ヒーローとは何ぞや
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カッコいいから、みんなに認められるから、そんな安易な理由でヒーローを目指した。その為の努力は怠らなかったものの、いざヒーローになり活動していくうちに「自分にヒーローは合っているのか」と疑問に思うようになる。中学・高校での成績は優秀で、雄英ヒーロー科も3年次にはビッグ3の1人になるほどの実力者。クラス内でも学級委員長を務めクラスメートとも分け隔てなく接し、明るく溌溂とした性格でまさに非の打ち所がないほどの人間。に見えて全てヒーローを目指すため打算的に動いていただけ。ヒーローを目指すべくしてきた努力のせいで悩みを誰にも打ち明けられずにいた。
部屋の明かりをつけ真っ先に化粧を落とす。その流れのままパジャマを持って風呂に入った。風呂から出れば水を入れたポットを沸かしながらドライヤーで髪を乾かす。そんで鍋に沸いたお湯を入れてうどんをぶち込む。大きめのお椀にサラダを少し入れ、数分でできたうどんをザルにいれ水で冷やす。しっかり水を切った後サラダを引いたお椀にぶち込んで、上からまたサラダをかけ和風ドレッシングをかける。ここ最近の夕飯はこのサラダうどんだ。
うどんを啜りながら流れるニュースを無表情で眺める。前世と違ってニュースの内容を占めるのはヒーロー活動ばかり。バラエティとかで「好きな俳優さんは?」のようにある、意味お決まりともいえるほど自己紹介で紡がれるのは「好きなヒーローは?」と言う質問。ヒーロー、ヒーロー、この世界はヒーローで満ち溢れてる。かくいう私もヒーローになって2年目、成人式の後の同窓会を断り、数か月後には3年目を迎える。
ヒーローは身体が資本。ここ最近の体調不良はいい加減どうにかしないといけない。怒られるのが怖くて休まず出社はしてる。そんで無理して出社してるのがバレればもっと怒られるだろうから、「明るく元気で悩みの無さそうなスプラッシュ」で溌溂と過ごしている。でもそろそろ限界が来そうだ。ここ最近の立ち眩みや眩暈は自分を誤魔化せなくなるほど酷くなっている。明日は不定期の休みでありながら平日…。病院、行こう。
高校に入って原作がいつ始まるのか知った。そしてまだオールマイトが例のヴィランと闘っていないという確信も得た。キーワードは「5年前のヴィランとの戦闘で」。緑谷が中3の時の5年前だから、彼が雄英に入る6年前の出来事ということになる。それとなく聞いた担任の年齢で私が18の時、3年次に事が起きると悟った。
ヴィランと闘ったらあなたはその個性の活動限界を早めます?その戦闘で胃を全摘します?そんなことを言って何になる。そもそもオールマイトとの接点がない。雄英出身だからってトップヒーローが母校を尋ねることはほぼない。エンデヴァーやベストジーニストも同じだ。職場体験やインターンで関わることはあっても母校に来るということは先輩が言うにはこれまでなかったらしい。それだけ忙しいってことの裏返しなわけなんだけどさ。圧倒的No.1ヒーローのオールマイトが雄英にくることも1度たりともなかった。だから原作で「教師活動」が余計に際立ったんだろう。
「下校時刻は過ぎてるぞ」
窓のない教室、ノートに綴られた前世で苦手だった数式を弄んでいると相澤先生の声が聞こえた。つーっと視線を上げると相変わらずやる気が伺えない表情の先生が、教室の入り口に立っていた。
未来を変えられるなら、どうしますか?
(…なんて、聞いても仕方ないじゃないか…)
オールマイトに何と言おうと、あの人ならきっと「大丈夫!」と言ってヴィランに立ち向かうのだろう。分かり切ってる結果を話したところでオールマイトの答えは変わらない。一度も会ったことの無いテレビでしかしらない相手だけど、それは確信できた。
「…橘?」
「はーいー、いやー数学ってどうして眠くなるんすかねー」
ダメだダメだ、人の機微に敏感な相澤先生の前で考えちゃ何て言われるか分からない。あっはっはーと笑いながら筆記用具をカバンにしまった。
「この前の自習、寝てたそうだな」
「げっ、何で知ってるんすか」
「堂羽から聞いた」
「くっ…私の完全なる“起きてるように見える転寝”が…!」
「座学クラス1位で良かったな。でなければ課題を課してるところだった」
「自分万歳!」
ケタケタ笑いながら帰る準備をして半身をずらした相澤先生を通り過ぎ教室を出た。後ろのドアは施錠済みらしい。ガチャ、と鍵をかけた先生は私をじっと見降ろしていた。
「せんせー?そんなに見つめちゃいやーん」
両手で顔を隠しながらお茶らけると、先生は盛大なため息をついて頭をガシガシかいた。
「…気をつけて帰れよ」
「はーい」
「伸ばすな」
猫背で長い足を動かす相澤先生の後姿を眺める。明日から夏休み、林間合宿が始まる。
「…相澤先生」
誰もいない廊下では小さく落とした言葉も思ってるより響く。前方を歩く先生は当然それを拾い振り返った。
明日から林間合宿が始まる。行先の変更をしない、何の脅威も不安もない、ただの林間合宿が始まる。
「……橘?」
聞いても仕方ないじゃないか、なんて思ってたくせにぽろっと聞いてしまった。先生が訝しげな表情で「何を言っているんだ?」と聞いてくる。
「…なんでもないっす、引き留めてすんません」
予知を個性とするサー・ナイトアイはどうしているのか、未来が分かったからと言って容易に変えられるものじゃないんだろう。ああ、一度話してみたい、3年間でそれが叶う日はあるんだろうか。
貼り付けた笑みを浮かべながら先生に「また明日」と挨拶をして、今度こそ帰路に着いた。
きっと誰よりもストイックに努力している。それを一切表に見せず努力を怠らない優秀な生徒。努力があまりにも見えな過ぎて「稀代の天才」と呼ばれていることをきっと本人は知らないだろう。とにかく入学初日から数カ月経った今まで、橘に対する印象は「非の打ちどころのない模範的な優等生」だった。
日直でない限り下校時刻まで居残ることはまずない、だから教室でノートを開いて頬杖をついている橘を見た時は驚いた。
「下校時刻は過ぎてるぞ」
寝てないのは一目瞭然だが意識がどこかに飛んでいそうな橘に一声かける。緩慢な動きで顔を上げ視線が交差した。クラスのムードメーカー、悩みを知らなそうな橘と目と合うのに俺を見ていなかった。薄暗い、どこを見ているか分からない目。
「…橘?」
普段と様子の違う橘を呼ぶと、スイッチが入ったかのように目の色が変わった。
「はーいー、いやー数学ってどうして眠くなるんすかねー」
気のせいか?そう思うことにして机上のノートを見れば数式が並んでいた。ドライアイだが視力が悪いわけじゃない、むしろいい方だ。綴られた数式が随分先にやる範囲であること2つ目の驚き。予習復習はきちんとしているとは思っていたが、予習の範囲が広すぎじゃないか?
「この前の自習、寝てたそうだな」
真面目に聞いている授業でも、実技の後やお昼の後は少し眠気を見せる節が橘にはあった。潔く寝る青田と違い頑張って起きて居ようとする努力と態度は認める。随分余裕があるなと思っていたがそれだけ予習していれば余裕があるのは当然かもしれない。
「げっ、何で知ってるんすか」
「堂羽から聞いた」
「くっ…私の完全なる“起きているように見える転寝”が…!」
それを教師前に堂々と言うな。自習のプリントはしっかり埋まって満点だったから、解き終えた後に寝たのだろう。
「座学クラス1位で良かったな。でなければ課題を課しているところだった」
「自分万歳!」
高得点をたたき出す秘訣をクラスメートに聞かれたとき、「授業真面目に聞いてればできるだろ」とクラス3位の沢田が答えたのに対し、橘は「授業は教材のひとつに過ぎないさ」と答えたらしい。天才女子はこれだから…と恨めしそうに言う馬宮が思い浮かぶ。授業は教材のひとつ、言い換えれば授業を受けなくても点数を取れるということか。それとも教材という授業を扱う己次第ということか。
荷物を纏め教室を出ようとする橘が通りやすいよう半身をずらした。視線を感じながらも施錠をしたのち橘を見下ろす。
「せんせー?そんな見つめちゃいやーん」
キャー照れるーと思ってもないことを言いながら両手で顔を隠す橘にため息を吐いた。いつもの橘だ、やはりさっきのは気のせいだな。
「…気をつけて帰れよ」
「はーい」
「伸ばすな」
明日から地獄の林間合宿だというのに随分先の予習をするほど余裕があるのは結構。ただやり過ぎるとろくなことにならない、今夜は英気を養うこったな。ついで隣のB組の施錠をすべく橘に背を向け歩き出した。
「…相澤先生」
静けさの広がる廊下に落とされた小さな雫のような言葉に振り返った。あの目だ、視線が合ってるのに合っていないような、薄暗く虚ろな目。
「…橘?」
「未来を変えられるなら、どうしますか?」
まるで新手の宗教の勧誘の様な台詞、まさか引っかかったのか?橘に限ってそんなことないと思うが…道端で配ってた聖書をゴミ箱にシュートしたとか、言えに来た宗教勧誘に「神?ああ私のことっすね」と言い追い返したと笑いながら言う奴だ。今更宗教に引っかかることなんてない、よな?
「何を言っているんだ?」
眉をひそめたのが自分でもわかった。いや本当に何を言っているんだ?橘は。
「…なんでもないっす、引き留めてすんません」
へらっと笑った橘の目に薄暗さはない。気のせい、で片づけるには2度も見てしまった。また明日と背を向け歩き出した橘の背を見る。何か、悩みでも抱えてるのか?悩みが無い奴と言われてるけどそれは他人から見て。当人は何か抱えているのかもしれない。
(…不器用な奴だな)
少し様子を見たほうがいいかもしれない。ああいうタイプは深刻な悩みを打ち明けられないか、もしくは冗談みたく話してしまうことが多い。
翌日の林間合宿では勿論、夏休み明け以降も観察していたが、あの橘を見ることは結局2度となかった。
卒業式が終わり橘もあのエンデヴァー事務所に所属。花道を進む橘に何を不安に思うことがあるのか。一体この引っ掛かりは何なのか。
――せんせー――
――相澤先生――
「……相澤先生、か…」
そうだ、そういえば橘が俺を呼ぶときは、あの抜けたような「せんせー」呼びばかりだった。相澤先生と呼ばれたのはあの時あの1回だけ。
(…だから何だって言うんだ)
杞憂だろう、ヒーロー目指して努力を怠らなかった、そしてそれが叶った、色んな壁にぶち当たることがこれからあっても、それを乗り越える…Plus Ultraは卒業しても変わらない。
そう思ってた。だから成人式の飲み会の誘いに乗りかつての教え子が集う居酒屋に行って、主催者が橘でない事、その橘が不参加であることに一抹の不安を覚えた。
強めの睡眠導入剤、食前に飲む整腸剤と吐き気を抑える薬を処方してもらった。
「…根本的解決を、か…」
薬で良くなっても元を解決しなければ薬がなくなったら再び不調をきたす可能性が高い。膵臓や胃腸の調子が良くないが以前の血液検査では特に引っかからなかった。ストレスからくるものである可能性が高い。そう診断された。
根本的解決、か…。それは私がヒーローである限り解決しないんだろうな…。
「ヒーローとはなにか」
病院へ行った帰り道、そこはかとない気持ち悪さで人気のない公園のベンチに座り休む。明日も出社だ、No.2ヒーロー、エンデヴァー事務所のサイドキック。これ以上にない大手ヒーロー事務所。認められたからここにいる。本当に?それは本当に認められて?そもそも何を認められたというのだ、外面ばかりよくて内面がボロッカスな私のどこを良しとしたのか。外面がいいから、というより外面しかしらなくて、それが良かったから、なのか。本当の自分とか、んなもんない。
――何故ヒーローを目指したんですか?
…ヒロアカの世界に来たなら、ヒーロー目指しておけばいいかなって
――人を救けたいという精神は?
…救ける、と言う精神より困ってる人がいたら手を差し伸べたいって感覚の方が近い
――あなたにとって、ヒーローとは?
…正義と自己犠牲の精神で人々に安寧を与え平和への礎を築く存在
――ヒーローを見てどう思いました?
…賞賛され、認められてる姿が羨ましいと思った
――どういうヒーローになりたいですか?
…独りよがりはダメだって前世で学んだ。だから「いれば大丈夫」なヒーローだけじゃなくて、「いたから大丈夫」なヒーローになりたい
――目の前の人が今まさに死にそうになっている、あなたはどうしますか?
…動く、守るため、救けるために。前は一瞬身体が固まっちゃったけど、今は衝動に正直に動ける。ここで動かなければきっと一生後悔するから。
――では、
神野の悪夢で亡くなる人々について、どう思いますか?
「ぐっ」
とてつもない吐き気に襲われ口元を手で覆う。おちつけ、おちつけとゆっくり深呼吸を繰り返す。
――人間にすら戻れなくなった生物兵器、脳無となったヴィランは当然の報いだと思いますか?
――凶悪なヴィランに拉致されオールマイトが引退するきっかけになってしまった少年をどう思いますか?
――そのきっかけ…神野の悪夢で亡くなった人々を背負って生きていかなければならないオールマイトや少年をどう思いますか?
ぐらぐらする、視界が揺らいで、視野が狭まったような気がする。
――ステインの行動についてどう思いますか?
――ヒーロー活動の果てに亡くなることをどう思いますか?
――それはヒーローとして名誉ある死だと思いますか?
「橘か?」
――その先に待つのが死だと分かっている人を見殺しにするのはどんな気分ですか?
「!?橘!!おい!!」