ヒーローとは何ぞや
2
身体を揺すられながら聞き覚えのある声で呼ばれているのが分かった。身体は動かなくて、瞼は重たい。あれ、私今どうなってるんだ?
「………?」
「橘、気が付いたか」
ふっと目を開けた。青をバックに黒い何かが私を覗き込んでいる。それが誰かよりも、ベンチに座っていたはずなのに落ちて誰かに上体を抱えられていることに気付いた。焦点が定まるころに覗き込んでいる人物と抱えている人物が同一人物であることに気付いた。
「…せんせーだ」
「全く喜べない状況の再会だな。起きれるか?」
「おきれ?…ああ、はい、おきれますよー」
気持ち悪さは抜けていない。先生に支えられながらゆっくり起き上がりベンチに再び腰掛けた。貧血で倒れたとそこでようやく気付いた。地面に落ちた薬の入った袋を先生が拾う。
「体調悪くて動けなかったのか」
「…あぁ、そう、そうです、はは、いやびっくり…ここまでひどいとは…ほんと、びっくり」
貧血で倒れることより、倒れた後の方が問題とよく聞く。頭を打ってお陀仏になる可能性が0ではないから。ベンチに座ってて、そんで手ごろな石が近くになくて良かった。
「帰れるか、…いやそしたら今頃こんなところいないか。タクシー呼ぶぞ」
「……お手数おかけします」
遠慮するほど余裕がない。帰る途中でまた倒れそうな気がする、自問自答の自己嫌悪で。
手探りでカバンからタオルを出し口元にあてながら俯く。地面をボーっと見つめながら脳内に住まう悪質なリポーターをどうにか追い出そうとする。
――悪質とおっしゃいますが、何をもって悪質だと判断したのでしょうか?
「橘、飲めるか」
タクシーを呼びながらどこかへ行った相澤先生が戻って来た。少し視線を上げると未開封の水の入ったペットボトルを差し出される。
「す、ません、ありがとうございます…」
厚意に甘えペットボトルを受け取り封を切る。少ないひとくちを飲み込めばその冷たさが喉を通り食道を通過するのが感覚で分かった。零れないよう蓋をしてベンチ脇におき、ため息なのか肺にたまった不快感を吐き出す為なのか分からない息を吐いた。
相澤先生は隣に座った。何を言うでもなくどこへ行くでもなくただ無言で隣に座っている。逆の立場なら多分同じことしただろうな、声を発するのもしんどそうなのに声をかけても仕方ない。放置するには不安要素が多い。
ヒーローでありながら体調管理もできないのか、って怒られるだろうか。ヒーロー、ヒーロー…。私はヒーローだ、そうだ、そのヒーローがこんなんでどうする。市民が安心して命預けられるとでも?
――神野の悪夢で亡くなる人々について、どう思いますか?
――今まさに死のうとしている、あなたはどう動きますか?
じゃあどうすればいいんだ。爆豪を誘拐されないようにする?オールマイトが雄英で教師をしないようにする?爆豪誘拐後にこっそり避難誘導する?ヴィランにバレるリスクがあるのに?オールマイトに加勢してAFOをとっちめる?そんな実力あるのか、死を経験したこの身体は誰よりも死を恐れているくせに、AFOを前にして立ってられるのか。
…ああ……死にてぇ……いっそ殺せ…
「………………」
何でこの世界に生まれてしまったんだ。つか何で前世の記憶なんて引き継いで生まれてしまったんだ。そうだ、まさに知らぬが仏、知るが地獄じゃないか。知ってる分知らない時より後悔も罪悪感も半端ない。
タクシーが来た。家まで送ろうとする先生に「大丈夫っす」と言ったが聞き入れてもらえず、挙句「家の中でぶっ倒れられても困る」と上げてしまった。もてなす気力もない私は先生に鍵を渡し、「ポスト、ダイヤル式なんで帰るとき入れといてください」とベッドに横たわった。
「食欲は?」
「ぜんぜんないっす、なんで看病とか、大丈夫っすよ。ハッ、体調管理碌に出来ねえクソヒーローっすよ、してもらう価値すらない」
この2年間会わなかったくらいだ。ヒーローとして一緒に活動することはもしかしたらいつかあるかもしれないけど、基本まず会うことはない。なんかもういいや、取り繕う必要ないし、嫌われるだの見限られるだの、どうでもいい。一個人の感情を仕事に持ち込む人じゃないって分かってる。だから私と言う人間性をエンデヴァーにチクったりしないだろう。自分を鼻で嘲笑い、寝顔を見られらくないから壁の方を向いて毛布を引き上げた。
「…重症だな…」
重症だった。想像以上と言う言葉が可愛く思えるほど、重症も重症。体調面だけでなく精神的にも相当やられているらしい。話す気はないとでも言うかのように布団を被った橘と今は会話できないと踏み、一度寝室を出た。念の為寝室にそれらしいもの…刃物だとかロープだとかがないか確認したうえで。
タクシーに乗ったのを見たら帰るつもりでいた。あの状態では積もる話も何もできないし、あそこで会ったのは本当に偶然だ。律儀な橘なら礼をしてくるだろうと踏み、話はそこですればいいと思っていた。
――…ああ……死にてぇ……いっそ殺せ…
それを聞いて見送るほど非道な人間じゃない。本当に死にそうなかすれた声で、ヒーローとして言ってはいけない言葉を零した。口に出たことをきっと本人は気づいていない。無意識に零れた言葉、だから余計に放っておくわけには行かなかった。自身をクソヒーローと嘲笑う姿を見て、無理やり家に上がり込んだ自身の判断は正解だと思った。
成人式の飲み会とき、誰も橘の現状を知っている人間はいなかった。事件解決数1位を誇るエンデヴァーのサイドキックをやっているからメディアに出たことは一度や二度じゃない。あのクラスで最も独立が早いだろうと囁かれているほどだ。特にエンデヴァーは中々アンチが多い。元々実力が抜きんでていたこともあり、メディアに出るエンデヴァーの態度をフォローする姿やエンデヴァーの冷たい言葉を言いなおす姿から、HSS(ハイスペックサイドキック)と呼ばれているそうだ。分からないでもない。交友関係が良好な橘が誰とも連絡を取っていないことにかつてのクラスメートたちも不思議そうにしていた。
食欲はないと言っても薬を飲む以上胃に何か納めておく必要があるだろう。と思ったがその薬は食前に飲むものだった。なら飲んだ後胃におさめたほうがいいだろう。普段料理しないだけで出来ないわけじゃない。おかゆくらい作れる。
「…卵だけ…」
ゼリー生活を散々「いつかぶっ倒れますよー」と言っておいたのはどこの誰だ。冷蔵庫に卵しかないってどういうことだ。使われた感のある台所だから料理はしているのだろう。米櫃に残ってる米は多くないが一食分くらいは作れそうだ。柄じゃないと分かっていながら捕縛器を外し腕をまくった。
いつの間にか本当に寝ていた。時計を確認すると部屋に来てから3時間経っているのが分かった。外は日暮れをお知らせしている。変な時間に変な時間寝ちゃったから夜ますます寝辛くなりそうだ。
(…?何だこの匂い)
少なかった食欲を刺激する匂いが鼻を掠めた。立ち眩みが起きないようゆっくり起き上がり、寝室をでると…。
「起きたか」
「…………はい?」
テーブルで新聞を広げながらニュースを眺める相澤先生がいた。新聞、昨日帰りに買ったやつだ。というか
「休日の親父かよ…」
「復活した様で何よりだ」
新聞を折りたたむと先生は何故かIHコンロの前に立ちスイッチを入れた。
「人ん家を我が物顔で…おかゆ?」
「あの状態を放置するほど非道じゃないよ」
「え、手作り?マジ?せんせーの手作り…犯罪臭半端ないな」
「復活した様で何よりだ」
「いてっ」
肘で遠慮なくどつかれ腕を擦る。いやマジで今痛かったから。鍋に入ったおかゆをお椀にいれ、引き出しから
蓮華を出してお椀に突っ込んだ。把握済みかい。
「薬、食前だろ」
「ああ、そういえばそうだ…」
寝室に戻り必要な分だけ薬と取って台所に戻る。おかゆとご丁寧に水をテーブルに置いてくれていた。
「すげえ甲斐甲斐しい、良い旦那さんになりますよせんせー」
「相手もいないのに旦那も何もない」
合理主義のこの人に着いていける人が果たしているのか。いるなら是非拝みたい。ヒーローとして、教師としては慕うが伴侶として生きられるかと問われればまず無理。知ってたとはいえ所構わず寝袋に潜って寝る姿を生で見た時は割と本気でドン引きした。
「いただきます」
「どうぞ」
薬を飲んで蓮華を手に取る。せんせー作おかゆ。卵がゆ、見た目は良し。一掬いしてふうふうと熱を冷まし口に入れる。味付けは塩だけの質素なものだけど今の私には丁度良かった。
「おいしゅうございます」
「それはよござんした。んで、お前さんは何に悩んでるんだい」
「…悩む…?」
ふうふうしながらゆっくりおかゆを口に入れる。夕食は昼間に比べて胃に入る。というか朝と昼がほぼ食べてないせいか夜は割と食べられる。
「死にたいだの殺せだの」
「!!」
「ヒーローが言う言葉じゃない、いやヒーローでなくてもか。言葉は本心だろ、無意識に出てしまうほど」
真剣な眼差しで見つめられ思わず目を逸らした。「橘」と先生が正直に言うまで許してくれなそうな空気を出す。
もう言ってしまおうか
「…相澤先生」
「なんだ?」
渦中の1人である相澤先生なら、もしかしたら
「未来を変えられるなら、どうしますか?」
私の罪悪感を拭ってくれるかもしれない。
――神野の悪夢で亡くなる人々について、どう思いますか?
違う、罪悪感を拭ってもらうんじゃないだろ、死ぬかもしれない人を救けてもら…それは他力本願が過ぎる。
「…前にもそれ、聞いてきたよな」
「……………」
「その未来が悪いもんなら、変えようとするかもな。ただ経緯によってはたとえ悪いもんであっても、変えずに受け止めるかもしれない。…かもしれない、としか言えないけど」
「……………」
経緯、確かにそれは重要か…。結果は要因と経緯の果てに生まれるもの。
「それで、橘はどんな未来を変えたいんだ」
どんな未来を変えたいか、考えるまでもない。
「何十人、もしかしたら何百人の人々を死なせたくない」
「……どういうことだ、橘、何を知っている」
予知したわけじゃない、ストーリーとして、知識として記憶にあるのだ。全部知ってるわけじゃない、記憶にある限りのことを識っているだけ。
「橘」
言うべきか、どこまで、言うべきだろうか。ここまで来て話さないという選択肢はきっとこの人が許してくれない。
「俺はお前を信じるよ」
「…聞いてもないのに軽々しく言うんすね」
「軽々しいわけないだろ。元とは言え大事な教え子がぶっ倒れるほど悩んでることに、しかも少なくとも5年は悩んでることに気付かなかったのは教師失格だ」
「そら気付かれないよう動いてましたからね。どう動けば誰がどう思うかなんて容易い」
「…印象操作が上手すぎるんだよ」
なんかもういいか、うん、話してしまおう。ずっと考えるの、疲れた。
「オールマイトの活動限界について知ってますか」
「活動限界?」
どうやら知らないらしい。教師陣が知るのはオールマイトが雄英の教師になる一年くらい前の話なのかもしれない。
「2年前、オールマイトはあるヴィランとの激戦の末に胃を全摘しています。身体は弱まり一日の活動に制限時間ができてしまった」
「…そんな話聞いてないぞ」
「オールマイトがメディアに流さないようにしたんですよ。詳細を知るのは極一部の人間。その時のヴィランは大怪我を追うものの逃亡。そして3年後の夏、再びオールマイトと直接対決をする。それによる被害はその地域の大部分が破壊され、あるトップヒーローが長期休業せざるを得なくなるほど。…それがオールマイトの最後のヒーロー活動となる」
「待て、情報が多すぎる。…オールマイトさんはそこで死ぬのか?」
「死にはしません。ヒーローとして二度と活動できなくなるだけです。日常生活を送れるくらいには動けますけど、健全な身体とは言えないでしょうね。それは今もですけど」
相澤先生は珍しく顎に手を当て思考に耽った。テレビの電源を切り、半分も食べられなかったおかゆにラップをして冷蔵庫に入れる。思考の邪魔をしないよう小さく「ご馳走さまでした」と息を零した。
「……その未来、どこまで詳しく知ってるんだ?」
更に仔細を知ろうとする相澤先生に驚きを隠せない。オールマイトがヒーローできないなんて信じてもらえないと思っていたから。平和の象徴だぞ、No.1ヒーローが、ヴィランに敗れるわけがない、と。
「こんな荒唐無稽ともいえる話、信じるんすか」
「はぁ…言っただろ、お前を信じるって」
この人、大概情に深い人間だ。信じてくれるんだ。
両手に溢れた飴玉が零れるかのように、ぽろぽろと私は未来を語った。OFAの後継については触れず、オールマイトが雄英教師に着任すること、それを知った件のヴィランの弟子が集団率いて雄英を襲撃すること、夏休みの林間合宿で再び襲撃されある生徒が拉致されること、その生徒を救出し更にヴィランの弟子たちを捕らえるべくトップヒーローが動くこと、そして親玉のヴィランが現れオールマイトと対決すること。
「……そういう未来があるとは想像できないな」
「ここまで話してしまった以上、オールマイトが雄英で教師するってなったら有り得るかも位には思うかもしれないっすね」
開き直って話してしまえば心が軽くなった気がした。なんだ、話せないって思ってたけど、話すだけならなんてことないんだ。
「どこでその未来を知ったんだ?」
「それは……言えないです」
これらの未来が描かれたものだと知ったら、今ここに存在する自分自身が作られたものだと知ったら、それだけは絶対に言えない。というか前世だの死んで生まれ変わっただの、この事実自体誰かに言うつもりはない。まさしく墓場まで持っていく秘密だ。
「信じる信じないとかじゃなくて、なんつうか…誰かの個性で知ったとかそういうのじゃない、とだけ」
「…そうか」
「思った以上にあっさり引き下がった」
「言えねえって言ったのはお前だろう」
いやそれでもさぁ…結構ぐいぐい来ると思ったけど…そうか、話したから全部話す必要はないのか。芋づる式に全部全部、言わなきゃいけないと思ってた。
「今の話、俺の中でもう少し整理したい。場合によっては校長に話すかもしれないがいいな?」
「別に、構いませんけど」
あのハイスぺネズミは何て言うんだろう。というか個性ハイスペックってなんだよ。ネズミだからいかんなく発揮されてる感半端ない…何て言ったら校長にヌッ殺される。
「連絡先教えて」
「あー、っと…仕事用とプライベート用どっちにすればいいですかね」
「2台持ちか、連絡着きやすい方」
「じゃあ仕事用ですね。まあ色々な念の為というか」
まさかヒーローやめた時に備えていたとか言えない。切り捨てるのはプライベートの方。仕事用ならさっぱりとした人間関係ばかりだから連絡が取れなくなったところで問題ない筈。
「今度からため込む前に誰かに言え。ぶっ倒れるまで悩むな」
「…善処します」
「い い な」
「…だってそれ、キャラじゃないじゃないすか」
明るく溌剌、悩みなんて寝れば忘れる、それが雄英時代に築いた橘と言うキャラクター。
「馬鹿か、それで潰れちゃ本末転倒だろ。つかそのキャラとやらも、本性じゃないな?」
「……………」
「お前の言う橘と言うキャラなら自分のことをクソヒーローとは言わない」
「…まああっちの方がよっぽど素なのは、認めますけど」
「何をそんなに気にしてんのか知らねえけど、お前の目の前にいるのは誰だ」
「…せんせー」
「そうだ、教員でイレイザーヘッドというヒーローだ。教員でありながら雄英の名のものに自由勝手に生徒を除籍して、ヒーローでありながらメディア嫌い市民の人気に一切興味のない、そういう人間だ。全部さらけ出せとは言わない、けどな、ヒーローだって完璧人間じゃねえんだ。悪いところ出たって気にすることはない。…一番いい例がいるだろ、お前の上司とか」
No.2ヒーロー、事件解決数No.1、そしてアンチが多いヒーローも多分No.1…。灯台下暗し。思わず苦笑した。
「そう言われっと、まあそうっすね」
「そういうことだ。…だからってあそこまでさらけ出す必要はないからな?」
陰口は地味にメンタルに来るからエゴサをしたことはない。流石にあそこまで出すことはしないけど、少しずつ素の自分で接していくのもいいかな。先生の言う通りまた潰れないように。
昼間の体調不良が嘘かのように気持ちも身体も頗る軽くなった気がした。