重たい身体に鞭打って
8
体育祭が終わった休日、漸く盗聴器が外された。相澤先生も立ち会い回収される盗聴器はやはり、あるだろうと思っていた場所にあった。相澤先生には「お前…よくあの中で生活できたな…」と言われた。
体育祭が終わり次は職場体験が控えている。親ありきという轟、ビビんじゃねぇとキレる爆豪。
「そこで今日はコードネーム、ヒーロー名を考えてもらう。適当なもんつけたやつは」
「痛い目みるわよ!」
ミッドナイト先生がタイミングよく教室に入ってきた。ヒーローを目指すみんなは一度は考えたことがあるらしい。…考えたことねぇや。
(ぱっと思い浮かんだのはあれだけど、個性を考えれば…まどマギからとってマギカとか。いや、個性言って無い今「なんで?」って聞かれた時困るな…)
飛ばさないようペン回ししながら考える。後ろから見えるみんなの頭。隣のいない一番後ろはいい席だ。考えたことがあると言っていただけあって、殆どペンを置いていた。そして、人知れず固い空気を出す飯田。インゲニウムの件はクラスメートが騒いでいたから知ってる。飯田がその弟だというのはよく分からんが周知の事実だった。
考えた結果、やはり真っ先に思い浮かんだものにした。
(…そういえばこれ、発表だったじゃん…)
青山の短文ヒーロー名から始まり大喜利の雰囲気をぶち壊してくれた推しキャラ蛙吹。流石です。そのあとポンポンとテンポ良く発表、先生の一言をもらう。盛り上がってるところでいくより、一旦落ち着いたところで生きたいな。そんで出来れば緑谷より前。
「ショート」
「名前?いいの?」
「ああ」
轟が発表する。それにより一旦落ち着き、続いて思いつめた顔を隠しながら飯田が「天哉」と発表した。
「残るは爆豪君、緑谷君、柳さんね」
「あ、はい」
緑谷より先に発表させてもらおう。席を立ち教壇に立つ。…うっわ、なんか「どんなヒーロー名だろう」みたいな期待感の視線が…。
「私のヒーロー名は、これで」
「…如月?」
切島の様に尊敬しているヒーローから取ったでもなく、他のみんなみたいに個性由来でもなく、轟や飯田のように名前でもなく。だから余計に不思議だったのだろう、みんなの不思議そうな視線を一身に受ける。
「理由を聞いてもいいかしら?」
「(言わなきゃダメなのか…)尊敬してる人の苗字がそれだったんで」
如月。私の旧姓、10年前まで名乗っていた苗字。尊敬していた人から取ったんではない。これしか両親との繋がりが無いのだ。幼く親族のいなかったから施設に引き取られたわけだけど、子供の私が両親の墓を管理することはできない。だから両親の遺体が葬式後にどうなったのか知らないのだ。「事件でショックを受けているだろう」という配慮から葬式すら出ていない。家に会ったものも全て処分されたから形見もない。
ダメですかね?と自信なさげにミッドナイトに問えば、「その人に気付いてもらえるといいわね!」とコメント頂いた。合格らしい。
その後は緑谷の発表が続き、授業が終わるまで爆豪の発表とNGを出しまくるミッドナイトの掛け合いが続いた。
「柳、職員室に来るように」
指名のあった生徒に指名表を渡し終えた相澤先生は私を呼んだ。轟と爆豪は流石の束だな。呼び出しに心当たりが無く疑問符を浮かべつつ、席を立った。
「お前に2件、指名が入っている」
「…おっとぉ?」
第1種目で落ちた私に指名とは…。しかし、なるほど、それなら呼び出されるのも頷ける。トーナメントまで行ったのに指名の無かった人を考えればおかしすぎる話だ。指名表をもらい、書かれていた2件にビシィと身体が固まった。
「…いやちょっと意味が」
「どちらも柳の事情を知っているプロヒーローだ。知っての通り実力は申し分ない」
「いやいやいやいや、いや?いやいやいや」
「落ち着け」
エンデヴァー事務所
ベストジーニスト事務所
何でよりによって轟と爆豪が行く事務所なんだ。特にエンデヴァー、
「頭沸いとんのか…」
「中々失礼だな」
「100歩譲ってベストジーニストは、まあいいとしますよ。エンデヴァーとか、体育祭で衝突したんすけど」
「エンデヴァーさん相手に何やってんだよ…」
「すげぇな女子リスナー」
あの後だぜ、人んち来んなやとか言ってたアンタが何でそういう。いやマジで意味分からん。
「エンデヴァー事務所何て行こうものなら色んな意味で飛んで火にいる夏の虫っすよ」
「上手いこと言うな」
クソ野郎はエンデヴァーを憎んでいる。だからこそエンデヴァー周辺は危険だ。
「俺としては、実力も実績もある、事情を知っているとこに行ってもらいたいと考えている。そうでなくてもトップヒーローの元で体験するのはまたとない機会だ。諸々置いといて考えても悪くはないと思うぞ」
「…そっすね…そしたらベストジーニスト一択で」
40件の事務所を調べなくてよかったと喜ぶべきなのか、この後起きる保須事件にまず関わらないことに安堵すべきなのか、爆豪と同じ事務所ってことにため息を吐けばいいのか…。
「んで猫被り女と一緒なんだよ!!」
「その呼び名、学校で呼んだらぶっ飛ばすから」
どこまでついて組んだゴルァ!とキレる爆豪にどこまでもと真実を伝えてはいたが、ベストジーニストの事務所前で同じく立ち止まった私に、ようやく理解したらしい。
「てめぇさっさと落ちたじゃねぇか!」
「お前ほんとうるせぇな…」
素の口調がバレてる爆豪相手にクラス用の顔を使うと気持ち悪い顔されるし、他にクラスメートがいない場ならそもそも被る必要ないなと気付き、爆豪と2人きりの時は素で接することにした。事情を知っている先生たち相手も素だし、まあいいだろう。相手が爆豪だから、というのがある意味一番デカい。人に言いふらさない上にズケズケと相手の懐に入ってこない彼だからこそである。
事務所に入り風読みを解除する。ここに来るまでの道のりが学校までの道のりより長いから幾分か疲れた。
ベストジーニストに「君のことは嫌いだ。だが矯正し甲斐がある」というような発言を受けあからさまに「来るべきところ間違えた!」と嫌な顔隠さない爆豪に呆れる。
職場体験で家が遠いものは近くのホテルに泊まる。学校が用意してくれたホテルだ。とはいえ流石に部屋の指定まではできなかったようで、爆豪とは隣同士になった。
「煩くしたらぶっ殺す」
「しねぇよ」
むしろこのキャラで騒いだら頭イカれてるだろ。呆れて爆豪を見上げる。
部屋に入り大して持ってきていない荷物を広げる。体験中はヒーローコスチュームだ。だから一応の私服と寝るとき着ているTシャツハーパンしか持ってきていない。風呂に入りさっさと寝てしまおうとベッドにもぐりこんだ。
翌日。行き場が同じなので必然的に爆豪とナカヨク事務所に向かった。そして朝礼っぽいものが終わると、私だけ別室に呼ばれた。
「指名手配犯、リミットボンバーの消息は未だ掴めずの状態だ」
入って早々言われた一言に身構える。今までクソ野郎に関わる会話をしたのは、相澤先生、プレゼント・マイク、根津校長とオールマイトだけだ。学校外のヒーローにその話をされるのは初めて。
「脱走して10年も消息知れず。そもそも指名手配したところで見た目が変わっていたら見つけるのは至難の業だ」
そうさ。あのクソ野郎の見た目は、両親が死んで間もなく変わったさ。公開されている写真は意味のないもの。
「つまり、リミットボンバーの最後の手がかりは…君だ」
「………………」
「そう警戒しないでくれたまえ、如月。安心しなさい。ここにいる間は僕が、僕たちが必ず守るよ」
「…巷の女性が聞いたら騒ぐような台詞っすね」
「はは、君は騒がないのかい?」
「今一ピンと来ないというのが本音です」
精神年齢貴方より上なんで。それ差し置いても歯の浮くような台詞はあまりピンと来ない。
「…改めて、よろしくお願いします、ベストジーニスト」
「こちらこそ、よろしく」
「…くっ」
「笑ってんじゃねぇぞ猫かぶり女ぁ!!」
意地でも8:2分けにしようとするベストジーニスト。爆豪が何だかんだ大人しくしているのは分別がついているからだろう。
「ニアッテルヨ」
「思ってもねぇこと口にすんじゃねぇ!」
事務所内だからゴーグルは首にかけたまま。頗る不満そうな爆豪と己のプライドにかけ矯正しようとするベストジーニストのやり取りが面白くて仕方ない。
漸くガッチガチに固まった8:2分け爆豪と、ベストジーニストと3人で市内パトロールに向かう。ゴーグルを掛け、マフラーを鼻元まで引き上げ顔が分からないようにした。胸は限界まで潰してるから余程近づかなければ背の低い男に見える筈だ。
「あー!雄英体育祭で縛られてた人だー!」
素直な子供の指さしが容赦なく爆豪の癇に障る。ガンを飛ばして「ア”ァ”!!」とこちらも容赦なく子供を睨みつける。それをベストジーニストが「やれやれ」とため息つきながらヒーローとはと諭そうと…あれ、数日前にも似たような光景だったな?デジャブを感じその光景を眺めながら正面から来た男性の邪魔にならないよう避け、ようとして鼻腔を掠めた匂い。
(…この匂い…)
ガシッ
「!?な、なんだてめぇ」
通り過ぎようとした男性の右腕を逃がさないように掴む。手に持っているのは黒いクラッチバッグ。魔眼でその中を見れば、過去に見たものと同じもの。
「……よく入手できましたね、スノーフィリア」
「「!!」」
ベストジーニストが息を飲む。言い当てられた男は腕を振り払い殴りかかろうとしてきた。躱せば背後にいる爆豪に当たるかな。しかし流石トップヒーロー。私にその拳が当たるより前に、個性で男の身動きを封じた。
男が殴りかかろうとした姿を見た子供はビックリして脱兎のごとく逃げていった。そして爆豪は状況が読めず苛々しながら聞いてくる。
「おい、なんだ、どういうことだ」
「話は後だ」
ベストジーニストはそのまま男を拘束し、カバンを回収した。男は相手がベストジーニストであることに諦めたのか、「んで分かったんだよくっそこのガキが!!」と私を罵りながらも逃げる様子はない。ベストジーニストはカバンの中を開けた。片手でスマホを操作し耳にあてている。ふわりと甘い匂いがする。爆豪はそのカバンの中を覗き見た。流石にベストジーニスト相手のせいか奪ってみることはしていなかった。
「これ、薬、か…?」
「…もしもし、ベストジーニストです…」
ベストジーニストが違法薬物を所持していた男を拘束したと警察に通報。運よく見回り中のパトカーが直ぐに駆け付け、男は連行された。
「いやぁ凄いですベストジーニストさん!よく分かりましたね!」
ベストジーニストは私をちらりと見て「偶然ですよ」と言葉を濁した。
その後の市内パトロール中は、2人ともTPOを弁えている様で先ほどの件は口に出さなかった。しかし事務所に戻るや否や、爆豪が突っかかって来た。
「てめぇは何であれの中が薬物って分かったんだ」
「匂い」
「違法薬物なんて普通に過ごしていれば目にすることは無い。君はあれが薬だと分かった上に、薬の名称まで言ったね」
「ベストジーニストはあれ見たことあったんですか?」
「名前だけは知っていたが実物を見るのは初めてだったよ」
何故知っていたのか。それが聞きたいのだろう。私は意図が伝わるよう胸元を掴んだ。
「知りたくて知ったんじゃないんすよ」
ベストジーニストは額に手を当て、「まったく、ゆるせない」と零した。
「意外だね」
ホテルのエレベーターで2人きり。猫かぶり女はポソリと言った。
「あぁ?」
「てっきり聞いてくるかと思ってた」
ベストジーニストと猫かぶり女が俺を置いて2人で勝手に完結していたのは腹立たしかったのは事実。
今朝別室に呼ばれベストジーニストとこそこそ何かしていたこと、そもそもさっさと脱落したこいつがベストジーニストから指名を受けていたこと、エンデヴァーとこいつの会話、オールマイトがクソデク程じゃないが気にかけるような視線を送っていること、もっと言うならヒーロー名決めで「如月」と言った時の相澤先生の反応。それらの要因は全部同じだと俺の勘が言っている。
そもそも俺はオールマイトを超えるトップヒーローを目指してる。こんな雑魚女に興味はない、はずだった。
「聞いててめぇは答えんのかよ」
体育祭でエンデヴァーとの会話を聞いてからあいつの様子をよく見てみれば、その立ち回りが如何に巧妙かよく分かった。恐ろしい程空気。会話に入らねぇわけじゃねえ。ただ、自分から行くことはほとんどない。そして同中だとかいう半分野郎にすら壁を作っていた。そして壁を作られていることを誰も気付いていない。きっとこのまま卒業すればこの女の記憶はほとんど残らないだろう、そんな立ち回りだった。例の会話を聞いていなければ俺も気付かずに過ごしていただろう。計算高い女だ。
半分野郎みてぇな話だったら「てめぇの事情なんざ興味ねぇ!」と吐き捨てた。
─卒業までに終わらなければ、潔く死んでやる─
エンデヴァーの圧に、悔しいが俺は少なからずビビった。オールマイトの次をいくプロヒーロー。No.2は伊達じゃない。だというのにあいつは一切気に留めず笑った。からのこの言葉だ。少なくとも現在進行形で命に係わる問題がこいつの身に起きている。それをプロヒーローが、しかもトップレベルのヒーローが認知しているということは、相当な問題の筈だ。
「…やっぱり、思った通りだな、爆豪は」
「どういう意味だ」
「こんなこと言われてもう私に言われても嬉しくないだろうけど、私はクラスで一番お前を買ってるよ」
「随分上から目線だナァ?」
チン、とエレベーターが鳴り目的の階に止まる。部屋が隣のせいで結果的に並んで歩くことになる。
「スノーフィリア、気になるなら部屋に来なよ」
ポケットからカードキーを出した猫かぶり女は俺の反応を待たずガチャリとロックを解除し扉を開ける。半身を部屋に入れ、ちらりと俺を見た。舌打ちと共に左手を小さく爆発させ、猫かぶり女を押し中に入った。
「言っとくけどな!後学のためだからなぁ!」
「分かった分かった」
猫かぶり女を押しやり奥へ入る。備え付けの椅子にドスンと座り睨み上げる。
「スノーフィリア、ってのは別名。脳を興奮させるタイプの薬物、コカインの一種なんだ。見た通り白い粉末状の薬物で、使用方法は水に溶かして飲むだけ。甘い匂いが特徴的だけど味自体はしない。入手が難しい薬でね、ググっても出てこないくらいには表に出てこない薬なんだ。ただのコカインなら高揚感だのテンション上がるだのだけなんだけどね、スノーフィリアってのはそれに加えて媚薬効果がある。そのせいか需要は男性の方が高い」
「…ググっても出ねぇって言う割に、てめぇは恐ろしく詳しいな。ベストジーニストすら現物は初めて見たんだぞ」
「……今思うと良くメンタル持ったなって思うよ。思い返して、いや思い返したくないけど、男性恐怖症になってもおかしくなかったよな」
遠く、学校じゃ絶対しない、薄暗い目。そんなの、
(レイプされたのかよ、こいつ…!!)
聞かなければよかった、なんて、今更後悔しても遅い。
「…あぁ、ごめん、何か口滑った。悪い」
絶句した爆豪にやっちまったと後悔する。思わず、本当に思わず、言ってしまった。媚薬効果あるって言った後に男性恐怖症に、なんて言えば頭の良い爆豪なら私の身に何があったか、理解するのは容易だろう。
(性教育受けて間もない子供が聞く話じゃあねえよな。あー、やっちまった)
事情は知らないけど素を隠さなくて済む相手、気が緩んだ。相澤先生たちからは聞かれなかったから答えなかった、10年間自分の身に起きていた諸々。その一部を、一部の中で最も人に知られるのが憚れる内容を、よりによって16になりたての子どもに聞かせてしまった。
(やっぱダメだな、気を張っとかないと)
「素の口調で話していいって思ったら気が緩んだ。マジすまん」
未だ何も言わない爆豪に愈々焦る。いやここで何か言われてもあれなんだけど。
「…明日もあるし、もう寝たほうがいいんじゃないかな」
頭を振って空気も口調もクラス様に変える。爆豪は勢いよく立ち上がると私に詰め寄って来た。
「…今は、大丈夫なんかよ、男」
「君が気にすることは無いよ。大丈夫じゃなかったら部屋に入れてないでしょ?」
「っ気持ちわりぃ喋り方すんなや」
胸ぐらを掴まれ壁に押し付けられる。押し付ける強さはそこまでではなく痛みはない。爆豪の赤い瞳が真っすぐ私を貫く。
「猫被ってるって分かってからてめぇの話し方が一々ムカつくんだよ。気が緩んだ?あ?てめぇが隠してたもん聞いたのは俺だ。てめぇが謝んのはお門違いなんだよ」
これは、慰められてるんだろうか?
「まるで私を受け入れてくれてるみたいな言い方だね」
爆豪はパッと手を離した。しわしわになった首元の服を正す。
「……チッ」
「何で舌打ち」
長い長い沈黙。不機嫌な表情で私を睨むように見つめてくる爆豪。それをどうしたもんかと困惑しながら見つめ返す私。やがて爆豪は盛大な舌打ちと共に右手を小さく爆発させると、部屋の扉に向かった。その背を見ていると、一応聞こえるくらいの声量で
「……話し相手ぐれぇには、なってやるよ」
と言い逃げして部屋を出ていった。
「………え、ツンデレ?」
爆豪がよく分からない。ただ、拒絶も否定もされなかったどころか距離が近づいてしまった事実に、嬉しさのあまり相澤先生にメールを打つくらい私のテンションは荒ぶっていた。