言われる。轟ってこういうキャラだったっけ。飯田ってこんな感情に素直なキャラだったっけ。
「……残念だったな」
「エンフォーサ、なんで…ヴィランに…?」
「…………」
何でヴィランになったか、か…。
両親を目の前で殺され、この個性によるドラッグ欲しさにヴィラン組織に拉致・監禁。ヒーローが来ると信じ耐え続けた日々に現れた希望の光はヴィランと手を組んだクズ。2年、2年しか耐えられなかった。身体中チューブをつけ血を吸われ、反発されないようそれでいて死なないようギリギリの量の血を抜かれ続け、考えることを放棄したかったのに前世の記憶のせいで無駄に思考力のあった脳みそは脱出を企てていた。ヒーローから絶望を与えられた結果、その個性で奴らを殺した。そうして脱出した。当時はそれしか方法がないと思ってたんだ。直後に来たのがヒーローでも警察でもない、よりによってオール・フォー・ワンだったのだから運が無い。ヴィランにならずに済んだ方法…人を殺さずに済んだ方法はあったのか…。ああ、一つあった。
「……あんとき死ねばヴィランにはならなかったか」
「死、ねばって…」
「たられば言っても仕方ねえな。さっきガキに言った通りだ。精神が弱かった、だからヴィランに堕ちた、人を殺した。それだけだ」
音を立てず身体が空腹を訴えた。お腹を擦り、そう言えばオレンジジュースで服が汚れてたんだと今更気付く。
「ヴィランの気持ちを理解しない方がいい。やってることは結局犯罪だ。ヒーローなるんだろ、割り切らねぇとやっていけねえぞ」
轟に掴まれていた腕は既に離されている。何とも言えない複雑な表情を浮かべる3人に背を向けた。
話しておいた方がいいだろう。翌日月曜日。授業が終わると直ぐに僕ら3人は職員室の相澤先生の元へ向かった。
「…3人揃ってどうした」
文化祭が終わって雄英も今は大分落ち着いていた。知っている限り、冬休み前の期末テストが学生にとって2学期最後のイベントだろう。仮免試験だとかインターンだとかそういう前繰りの行事があれば別だけど。
「…昨日、僕たちエンフォーサと会ったんです」
ガタガタ
ガシャン
相澤先生は目を見開き、隣に座っていたマイク先生は驚きからペン立てを倒した。オールマイトは音を立てて立ち上がっている。
「詳しく話せ」
昨日の話を細かく話す。相対して分かった、エンフォーサは僕らと年が近い女子だ。
「エンフォーサが僕らに危害を加えない、って話は嘘じゃないと思うんです。いくらでもチャンスはあったのに、殺しに来るどころか救けられた」
「…爆豪を救けに行った時も、エンフォーサに救けられたと言っていたな」
「本人は救けたわけじゃねえって言ってたが」
「ヴィランの言うことだ、しかも相手は警察やプロヒーローが7年追いかけてるのに関わらず殆ど情報が得られない連続殺人犯。鵜呑みにすると身を滅ぼすぞ」
分かっている、あれだけフランクにまるで友人の様な気軽さで会話をしていたけど、彼女はヴィランだ。
「…つか、リスナーたちと年が近いってことは、エンフォーサは9歳の頃からヴィランってことになるよな…」
「だとすれば、7年前に行方不明になった女の子を調べれば多少は絞れるか」
「エンフォーサは元々黒髪だったって言ってました。いつから白くなったか分かりませんけど…」
「それだけ情報が掴めれば捜査が進むだろう。報告してくれてありがとう。ただ、絆されんなよ。相手はヴィラン、お前たちはヒーローを目指しているんだから」
「…同じようなこと、エンフォーサに言われました」
「は?」
「「ヴィランの気持ちを理解しない方がいい。やってることは結局犯罪だ。ヒーローなるんだろ、割り切らねぇとやっていけねえぞ」って言われました。…好きでヴィランになったわけじゃなさそうな」
「緑谷」
「っあ、すみません。分かってます、彼女がエンフォーサとして罪を犯すならそれを捕らえて止めるのが、僕らヒーローですよね」
割り切れ、そうだ割り切らなければいけない。
(ヴィラン相手に、こんなにモヤモヤするなんて…)
死ねばヴィランにならなかったと言っていた。死ぬかヴィランになるか、その選択肢しかなかったということか。
(過去に何があったか分からないけど、過去が違えば、きっと良いヒーローになれたと思うんだ)
……いや、きっとまだ間に合う。ヒーローにはきっともうなれない。でも彼女の心を救けることは、まだ間に合うんじゃないか。
次会うときも穏やかであれば、話す余地はあるように思う。これ以上罪を重ねないように導くことはできるはずだ。
密かに心に決めた決意を口に出すことなく、静かに息を吐いた。