表と裏

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「物好きだね、まあ、嬉しいけど」
 赤くなった顔を隠すようにそっぽを向いた理桜の頭を鷲掴み、ぐるりと回転させ無理やりこちらに向けた。いてぇと顔を歪めているのは無視だ。
「この俺が仕方なく守られてやるって言ってんだ、お前は何も言わず俺を守ってりゃいいんだよバァカ」
 家が近い、これまで同じクラス、登下校のルートがほぼ同じ。度重なる偶然の結果、霊力は変わらず持っていないのに影響は受けるようになってしまった。今から離れればまだ間に合うと言ったのはこいつだ。こいつを世話しているという本間夫婦にも「安全な日常生活を送りたければ一緒にいない方がいい」と、ご丁寧に忠告しに来た。
「新手のジャイアンかよ」
 滅却師を誇りに思っているらしい理桜は傍から見るとただの不良児だ。遅刻欠席早退は日常茶飯事。何かと怪我を負って登校しては、極力巻き込まない為にか他人と距離を取る。
 遠回しに傍にいていいという意味は伝わったようで、仏頂面しか見たことなかった理桜は困ったように笑っていた。


 1人自主練をする真を眺めること1時間。漸くメニューが終わったらしく、散らばったボールを片付け始めた。手伝う理由はないので全く分からない課題に再び目を向ける。うん、分からん。
「なんで数学に英語とかギリシャ語でてくんの、意味不」
「そんな簡単な問題も解けないお前の頭の方が意味分かんねえよ」
 碌に勉強を受けていないせいで中2の復習問題が解けない。多分中1の復習からしないとだめだわ。私の数学の記憶はxの登場で終わってる。どこからyが出てきたのか不思議でしょうがないし、挙句sinとかθとか出てこられちゃお手上げだ。θも最初読めなかったからね、真は一周回って笑うのではなく残念そうな憐みの目を向けてきたのはそんなに昔のことじゃない。
 そんな中突然体育館の扉が開いた。もう生徒は殆ど、つかみんな帰ってるだろうくらい遅い時間なのに空けて入って来たのは男子生徒だった。
「チッ、なんでアンタがここにいるんですか」
 忌々しそうに舌打ちをして入って来た男子生徒を睨むように、というか睨む真。敬語ってことは先輩か。高校受験は数日前に終わって、3年生は卒業式の予行練習の為に登校しているようなもんだ。こんな時間に居残る理由なんてない。先輩はニヤニヤ何考えてるか分からない笑みを浮かべながら私を見てきた。
「いやなぁ?加藤先生から“優等生の”花宮と幼馴染とは思えない不良児がおるって聞いてなぁ、もしかせんでもアンタのことやろ」
 優等生のと言う言葉を態々強調するあたり故意を感じる。あ、なるほど、真の嫌いなタイプだわ。
「別にタバコ吸ってないし酒も飲んでないんだけどな…」
「どんな子かと思たけど、案外普通そうな子やな、怪我を除けば」
 頭の包帯と頬のガーゼはどうしても人目を引く。頭部の怪我を色々と勘繰られるのは慣れている。虐待説は流石に無くなったけど代わりに出てきたのは他校に喧嘩売ってるだのヤンキーのドンだのしょうもない噂ばかり。まあどうでもいいけど。
「自分、名前は?」
「人に名前聞く前にってよく言いますよね」
「せやな、ワシは今吉翔一、花宮の先輩や」
「東條っす。流石真、先輩も癖が強い」
「あ?喧嘩売ってんのかてめぇ」
「幼馴染なやけあって猫かぶりしてへんのな」
 真の猫かぶりは素を知っている分うすら寒いものを感じる。いっそ恐怖だ、屍人の方が可愛く見え…ねえな、うん。
 悪態をつきながらもボールを片付ける手を止めない真を横目に、私も課題をカバンに片づけた。センパイは一緒に変えるつもりなのかニヤニヤしながら壁に寄り掛かって真と会話を続けている。
 ざわり
「!」
 それを感じたのは一瞬だった。じいちゃんの見舞いに行かず真を選んで正解だったぜ。即座に立ち上がりセンパイが開けたままだった体育館の扉を閉めた。
「東條ちゃん何してん?」
「ねー真―、センパイと積もる話あるよねー」
 真に目を向けると露骨に嫌そうな顔をした。しつつも私の行動の意味を理解して、これまでで一番デカい舌打ちをして「そーだな」とこれまた面白い程棒読みで答えた。糸目のセンパイが分かりやすい程目を見開いて驚いた。開眼とかやめろよ、こええわ。
「じゃあ15分くらい、席はずすねー」
「さっさとしろ」
 一度扉を閉めたのは既に裏の世界となってしまった扉の向こう側と明確な線引きをするためだ。外から突然中に入ってくることはこれでとりあえずない。ポケットに突っ込んでいた携帯電話を真に投げて体育館を出た。扉を閉めて、結界術をしっかり貼る。これで屍人が体育館に入ることは不可能。生きている人間が開けない限り安全地帯だ。
 通っている中学だ。地形は完璧に把握しているから探索に時間はかからない。15分と態々言ったのはそれが理由だ。
「やだなー、今日の夕飯そぼろ丼なのに」
 お陰様で肉料理は苦手。一日見なければ食べられるけど見るとちょっときつい。真に言われた通りさっさと終えるべく走り出した。武器なくたって戦えるさ。


 キャットウォークの窓から見える空は真っ黒だ。真っ暗、ではなく、真っ黒。いつの間にというのが率直な感想だった。そしてここあちらに変わった瞬間を察知した理桜の勘は相変わらず鋭い。
「ほんでどんな積もる話してくれるかな~ワシの可愛い後輩クンは」
「きめぇ」
 積もる話なんざ当然ないし「ワシの」「可愛い」と言う点について激しく抗議したい。そして理桜とは違う意味で勘の鋭く柔軟な頭を持つこの男は、携帯を開きながら問うて来た。
「東條ちゃんがどこかへ行ったのも花宮にワシを足止めするようにしたのも、外が“真っ黒”で携帯が圏外、時間が進んでおらんことと関係あるんとちゃう?」
「…受け入れる早いですね」
 初めて自分がこの奇怪な現象に巻き込まれたときは外だった。だから直ぐに様子がおかしいことに気付いたし、直後に現れたアレのせいで認めざるを得なかった。今ここは体育館、キャットウォークから見える外は暗いというより黒いだが視界の背景として捉えれば気にならない。理桜が出て行ってからまだ1分も経っていないのに時間が進んでいないということにも気づいた。やはり侮れない男である。絶対桐皇には行かねぇ。
「ほな、説明たのむで」
 説明する義理は当然ない。しかしこの男のことだ、俺が言わなければ理桜へ聞くだろう。そして理桜は性格の合う合わないに関して俺と同じ傾向にある。しかし理桜の登校日数は恐らく学内最低だ。まもなく卒業するこの男が理桜と会うことはまず難しい。仮に会えても説明を面倒くさがる理桜は「後輩に聞けばいんでね」とでも言って俺に押し付けるのが目に見えている。つまり、ここで説明するのが一番手っ取り早く効率的だ。秒も満たずその結論づけ渋々説明をした。


 自分が、というより花宮が通う学校だから事前に周辺の情報はチェックしていた。周辺の情報ってのは要するに学校の敷地含め死者が出ていないかということ。更に事件なのか事故なのか、死んだ本人が生者に強い感情を持つような人間か等々…。幸いなことに病死はあっても屍人になり得る死者がいなかった。だから碌にチェックしなかったツケが回って来たらしい。この近辺ではなく別の場所で死んだ屍人が紛れ込んでしまっただけのようだった。引き寄せられるかのように集った屍人も余すことなく消滅させてしっかり15分後に、体育館の結界を解いて中に入った。
「お、東堂ちゃんお疲れ」
「は?い?ああ、はいどもうも」
 何だか知った風なセンパイに疑問符を浮かべながら真を見ると「話した」とだけ帰って来た。真が話す相手なら話して問題ない相手ってことか。真にとってよろしくしたくないタイプに見えるけど信頼はしてるんだな。
「怪我はしてねえみてぇだな」
「自分の世界確立できないような三下相手だからねえ」
 死んだ魂に対して失礼かもしんないけど、強い屍人であればこんな風に全く関係ない人間を巻き込むようなガタガタな世界を作るわけがない。武器なしで倒せたのもそれが大きい。
「しょっちゅう怪我してくるってのはそういうことやったんやな」
「まぁ…そっすけど…」
「なんでこんなワシ警戒されてるん?」
「妖怪だからだろ」
「人間やで?ひどいわ~」
 飄々として掴めないセンパイは一緒に変えるつもりが無いらしく、そんで話を聞いたらしいのに肝が据わってるのか1人で帰っていった。昔の真ですら1人で帰られなかったのに…。
「変なこと考えてねえだろうな」
「昔の真はかわいかっいてぇ!」
「気持ち悪いこと言ってんじゃねぇよバァカ」
 いい音を立てて叩かれた頭を擦る。傷口には触れないよう考慮しているんだから、俗にいうツンデレって言う奴だと思う。