つかここどこだよ!
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「知っていると思うが、昨日上鳴、切島、爆豪の3人がヴィランと接触し個性でBBRに強制参加させられた」
休日でありながら学校からの指示で、お昼ごろに帰寮の指示が出された。元々寮にいた生徒も、外に出ていた生徒も何事かと寮で待機していた。帰ってこない3人に不安を抱いていると現れたのはオールマイトだった。3人がヴィランに接触、相澤先生が保護に向かったから心配しなくていい。心配と不安、彼らなら大丈夫だという信頼、思い出すのは1年前のこと、各々違う感情を抱えながら吉報を待っていた。30分という早い時間で彼らの無事と保護されたという連絡が来た。しかし彼らが寮に戻って来たのは夕食も終わった午後9時。戻って来た3人に声をかけようにも、酷く落ち込んでいる様子に誰も声をかけられなかった。あの爆豪すら何か悔やむかの様な表情をあからさまに部屋に戻っていったのだ。クラスメートが、彼らがBBRと接触していたと知ったのは朝食の場で上鳴と切島が話したときだ。
「爆豪たちがそこで接触したBBRの対戦相手は、数年前拉致された市民であることが分かった。年齢は不明だが16~20の間だと思われる。幸い爆豪たちは被害者と戦闘することなく戻ってこれた。BBRの主催者は未だ逃亡中だ」
「被害にあった子は!?まだ見つかってないんですか?」
声を殺して大粒の涙を流したあの子の顔が脳裏に浮かぶ。油断してたつもりはなかった、すぐ目の前にいたし周囲にも気を配ってた。なのに気付くとあの路地裏に戻っていて、あの子はいなくなっていた。そしていなかった人々が、音が戻ってきていた。
「見つかっていない。被害者を救けるには大元を叩かないといけないようでね。…恐らく拉致されてからずっとヴィランの個性に囚われている」
「あんな誰もいねぇとこにずっと…?」
誰もいない世界。何の音もしない、まるで世界に3人しかいなくなったかのような、そんな錯覚さえするほど。だからこそ床に滴っていた血が、敵意の眼差しで睨みつけてきたあの子の瞳の色が、涙をぬぐう痛々しい腕の包帯が、脳裏に焼き付いて離れない。
あの子はあの後どうなっただろう、どう思っただろう。救けにきたって言ったのに、目の前からいなくなったんだから。
重要な証拠としてメモ用紙は警察に渡してしまった。ただ切島は寮に帰ってからポケットにノートの1ページが入っていたのを思い出した。そして爆豪も、渡すはずだった鍵をそのまま持っている。これは渡さない方がいいという直観を信じた。切島はポケットに入れたノートの1ページを、爆豪はポケットにいれた鍵をぐっと握りしめた。
「BBRの主催者はまだ捕まっていない。今回の市街地模擬演習で出くわす可能性もある。もし見つけても不用意に近づくな、必ず俺か今回協力して下さるヒーローに連絡を入れるように。いいな」
はい、と元気よく返事をする生徒たち。1週間経った今も尚、ヴィランは逃げているという。逃げ足が速いのか、個性を自分に使い逃げているのか。
外部のプロヒーロー協力の元行われるのは市街地模擬演習だ。仮免許を持つ彼らは緊急事態に限り個性の使用を認められている。今回は雄英から3駅ほど離れた街で、サイドキックとしてプロヒーローの指示に従いヒーロー活動を行う。ただ今回重きを置いているのはヴィラン退治ではなく、どちらかというと奉仕活動だ。例年通りならここまで名のあるプロヒーローを呼ぶことはなかったのだが、彼らがヴィラン連合に狙われていること、そしてBBRがこの付近で目撃されたことから協力を買って出たヒーローがいた。その一人がエンデヴァーだった。
爆豪たち3人は正直奉仕活動よりそちらを優先する気満々だった。そしてクラス一正義の塊、自己犠牲精神の代表ともいえる緑谷も恐らく首を突っ込むだろう、いや恐らくではなく確実に首を突っ込むだろう、その判断により爆豪、上鳴、切島、緑谷、そして轟を1つのグループにし相澤が見ることにした。轟も一緒なのは、過去の行動を鑑みても緑谷の次に指示を無視して動く生徒だからだ。飯田や八百万は自身の立場や自身の行動により与える周囲への影響までもきちんと考えられるので、正直見習ってほしいと相澤は思う。
「お前ら、今日の目的を忘れるなよ」
一応念押しをしておく。口では良い返事をするが…いや爆豪は返事してねえな、もしまた見つけたら迷わず足を向けるのだろう。そうなったら今度こそ、連れていかれないよう、そしてヴィランも必ず確保しよう。
分かってた。というかあん時確かに覚悟した。都合のいいことはそう簡単に訪れない、って。
『No matter how hard I can try! I nerver think that I can fly!』
まるで早く死んでくれとでもいうかのように、あれから奴らは現れた。もしかして、その期待で敵意を向けず攻撃もせず構えることすらせず様子を伺った。
『And now she has just turned her back to me』
ダメだった。みんな、下品な笑い声をあげながら襲ってきた。この人は?じゃあこの人は?この人なら…何度思っただろう。
『Oh there is! nothing I can do as well But to dream her all the time!』
折れた木刀を投げ捨てる。新しいの、取ってこなきゃ。
『I’m a fuckup and I’m nuts so she’s gone』
ここに来てから備わった不思議な力。何度試しても自分の怪我は治せないし、元の世界に帰ることも、彼らと意思疎通することもできない。
『She’s gone』
やっぱりあれは夢だったんだろうか。都合がよい夢、幻、この不思議な力が見せたまやかしの希望。
『She’s gone』
「今がチャンスだと聞いて来て見りゃ、本当にチャンスのようだな!前は逃げられたが今度はそうはいかねぇぜ!」
背後から足音が聞こえ振り返る。何かが飛んできた。それをいなしながら強く掴む。腕だ、本人は少し離れた所に、腕だけが伸びている。
「ほー?殴ったらべそべそ泣きながら逃げてたあのガキが、4年も経ちゃ成長するか!おもしれぇ」
伸びた腕を縮ませ奴は飛んできた。腕は私が掴んだままだ。掴まれていない腕を大きく振りかぶり男は楽しそうに笑った。
「死ねぇ!!!」
ぱっと腕を離す。殴りかかってきた腕を再びいなし、男の首裏に肘鉄を入れた。煩い、と強く思いながら。
「ガッ!?」
ばたり、男は地に伏した。一応脈を図ったがちゃんと生きてる。登場して1分も経ってない、男はあっけなく消えた。
『I’m a fuckup and I’m nuts so she’s gone』
幸福を知っているから不幸がさらに辛くなる、まさにこのことだな。上げて落されるともいえるか。
わかったわかった、このまえボスっぽいのが来て、そのご褒美ってことだろ。
頑張ったよ、私。寧ろよく発狂せずいられたよ。4年も人ボコってたんだ、今更普通の生活戻れるわけないって。窃盗罪、不法侵入、暴行罪、器物損害罪、現実なら余裕で犯罪者だ。そもそもどこに帰るってのさ。こんな力持って、どの世界に帰るってのさ。あーあ、頑張ったよ、頑張ったのになぁ。
狼みたいな見た目をした男が地に伏している。いくら何でもかんでもどうでも良くなったからって、人を殺そうとまでは思わない。人を殺すくらいなら自分を殺したい。
後ろから複数人の足音が聞こえる。今まで聞いてきた中で一番多い気がする。
「ああ、丁度いいところに!」
男は最後の力を振り絞るかの様に起き上がると勢いよくジャンプをした。私を飛び越え着地する。その周りには6人いた。やたら燃えてるデカい男が1人、他5人は随分子どもに見える。いつも多くても3人だったのに、今日は多いな。
「こいつ、ヴィランか!!」
「じゃあ、あっちのボロボロの子が例の」
「おれぁ時間切れだ!てめぇらが相手してやれよ!ひゃっひゃっ!」
男はニヤニヤ笑いながらスッと消えた。何か話してた。そうか、こいつら仲間か。随分面白いコスプレしてるな。そういえば前にも似たような奴いた…あいつは強かった。じゃあこいつらもきっと強い。
やたら燃えてる奴、耳たぶが長い奴、丸い顔してパツパツな服着てる奴、日朝のレンジャーより完全防具な奴、露出ヤバい奴、目ぇでかい蛙みたいな奴。なんだかとてもめんどくさそうだ。つか火って、木刀燃えんじゃん。
「ねぇ、なんかすっごい構えてない?」
「落ち着いてくれ!俺たちは君を救けに来たんだ!」
「情報が真実なら言葉は通じない。意思疎通は恐らく平仮名だけだ」
「私、ホワイトボードとペンを作りますわ!」
露出ヤバい奴が身体から何か出そうとしている。凄いな、そういう力なんだ。へぇ。変なもの出されたら面倒だ。あいつの後ろに移動、と強く念じ瞬間移動のごとく奴の背後を取った。
「なっ!?」
「ヤオモモ!」
随分綺麗な肌だ。痣をつけるのが申し訳なくなるほど。容赦なく首筋に右手で持ってた木刀の柄で殴った。脳震盪は待ったなしだけど、これで確実に落ちたはずだ。殴ると同時に突っ込んで来た全身フルメットの腕を左で逆手持ちしている木刀で防ぐ。治りかけてた左腕の裂傷が開いた気がした。
「くっ、どうすれば!」
「決して怪我をさせるな!俺が相手をする、お前たちはその生徒を連れて一旦離れるんだ!」
「エンデヴァーさん!相澤先生たちもこっちに飛ばされてるみたいです!」
何か叫んでる。パツパツスーツの奴が右手を耳に当て何か言った。よく見るとそいつと、耳たぶ長い奴、蛙みたいな奴と今伸した奴は耳に何か付けてた。インカムか?増援を呼ばれたら面倒だな。というかそんなにいるのか。ああ、面倒だ。
フルメットから一旦距離を取る。すると炎上男が一気に距離を詰めてきた。木刀燃える、というか私も燃える。嫌だなぁ、服まで燃やされたら全裸じゃん、それはやめてほしい。
水を、と強く念じながら木刀を下から上へ振り上げた。テイルズのスブレッドみたいな感じで炎上男の足元から強く水が吹き上げた。
「な!?え!?」
「瞬間移動が個性じゃないの!?」
炎上男は水に包まれたかと思うと火力上げたのか知らんけどそれを蒸発させた。嘘だろ、燃えすぎ。そうか、こいつラスボスか。そんでその辺にいるのがラスボス前の中ボスとか、ラスボスと一緒にいる敵。だったらまず仲間潰すのが相場だよな。木刀を奪わんとでもいうかのように襲ってきたそいつの脇をすり抜け、ついでにとその脇を一発殴ってから露出女子の近くにいる3人へ距離を詰めた。てか露出女子浮いてね、誰の力だよ。
「こっちきた!」
「麗日君!耳郎君!八百万君を連れて退くんだ!」
フルメットが守るかのように立ちはだかった。チームプレイかよ、あーあ、俺を置いて先に行けってか。どうせ、
『どうせ後で来んだろ』
私を襲いに。
フルメットの強度が分からないから私の木刀が、というより私が力負けする可能性が高い。強く念じ再び瞬間移動をしフルメットの背後を取った。頭のメットと下のレンジャーコスチュームみたいなのの間、首筋の隙間に木刀を差し込み梃子の原理でメットを押し上げ飛ばした。そしてさっきの露出女子と同じよう木刀の柄で殴り膝をつかせた。男の方が耐性あるのかな、膝は着いたけど倒れるまではなかった。
「飯田君!」
「ケロっ!」
急に身体が何かに縛られた。綺麗な真っ赤というより少し桃色を帯びた赤い矢鱈太い紐。元をたどり見ると蛙みたいな奴の口から出ていた。
「梅雨ちゃん!」
「油断してはダメよ!直ぐに移動でいるし水を出した、この子の個性が分からないわ」
「そのまま離すな!」
流石に舌切ったら死んじゃうしな…前みたいに電気流す…それも大丈夫か不安だ…。ぎゅっと身動きが取れないよう縛り付けられる。傷口が痛い。ラスボスが近づいてくる。ここで、ここで終わるのか? 何が?…ああ、もしかして死ぬのかもしれない。ここまで頑張って来たのに、まだ戦えるのに、こんな呆気なく?
『…運命は、残酷だ』
「何?何か言ってる?」
『されど、彼女を恐れるな』
「うっ」
「飯田君!大丈夫!?」
『
「俺は…大丈夫だ」
『微笑むことなど…決してないのだから!!』
私はまだ闘える!!!こんな簡単に死んでやるか!!
「ぐっ!?」
「な…重い…」
ラスボスが苦しそうに膝をついた。立ち上がりかけていたフルメットも膝をつき今度こそ倒れた。目を見開きこちらを見ている。私を縛る舌が緩んだ隙にすぐさま、傷をつけないよう慎重に素早く解いた。蛙みたいな奴も、パツパツスーツも、さっきまで浮いていた露出女子も、耳たぶ長い奴も苦しそうに地についている。
グラビティ。今彼らには重力が掛かっている。木刀を構えた。
『んな簡単に…やられるかよ…』
死にたいと何度も思ったのに死に直面するとどうしてこうも臆病になるのか。楽になると分かってるのにその甘い囁きに耳を傾けられない。生き汚いな。
その場を飛びのいたのはただの直感だ。何かが来る。それは正しい判断だった。脊髄反射で飛べ!と念じその場を跳躍、周囲に掛かっている重力が無くなるのも気にせず奴らから距離を取った。
「みんな!大丈夫!?」
「緑谷君!!」
緑色の服を着た奴が来た。そいつの後ろから更に5人ほど人が来るのが見える。…増援か、くっそ、この人数相手はしんどい。今まで3人相手だったのに、それがいきなり12人とか、流石ラスボス格が違う。この場は一旦退こう。
「緑谷!攻撃しちゃダメだ!あの子だよ!」
「え!?」
背後を向けるのはあまり良い手ではない。とはいえ後ろ向きに逃げるより早く逃げられる。凄い速さでこちらに来る影もある。追いつかれないよう足に力をいれその場から逃げた。
念じれば割と何でもできるのに、なんで自分の怪我は治せないんだろう。都合が良いところで都合悪いな。足の怪我で思うように走れない。飛べ!と念じながら走っても痛みで上手く集中できず、ただ足が速くなるだけだった。
ぽとっ
何か落した。思わず足を止め振り返る。メモ帳とペンだ。ずっと希望にと持っていた、あのメモ帳。
「君!話を聞いて!」
「デク!言葉は通じねえ文字だけだ!」
ダメだ、追手が来てる。まやかしでも確かに希望を持てたんだ。だからって拾ったら、今度こそ終わる。
『くっそ』
舌打ちして再び走った。落としたメモ帳に後ろ髪引かれながら、兎に角走った。
このままじゃ追いつかれるのも時間の問題だ。途中から何度も道を曲がり路地裏を通り抜け巻こうとしてるのに追ってくる気配がまだ続く。
路地裏から大通りに出た。その両サイドに、さっきの緑のやつと紅白饅頭みたいな頭した奴がいた。挟撃か!
紅白饅頭の後ろには黒い服着て首に包帯をぐるぐるまいた男が走って来た。さらに増えた、くっそ。
「緑谷!さっきのメモ!」
紅白饅頭は私の後ろを指さした。何かの合図か、後ろからやられるのか
「ねえ!これ!これ見て!うわっ!?」
吹き飛べ!と強く念じながら振り向きざまに木刀を振り下ろした。烈風が緑色の奴を襲い、緑色の奴は吹き飛んだ。それでも視認できる距離にいる。
「緑谷!」
「…抹消できない」
「…え?」
「あいつのあれ、個性じゃねぇぞ」
黒い服の奴が髪を逆立て赤い眼をしていた。くっそまんまと罠に引っかかった!本命はこっちか!
木刀を再び振り下ろす。烈風が奴らに襲い掛かるより先に、突然氷の壁が立ちはだかった。なんだ、これあいつらの能力か。さっきは炎で今度は氷かよ。でもこれでやつらの視界が塞がった。
「先生!轟!」
「なにしてんだ半分野郎!攻撃してんじゃねえ!」
「切島!爆豪!」
「お前らなら彼女も話を聞くはずだ!」
新しい声が聞こえた。また、また増援。
背後から足音が聞こえる。緑の奴のほかに、さっき伸した奴が起き上がって一緒にこっちに来てる。露出女子も、つかまだ消えてないのか。
聳え立っていた氷が勢いよく溶けていった。氷解かせるとか聞いてねえよ、なんだよ、なんなんだよ。
『んだよ…ざけんなよ…』
いやだ、死にたくない、死ぬなら故郷で、私の知る世界で。
氷が完全に解けた。紅白饅頭と黒い男、ほぼ半裸の赤い髪の男と、目元を黒い布で隠した蜂蜜色の髪をした男。
「おまえをたすけにきた」
『…きみ、らは…』
間違い、じゃなければ、あの2人は。
「今度こそ!今度こそ!救けに来たぞ!」
何か訴えてる。何を言ってるか分からない。これは、本当に本物か?あんときと服は違う。そうだ、初めてコスプレみたいなの着てた奴は私を襲ってきて、こいつらも全然見た目違うけどそれに近い雰囲気を感じる。
本当に救けに来たのか?また、私に夢見させて喜んでるところを、落とすんじゃないか?
『…どうせ、嘘なんだろ……』
「今の、分かったか?」
「英語じゃないな、どこの国の言葉だ?」
怒りが、悲しみが、沸々と身体のそこから湧き上がる。雰囲気的に一番強いのは炎上男だ。その次は間違いなく黒い男。そして2人のうち視界に映り距離感が掴めるのは黒い男。ぐっと木刀を握りしめ強く念じた。黒い男の背後を瞬時に取りその膝に蹴りを入れた。態勢を崩したその背に膝を強く押し当てそのまま地に伏せさせた。
「相澤先生!」
左手で男の肩を強く押し付ける。男の首筋近くに木刀を力強く突き落とした。アスファルトを貫くことはできず、勢いはあったものの私の握力にも限界があり、右手は着き落とした勢いのまま右肩を殴った。頭を押さえていないせいで男は横向きに地に伏している。その右目は私を捉えていた。
私の視界は既に滲んでいて、ああ、これは死ぬな、とどこかで理解していたように思う。
『殺すならさっさと殺せよ!!散々人を弄んで楽しいか!!くっそ…だれが、こんな、ところで…くっそぉ』
もう駄目だ、こいつらを相手にするには1週間で怪我を負い過ぎた。それが目当てだったに違いない。最初から罠にハマってたんだ。その為の布石が、あの時の3人だったんだ。
両手から木刀を離し男の背中からも降りた。そのままどさりと地面に座り俯く。情けなくも涙は止まらずぼたぼた落ちていく。これから訪れる死への恐怖で身体が震えた。ガタガタ震える両手を滲む視界で眺めた。
『はは…自殺する勇気ないくせにな…殺されんのも怖いんだ…救いようがねえよ…』
「…戦う気はもうない、みたいだな…」
「…デク、メモ帳貸せや」
「え、あ、うん」
何か話している声が聞こえる。殺し方でも話してんのか、それとも順番にいたぶりでもするか。こんな傷だらけの女相手に乱交はまずないだろう。マニアックな奴じゃなければ。
視界に黒いブーツが映った。ああ、いよいよ処刑の時間だ。せめて一思いにしてくれ。ぐっと目を閉じその時を待った。
「おい」
肩に手を置かれたのが分かった。ビクッと身体を揺らす。誰が殺すんだろう、ちらりと目を開け視線をあげると、目元を覆っていた黒い布を取ったツンツンヘアーがいた。私が顔を上げると何か突き出してきた。あの、メモ帳だ。
「かえるぞ」
じっとその文字を見つめた。意味は理解できる。帰る…きっと、彼らの世界へ、彼らにとっては“帰る”んだ。私にとってそれは帰るじゃない。きっと二度と戻れない異世界旅行、神風特攻隊のごとく、方法は片道分のみ。
このままずっとこの世界にいるか、帰れるかも分からないこの世界で同じ日々を過ごすのか。それとも例え言語が通じなくても変な能力を持った人間が多くても、生きた人間が、私に敵意を向けない人間が少しでもいる世界へ行くか。
本当に覚悟を決めないといけないらしい
彼らは宣言通り救けに来てくれたんだ。私が違う世界から来たとも知らず、正義のヒーローよろしく襲い掛かった私に手を差し伸べてくれているのだ。
刑事ドラマやゲーム、漫画で出てくる足を引っ張るキャラになるなんて御免だ。私の事情を向こうが知らないのは当然なんだ。ここで駄々こねても仕方ないんだ。マシなんだ、この世界から抜け出せるだけでも、高望みなんてするもんじゃない。
メモを突き出したツンツンヘアーの、メモを持つその手を両手でつかんだ。頭を垂れここに来て初めて何よりの望みを言葉にした。
『たすけて、ください』
頭に何かが触れた。ぎこちなく左右に揺れるそれはツンツンヘアーの手だと分かった。子どもに撫でられてる、いい大人が情けないな…。