楽観主義
9
…やっばい…やばいやばい…。
睡眠不足に苛々がたまった挙句…降谷さんに…ぶちまけたった…
「おおおまいがああああああ!!!!」
覚醒した頭をそのまま枕に叩きつける。ボスボスと枕が潰れた。
何て言ったよ、え?…なんか言葉遣い悪かった記憶あるぞ…お前とか…言ったよあなあ!?利用してるだのなんだの言ったよなああああ!!!
「…いや、うん、これで姉ちゃん見つかるなら、安いもんだ、うん…安いよね?…」
とにかく謝罪は入れないと、スマホは…あ、昨日カバンに入れてそのままか。起き上がって目に入ったデスクにのキーボードの上に何故か付箋が置いてあった。見てみると降谷さんから…一言…。
「…いや、なんで?…あ、情報提供か」
感謝を表す一文に何言ってんだ?と思ったけど、情報を、だよな。…これは永久保存版だな。付箋を使っていないクリアファイルに挟む。そして今度こそ寝室から出た。
ソファに投げ捨てられたカバンからスマホを漁り出す。…相手は降谷さんでいいよな、安室さんではないよな。両方送っとけばいいか?
<昨日は直ぐに寝てしまってごめんなさい!次はご馳走しますね!>
<昨夜はみっともない姿を見せました。加えて暴言を吐いてすみませんでした>
これはもう協力関係とか、なしになるかなー…。なるよなー…。なるわな…。
降谷さんも安室さんも協力をもう得られなさそうだし、自力で探すしかないか…。
もし本当にコナン少年が姉の居所を知っているなら、近くに行くのが一番手っ取り早い。ただ彼の行動範囲内で生活しないようにしたせいで、あちらに行く理由がない。それこそ安室さんを口実にすればポアロくらいは行けるけど…。あの後だしなー、気まずい、そんで降谷さんも絶対めんどくさいだろ。どうしたもんか…。
部屋に籠ってると余計に気分が落ちる。一旦外に出よう。米花は遠いけど杯戸は比較的近い。犬も歩けば、っていうし。
昔捻挫してから変な癖がついて、私は左足を挫きやすい。姉が「えぇそんな教科書くらいの段差で…」と言われたり、体育の先生に「まだ準備運動…」と呆れられるくらい、些細な段差でも挫きやすい。
歩道橋を通り過ぎようとしたその時、下ってきた子供が足を踏み外して落ちそうになっているのが見えた。反射神経は地味に良いおかげで、咄嗟にその子の下敷きになることに成功した。引き換えに思いっきり足をぐねった。
「すみません!!大丈夫ですか!?」
数段上にいたお母さんらしき女性が蒼い顔をして降りてきた。私の腹に乗っかる子供は、大体小5くらいかな、落ちたことにまだ実感がわいていならしく、目をぱちぱちしていた。
「少年―大丈夫かーい?」
「うん」
「ゆうくん、大丈夫?すみませんお怪我ないですか?」
左足に負荷を掛けないよう少年、ゆうくん?を立たせ自分も立ち上がる。
「大丈夫っすよー。少年は痛いところない?」
「ゆうくん大丈夫?」
「大丈夫だよ!…えっと、ありがとうございます」
ちゃんとお礼言えるなんて…なんてええ子や…ええ子すぎる…。
「本当にすみませんでした」
「いえいえ~。怪我がなくて良かったです。子どもの内はどんな怪我が後に響くか分かりませんからね」
「なんとお礼をしたらいいか…」
「お気になさらず!少年を助けたって言う名誉がお礼みたいなもんなんで!あはは」
ぺこぺこするお母さんとありがとー!と元気よく手を振る少年を見送る。
2人がこちらを見なくなったところで漸く、左足にゆっくり体重をかけてみた。うん、痛い。久々にしっかり捻ったっぽい。
あんまりバス乗らないからバスは分からん。でもこれで家まで帰れるかなー…。素直に病院行った方が良さげか。タクシー…乗るほどお金はない。平然を装って歩道の脇まで歩く。道のど真ん中で突っ立てるのは流石に目立つ。スマホを取り出してここから病院までの経路を調べた。…そっこそこあるなぁ…。しかもバス停ここから10分くらい歩かないとないのかい…。
(最終奥義使うかー?えー、昨日の今日で?うーん、ポアロに行くよりめんどい奴じゃねそれ)
ちょっと迎えに来てよって言える相手がいねえんだよなこういう時。
偶然かどうか分からない。視界にあの少年の姿が入った。近くには、こっちは偶然じゃねえな、沖矢昴の姿。思わずピッと同じ苗字に電話をかけていた。
人間の視界は190度って言われてる。空を見ているように見せかけて視界の端に確実に少年をおさめた。少年は、慌てたようにポケットから何かを取り出した。
『どうした?』
そして電話越しに聞こえたのは…姉の声。
「いやさー、例によっては足を挫いちゃって、歩けるくらいに回復する治療方法知らない?それか何時になってもいいから迎えに来てよ」
『いやいや、仕事終わるの遅いし』
「だよねー。相方にかけようかなーって思ったんだけど、仕事忙しいみたいでさー」
『相方?』
「あ、言い忘れてた、実は…何と…できましたよ彼氏というやつが!覚えてるかな、ほら、前に米花の喫茶店行ったじゃん、くっそイケメンのいたところ」
『ああ、あそこ。彼氏仕事忙しいんだ?』
「どうもどうも。何か忙しそうだなーって思って、というか未だにあんなイケメンがって思うと電話かける前に興奮で死ぬる」
『あ、そう。…今どこにいるの?』
「えっとね、杯戸のカルミヤって店の近く。前一緒に行ったあの雑貨屋んところ」
勿論、一緒に行ってない。
『ああ、あの入口が花でいっぱいのところね』
「そうそう」
私の中でこれで確定だ。まずカルミヤに2人で行ったことはない。そして、あの店の入り口はいつも花でいっぱいなわけじゃない。過去に1人で来た時は星だったりハートだったり、時期もあってか笹のときもあった。今入口が花でいっぱいって分かるってことは、最近ここに来たか今見ているかのどちらかだ。
『丁度その近くに、友達がいるんだけど、友達にお願いして病院連れてってもらいなよ』
はいダウト―!うちの姉は人を顎で使える友人はいませーん!!友人がいないんじゃなくてそもそも姉が顎で使いませーん!そして私は顎で使うどころか友人がいませーん!と心の中で確かな勝利を確信しつつ返事をした。
「いやそれは流石に申し訳なくね?」
『その人イケメンだよ』
「ありがてえ」
……私が面食いって知ってるのか。多分タイプ的には園子嬢さんに近い。彼氏はいるけどイケメンに目がない。そう思われてるんだろうな。
『沖矢昴って言う人。んじゃあ連絡しとくね』
「あざっす!!!」
ピッと通話を切った。ここで少年は過ちを犯していることに気付いているかな?名前こそ聞いたけど、今の私の服装を姉は知らないわけだ。そして私自身も沖矢昴の見た目をイケメンってことしか知らない。勿論私は実際にも初対面だからそういうそぶりをするけど、相手はこれで私が東條夕だって確かに認識しているわけだ。
例え視界に入っていても電話してすぐに来るなんてことは無いだろう。その隙に降谷さんにメールを送った。
<杯戸、カルミヤ付近、沖矢昴と接触します。姉を装った人間により。一旦こちらの連絡先消します>
送るだけ送り、電話帳から降谷さんを消した。メールは普段から来る度送る度に消していたから大丈夫。今回も送信後にメールを消した。バス停を探すためにつけたGPSはそのままつけっぱなしにしておいた。どうせ降谷さんのことだから、私が知らないうちにこのスマホにGPS探知のアプリかなんか入れてるだろ。…帰ったら調べて見よ。
スマホをぽちぽち弄っているだけだから、傍から見たら人を待っているように見えるはずだ。電話から10分ほどしたときだろうか、私の前に1台の車が止まった。出てきたのは、沖矢昴。態々車を取りに戻ったんだな。
「東條夕さんでしょうか?」
真っすぐこちらに来て声をかけてきた沖矢昴。確かにイケメンだ。出会いが違えばもっと興奮してただろう。でも中身赤井さんなんだよな。そう考えると…ダメだ、今は滾れない。
「うお、イケメン…じゃなくて、どちらさんでしょうか?」
一応初対面、ぽろっと態と漏らした感想に首を振って、精一杯の訝し気な目で沖矢さんを見上げる。
「ああ、瑠依さんからお願いされて来ました。沖矢と申します」
「…姉の、友達?え、くっそイケメンじゃんずりぃ。じゃなくて、態々ありがとうございます!いやー姉がパシってすみません」
「いえいえ、お姉さんとは仲良くさせて頂いていますから」
…ほー?仲良く、ねぇ?
「足を挫いたと聞いていますが」
「そうなんですよー、昔っから足怪我しやすくって」
別に我慢する必要ないな、と足を引き摺って歩こうとしたら、なんと、姫抱っこされた。びっくりしてスマホ落した。
「へあ?」
「悪化させてはいけません」
ポカンとする私を放置して沖矢さんは私を助手席に乗せた。とりあえずふぁああみたいな声上げといたけど、おかしいね、全然ときめかねえ。沖矢さんは落ちたスマホを拾って私に渡してくれた。
私はお礼を言いつつスマホをカバンにしまった。
「こんにちはお姉さん!」
後部座席にはヨハネスブルグ米花の救世主であり全ての元凶ともいえるコナン少年がいた。
「お姉さん、まえポアロに来たお客さんだよね?」
「おー?お?行ったことあるけど、少年と会ったっけ?」
「僕、ポアロの上の階にある毛利探偵事務所に住んでるんだ。あの日、お姉さんからクリスのアプリ見せてもらったんだけど」
「…ごめーん、ちょっと覚えてないや…いや、いたような、気がする?」
勿論覚えている。あれがコナンキャラとの初エンカウントだったから。しかも主人公と最推しともなれば忘れるわけがない。
「病院へ行きますよ」
「なんかほんとありがとうございます。お礼、お金でいいです?課金すればいいですか?」
「お礼でお金を渡そうとする人は初めて見ますね。お礼なんていいですよ。そうですね、代わりにお姉さんをどうやったら落とせるか教えて頂ければ」
はっ、姉ちゃんがほしいのか?どういう意味で言ったか知らんけど、ぜってー渡さねえ。
「姉ちゃんが好きなんですか!?うっはぁ義兄さんになるんですかね?ヤバいテンション上がる」
「…お姉さんって、面食いだよね」
「イケメンと可愛いは何よりも正義だよ。家族にイケメンがいるとか、お母さんめっちゃ喜びそう」
うちのお母さんは面食いではないが、やはりイケメンには弱い。前世では姉が家に彼氏を連れて行こうとした時、「良いお茶買わなきゃ」って言ったらしい。自慢じゃないがうちの母は前世も今世でも可愛い。見た目だけじゃなくて中身が。私よりよっぽど女子らしい。
「ご家族に反対されないでしょうか?」
「沖矢さんがお酒飲めればとりあえず大丈夫っすよー。父が「旦那にするなら絶対飲める奴にしろ」って言ってたんで」
「そうなんですか。お酒は好きなので、お父さんとも気が合いそうです」
「…くっ、姉ちゃんやりよるな」
「先ほど瑠依さんから電話を頂いたとき、妹さんにも恋人ができたと聞いたのですが」
仮初の恋人。って分かってるけど、降谷さん、じゃない、安室さんが恋人って今思うとかなりおいしいんじゃない?レアじゃない?こんなんなくない?そう思うとニヤニヤが止まらない。というか本気で照れる。
「いやー!はは!うへへ、もうずっと夢見てる気分で!へへへ」
「何でも、そのポアロの店員とお付き合いしているとか?」
「それって、安室さんのこと?」
「そっか、少年はポアロの上に住んでるから顔見知りなのか。うへへ、そうなんだよー安室さん…ヤバい、にやけすぎて顔が死ぬ」
作っているにやけなのか素なのか分からないけど、もうちょっと落ち着こうとほっぺをむにむにさせ疲れをほぐす。何か後ろで呆れられた気がする。
確かに安室さんの言う通り、彼らの視線はあくまで安室さんに向いているらしい。その後の会話も基本安室さんに対してだった。
普段私は降谷さんと接しているわけで、安室さんと接したのは最初のポアロ、2回目に会ったときの自己紹介前まで、そして昨日だけだ。つまり、私が安室さんについて詳しく知らなくても不思議じゃない。安室さんについて、は。安室さんについて知っている情報と言えば、探偵をしつつポアロでアルバイトしていること、探偵業が結構忙しいこと、職業柄あまり人を自室に招けない事。一番最後はどっちかっていうと降谷さん混ざってるよな。
私は私で姉を狙うと言う沖矢さんから姉の情報を引き出した。どうやら姉はコナン少年とも知り合いらしい。沖矢さんとコナン少年曰く、姉は仕事が忙しく中々時間が作れないらしい。三國志を読む時間すらないと嘆いたとか。…確かに姉は中国史が好きだ。だから三國志を持っている。これは本当に姉から聞いた話なのか、それとも姉の部屋に行ったから知っている情報なのか。
探るのはデジタル世界だけでアナログ世界で探った経験のない私には大して情報を引き出せなかった。2人と口ぶりから「忙しいけど元気に過ごしている」としか分からなかった。
病院の診察が終わり、無事安定の捻挫判定をされ帰るときにその人は現れた。…この前廃車になってなかった?その車。…変なことは聞かんでおこう。
「あ、安室さん!?」
これマジでスマホにアプリいれてんな。電池の減り早くなるから消させてもらおう。何でもないような顔…にしては沖矢さんに対してやったらとげとげしい空気を放って安室さんはやってきた。
「やあ夕。堂々と浮気かい?」
「私の身も心も安室さんだけっすよ!リアル課金が許されるなら毎日振り込みたいくらいには!」
「…それはそれで嫌なんだけど」
「おや、あの時の宅配便の方じゃないですか」
すっ呆ける沖矢さんにまたも安室さんはきっと睨んだ。安室さんからすればもう沖矢さんと赤井さんはイコールだもんね。
「えぇその節はどうも。僕の彼女が随分お世話になったようで」
安室さんは沖矢さんの近くにいた私をぐいっとつかみ肩を抱いた。これはアカンやつや。
「いやん安室さんそんな、うへ、うへへ」
「夕、僕怒ってるんだけど」
「怒った顔も素敵ですね」
「どうもありがとう」
あ、こいつ話にならねえ、って感じでスルーされた。安室さんに…肩…抱かれ…ぐひひひ。
「ところで、どうして夕さんがここにいると?…まるでここに来ると分かっていたかのようですね」
「偶然ですよ。貴女がお姉さんに会ったのと同じように」
意味深な発言をする安室さん。流石に私ビックリするよそれは。
「え、安室さん、姉ちゃんと沖矢さんの出会い知ってるんですか?」
「ちょっとね。さて、彼女を家に届けますので、今は失礼します。…近いうちに、お2人にお会いするでしょう。その時に色々と、よろしくお願いしますね」
コナン少年が思わず表情に出るくらい意味深な発言を残して帰ろうとする。
なら、私も伝言を頼もう。
「あ、姉に伝言お願いしますー!」
「えぇ、いいですよ」
「…ローランにもローランサンにもならない、そう伝えてください」
大事なものを手放してしまった少年、復讐に燃えた戦士、恨まれ殺された蛮勇。私はそのどれにもならないし、なるつもりもない。
意味が分かって無さそうだが聞こえていたならそれでいい。言うだけ言って安室さんと病院を後にした。