楽観主義
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カレンダーを見ればその日はすぐそこだった。私は休みを取れたけど、姉は取れなかったらしい。姉と行くより前に先に1人で行くのがいつもだったけど、今回は私がその日に2人で行って、姉の休みの日に2人で行くか。医療系に進んでしまったがために自分の精神状態をコントロールできてしまった姉は、きっと平然とその場所に行けるんだろうけど、今あの家の鍵を持ってるのは私だから姉は入れない。というかまだ入れるつもりはない。
今週の予定を組んでいると降谷さんからメールが来た。土曜日にデータを渡すから調べてほしいことがあると言う。…ピンポイントだなー…。今週末逃したら1人でいけるタイミングないんだよなー……。というかできればその日は誰にも会いたくなかったりする。姉以外の、私のハイテンションばかり見てる人は特に。
(前後では都合悪いでしょうかっと)
流石に仕事(向こうはどう思ってるか分からんけど)のメールであのテンションはしない。いつものあのテンションからのこんな感じのメールだから、降谷さんに電話かかって来たよね。「文章は表情が見えない分気をつけてます、それにお遊びなわけじゃないですから、そこは分別をつけているつもりです」って答えた。こんな真面目にじゃなかったけどね、もっとふざけていつもの「ああ尊い…」みたいなテンションでそんなようなことを言った。
日曜日にずらしてもらえた。いやー忙しいだろうに申し訳ないや。でもそこ近辺は毎年休みとってるし、意地でも外したくないかな。
夕べ、一応降谷さんには一報入れておいた。今日は1日連絡が取れないって。何だかんだ一般人に手伝ってもらってるからってことで、私のスマホには降谷さんに居場所がバレるGPSがついてる。「降谷さんが私の座標を握ってるとか興奮する」って言った時のあの風見さんの表情は忘れない。風見さんそんな顔できるんですね、鉄仮面って思っててすみません。とにかく、どうせ降谷さんに場所は筒抜けだからあまり気にしなくていいっしょ。
「…たでーま…まいほーむ」
あの頃あった規制線はもうない。1年越しの実家。ポケットから出した鍵を使って家の中に入った。
リビングの床は相変わらず黒ずんでいるし、壁紙も結構悲惨なことになっている。あー、蜘蛛の巣張ってるわ。そりゃ1年に1度しか来ないしな…。
前世と違い今世は比較的裕福だった。私が海外留学できるくらいには。実家にいたみんなが死んでから1年後に私は事を知った。姉は第一発見者だったんだって。私だけがなーんも知らずに、海外で楽しんでた。
身に着けたハッキング技術で事件の詳細は知った。表向き、私は「海外留学から帰ってきたら姉以外の家族が殺されていて何も知らない」ということになってる。実際は全部知ってる。調べたから。殺害現場の写真も、家族の死体も、犯人も捕まってたって。でもこの現場を姉は生で見てたんだ。
ばーちゃんもお母さんもお父さんも、生きていれば今頃工藤新一と同じ17歳の弟も、ここで死んだ。
「…なんでこー、大事な時にいないんだろーね、私はさ……いっつも…」
最初はいつだったか。中学生の時入院してて、いじめられた弟が死にかけた時。次は高校で部活やら高校生活を謳歌してた時に母さんが実は事故に合っていたってこと。見える怪我がなかったから気付かなかった。そして、留学中のこれ。弟の件も母さんの件も姉は知ってたんだって。姉がいたから弟は自殺を踏みとどまったし、母さんも見えない怪我が表に出なくて済んだ。私はなーんも、知らなかった。
はたきと箒をもって適当に掃除をする。電気は通っていないから掃除機は掛けられない。掃除で必然的に見える壁や床の黒い染みは、家族の誰かの血で。金田一少年の事件簿だってこんなに飛び散って無かったと思うんだけど。あ、墓場島とか蝋人形館とか、あの辺りの死体はえぐかったよな。…まさにそんな死体だったわけだけど…。
あらかじめ持ってきていたこのあたりの指定ゴミ袋に、掃除で出たゴミを入れる。この家の中はずっと2年前で止まっていた。弟のグローブも、母が好きな歌手の楽譜も、父のソフトボールも、祖母ちゃんの作った手毬も、姉の台本も、みんなあった。黒バスを思い出して入ったバスケ部で、記念に貰ったバスケットボール。
自分と全く会ったこともない人間は助けられたのに、肝心の家族には何もできなかった。何も知らされなかった。何も教えてもらえなかった。それがずっと心の底にこびりついている。
ゴミ捨て場から戻ってきたら庭に誰かいた。その人は、犯人の奥さん。私を見るや否や、まるで自分が被害にあったとでもいうかのように憎悪に塗れた目で私を睨みつけていた。
私と姉は姉妹だけあって、瓜二つとまでは行かないけど「姉妹でしょ」と言われるくらいには似ている。この女性に会うのはこれが実は初めてだ。事件の関係で姉は会ってるんだろうな。この人は私が姉だと思ってるんだと思う。
犯人、松井さんの犯行動機は完全な八つ当たりだった。八つ当たりで惨殺するとか相当だと思う。そんで八つ当たり相手に我が家を選んだのは本当に偶然。結婚したのに性病で子供ができない、リストラして職もない。そんな矢先にどうやら私ら家族が楽しそうに和気あいあいとしているのを目にして、犯行に及んだとか。コナンの世界でこんなふざけた事件があるんだって思った。自分のしたことに気付いた犯人はその場で自殺を図った。が未遂に終わり、今も目を覚ましていないと言う。
「十分幸せだったわ…それなのに、あんたたちが壊した」
この人も中々な八つ当たりだと思う。旦那が犯した罪を認めたくないんだろう。そして今も尚愛する旦那が目を覚まさないことがつらいのかな。弟たちは覚ます目もないってのに。
家に何かされたらたまったもんじゃない。一言伝えて帰ることにした。
「変なことしないでくださいね」
それが何かに触れたっぽい。気付いたら思いっきりビンタされてた。ドラマで見るようなビンタってかわいいもんなんだね。こんな吹っ飛ぶんだ。
「っ!」
松井さんの奥さんは倒れた私のお腹を思いっきり踏んだ。痛みを噛み殺している間に去っていった。
「…汚れ目立つじゃん…お気に入りだったのに…」
口の端がひりひりする。口切れたわ。白いシャツはさっき踏まれて、足跡ははっきり残ってないけど汚れた。あーあ、一目惚れで買ったのになーこの服。
以前聞いたスケジュールから今日は休みだと知っていた。予定がない筈なのに前後にずらしてほしいという。かなり自分に惚れ込んでいる、あれは惚れると言うよりまるでアイドル相手にしているみたいな態度だけど、そんな彼女が自分より優先する何かが気になった。流石にあんな態度で接されたら、彼女にとって自分が最優先事項というのは分かる。風見にも「あの人、降谷さんの為ならどこまでも突っ張りそうですよね」と言われていた。元々彼女に会う予定だったからこっそり後を尾行した。着いたのは、彼女の実家。2年前、凄惨な斬殺事件が起きた現場でもある。当時彼女は留学中で事件の一切を知らされていなかった。戻って来たのは事件が起きてから1年後。つまり今から1年前。第一発見者である彼女の姉も流石に参ってしまい、葬式を何とか終えて暫くは療養していたという。
いつもあれだけキャーキャー大袈裟なほど騒ぐのに、実家を前にした彼女の表情はただただ無だった。知らないうちに家族が死んでいた。帰ってきたら家族が死んでいた。彼女の絶望は計り知れない。
今日は…命日か…。姉がいないのは、まだ姉はここへ来れるほど回復していないということか…。事件資料によると、姉は犯人の自殺を見ている。未遂に終わったけど、人が目の前で死のうとした瞬間を見てしまった。家族の遺体も、…人間はここまで非道になれるんだと思えるくらい酷いものだった。
警察庁へもぐれた彼女のことだ、事件の全貌を知っているんだろうし遺体の写真も見たのだろう。本人は「技術を磨くため、あとは興味本位で」警察組織をハッキングしたと言っていたが、そうは思わない。事件を知るためにしたのではないかと。
彼女が今どんな心情かは分からない。でもここで声をかけるほど親しい関係ではない。
後ろ髪を引かれる思いを抱えたまま、アクセルを踏んだ。