強くてニューゲーム

 関東大会まであと1ヶ月もない。家に帰って家事をしないといけないが、流石の父も帰りが遅くなることを止めなかった。流石に遅すぎると怒られるが。親友はそれでも財閥の娘だから先に帰る。送迎を買って出てくれた幼馴染に最初はいらないといったが心の中で嬉しかったのも事実だった。
「お父さんの趣味を否定するつもりはないのよ?でも、あんまり競馬にお金使い過ぎないでほしい」
「はは、この前勝ったって喜んでたから調子に乗ってんじゃねーか?」
「もう!そうやってすぐお金なくなるの知ってるはずなのに!」
 他愛もない会話をして家につきじゃあ明日と別れる。これがここ数日のパターンだった。
「ああ、すみませんちょっといいですか?」
 そのパターンと違うことが起きた。知らない男性が声をかけてきたのだ。新一は突然声をかけてきた男に一瞬警戒をするが、左手に持っている携帯画面から地図が見え道を聞きたいのだと推理した。
「ちょっと道が分からなくてね。携帯で地図見てるんだけど、このあたりは細い道が多くてね…さっきコンビニの店員に教えてもらった通りに来たんだけど、中々辿り着かなくて。ええっと」
 男は携帯を操作するとメールの文面を見せてきた。
「ここに行きたいんだ」
 友人から送られてきたらしい文面。ここで待ってるの後に住所と「かすみ」と書かれていた。
「かすみ…ああ、あの居酒屋か」
 持ち前の記憶力から場所を割り出す。一軒家の見た目をして「かすみ」と看板を出している居酒屋。確かにあそこの周辺は細い道が多いしここからそこまで遠くない。
「あ、ここお父さんが前に良かったって言ってた居酒屋と同じ名前だ。案内しようよ新一」
 蘭も知っていたらしい。確かに道が複雑だから口頭で言うより連れて行った方が早い。かといって時間的に蘭を先に返したい、と新一は考えていたが蘭に言われ了承した。俺がいるし大丈夫だろうと。
「高校生だよね?こんな時間なのにすまないね。助かるよ」
 道すがら男の話を聞く。悪い人ではないらしい。つい最近まである裁判に関わっており、一段落着いたので事情を知っている友人に報告をするという。そこで指定されたのがかすみだったと。
「父が言っていました。ご飯がとても美味しくて、お酒の種類もセンスがいいって」
「おお、そうなんだ。それは楽しみだなぁ」
 にこにこと会話を続ける。裁判に関わっていた、ということは弁護士あたりだろうかと思ったが守秘義務のある職業だ。いくら友人と言え報告はしないだろう。左指に指輪の後がある。…離婚、か。裁判は家庭裁判…。推理をしても口には出さない。デリカシーがないとよくもう1人の幼馴染に言われるが、流石に初対面の相手に向かって「離婚の裁判ですか?」なんて聞かない。
「あ、あの角を曲がればすぐですよ」
「本当かい?いやあ助かったよありがとう、ああそうだ、対したお礼じゃないけど」
 男はカバンをごそごそした。そして。
 本当に突然、蘭と男の間に誰かが割り入った。それと同時に男と割り入った誰かの距離が酷く近くなった。
「な!?」
「え?」
 男の戸惑った声、蘭のきょとんとした顔。その誰かは男を突き飛ばした。突き飛ばされた男は尻餅をつき、ハッとすると酷く憤っていた。
「なっなんだお前は!!どけ!邪魔するな!」
 先ほどまでと同一人物かと疑うほど、その表情は怒りと、そして憎しみを露わにしている。突き飛ばされた男を心配し蘭は近寄ろうとした。それを阻む誰か。思わず蘭の腕を掴み背後にやった。
「お前、まさかあの女弁護士のとこのやつか?だったらお前を殺しても一緒だ!!」
 男は立ち上がり誰かに襲い掛かった。誰かはするりと躱し男を組み伏せた。ポケットから取り出したガムテープで男の腕と足を拘束する。フードを被り、目元が見えない大きなサングラスに黒いマスクで顔は一切見えない。両手は黒い手袋をはめ全身黒で包まれた、性別すら不明な誰か。左腕を見て、男がカバンから何を出したのか、そして何をしようとしたのか理解した。
「包丁…!あんた大丈夫か!?」
「け、警察」
 蘭は慌てて携帯を取り出し電話を掛けた。深々と左手に刺さった包丁。黒い服を着ているせいで出血は分からないがあれだけ刺さっていれば間違いなく怪我をしている。分厚い服を着ているのか、血は滴っていなかった。憎悪に塗れた顔で男は誰かを睨みつけている。
「ハッ、鼻が利く弁護士なこった!」
 裁判に関わっていた、女弁護士、蘭を狙った。蘭の母親、妃弁護士の関わった裁判で敗訴した男が逆上して娘の欄を殺そうとした、新一は推理し冷や汗を流した。この人が来なければ蘭は死んでいたかもしれない。でも、この人は怪我をしてしまった。あれだけ深く刺さっているんだ、動脈を切っている可能性が高い。血が出ていないように見えるだけで、相当出血している筈だ。
「蘭!救急車も呼べ!」
「う、うん!」
「あんた腕見せろ」
 誰かの腕を掴もうとした手は空を切った。誰かは刺さった包丁をそのままに男を電柱に固定した。確かに包丁を抜いて出血するよりこのままの方が今は良い。だからといってその状態で男をどうこうしなくても。ガムテープを新一に、そして電話を終えた蘭に何かを投げた。
「…缶コーヒー?」
 ガラガラと近くの家の扉が開いた音がした。騒ぎに気付いた近隣住民が外に出てきたのだ。そうだ、手当しないと。
「手当、あんたて…え?どこに」
 蘭に投げられた缶コーヒーに気を引かれたうちに、誰かはいなくなっていた。やがて訪れた警察と救急車、蘭の父親。男は推理通り、蘭の母親である妃弁護士が関わった医療裁判に敗訴した医者だった。新一も蘭も怪我が無かった為、病院にはいかず警察署まで行くことになった。
「ねえ新一、缶コーヒーの底に何か書いてあるんだけど、英語で読めなくて…」
 蘭に渡された缶コーヒーはかなり温かい。つい先ほど買ったばかりのようだった。蘭に言われるまま新一は缶コーヒーの底を見る。
「…『From here,Crucial moment』…」
「どういう意味?」
「『ここからが正念場』だよ。…どういうことだ?まさか、蘭を狙うやつが他にも…?」
 殺人未遂で逮捕された男の供述から、蘭を狙う人間は他にはどうやらいないというのは分かった。あの時刺された誰かは未だ行方が掴めていない。新一の供述から相当出血をしていると見て、左手首に怪我をし輸血の必要がある人間を近隣の病院で探したが全く見つからなかったという。
 それから更に日が経った。低くなった視点から、探偵事務所の棚には中身が既に空で綺麗に洗われたあの時の缶コーヒーを見上げる。自身を助けてくれた、娘を助けてくれた、あの誰かにいつかお礼をと忘れないよう置いてある空のスチール缶。あの人はきっとどこかで誰かをまた助けているのだろうか。江戸川コナンは未だに解けないあの人という謎を考えながら、ポアロへコーヒーを飲みに行った。


 厳重に隠し保管していた自慢のライフルが消えた。かわり置いてあったのは日本で有名だと言う缶コーヒー。既にぬるくなっていることから盗んだ犯人は既にこの付近にはいない。公式で捜査していない今、「ライフルが盗まれた」なんて大声で言えないし、プライドとして仲間にすら正直言いたくない。かといってここは日本、銃刀法がある国。人を殺めるのも問題だしライフルの所持者がFBIとなれば更に問題になる。口汚いスラングを吐き仕方なく上司に電話をしようとしたと同時にメールがきた。あと1回ボタンを押せば通話状態という状況で来たため確認せず開いてしまった。ウイルスが入っていたら不味い、度重なる不始末にイライラしながら更に口汚いスラングを吐き仕方なくメールを読んだ。アドレスはめちゃくちゃで知らないもの、内容は住所のみ。ライフルを盗んだ犯人からだと勘が告げた。上司に電話をしながら乱暴に車に乗り書かれていた住所へ向かった。


 遠くから救急車とパトカーのサイレンの音が聞こえた。明らかに近づいてきている。ジンは舌打ちをした。
「はっ警察に泣きついたか。てめえはもう用済みだ」
 せめて腹部に撃って最期に妹を考える時間でもあたえてやろうかと思っていたジンだが、聞こえてくる音に予定を変更し真っすぐ心臓を狙った。この距離で外すほどへたくそじゃない。ジンは自分の腕に自信があったし実際に失敗したことは無かった。だというのに、宮野明美に銃弾は当たらなかった。別の角度から撃ち落とされたのだ。女を助けんとした誰か、例えばFBIのあいつかと再び舌打ちしたがすぐさま彼女の脇腹に一発赤い花が咲いた。
「何…?…フッ、どうやらてめぇを助けようとして失敗したか。行くぞウォッカ」
「へ、へい」
 膝から崩れ落ちる宮野明美の近くに銃を投げ捨てる。銃が飛んできた方向をチラッと見た後、ジンは足早にその場を去った。


 住所に掛かれていたマンションにつく。1005号室とあったから十階だろう。オートロックのないセキュリティが緩いマンションへずかずかと入り目的の部屋に入る。監視カメラが見当たらないから自身がここにいることを証明するものがないのは嬉しいが、その反対にライフルを盗んだ犯人も分からない。目的の階に着き部屋に着いた。鍵はかかっていない。懐の銃を確認し部屋に入った。ワンルーム十畳の部屋、部屋の中心には窓の外に銃口を向けるようライフルが置かれていた。先ほどと同じよう缶コーヒーが近くに置かれている。他に部屋は無いし人の気配もしないことから盗んだ犯人は既にここにはいない。ライフルは使用した形跡があった。無くなった弾は2発。それにしても不自然に置かれたライフル。スコープだけを取り外し、それを使って銃口を向けていた方向を見る。何を狙ったか分からないが、ここから大凡600ヤードほど離れた所にパトカーが見えた。救急車も見える。そういえばここに来る途中で音がしていた。最悪だ、誰か殺したのか。自分が殺したわけじゃないが使われたのは状況的に間違いなくこのライフルの可能性が高い。ライフルを片付け部屋に付いた指紋を全て拭き取り、早々にマンションから去った。
 セーフハウスに戻り真っ先にあの遠くで見えた埠頭で何が起きたか調べた。殺人事件、ではなく十億円強盗事件の犯人が自殺を図ったらしい。そして死亡したと。他の犯人は既に逮捕されていた。ライフルは確かに使われた形跡はあった。じゃあ一体何を狙って?分からない。置いてあった缶コーヒーからもライフルからも勿論指紋は出なかった。そこで初めて気づいた二つの缶コーヒーの底に書かれた文字。
『Sorry,it’s best,think』『but this’s “And”…』
「すまない、これが最善、と思う…でもこれは『ついで』…か…」
 Andの意味はついでで問題ないだろう。一体何がついでなのか、何が最善だと言うのか。
 更に数日後、十億円強盗事件の犯人で唯一自殺した広田雅美の正体が宮野明美だと知った。


 誰かが脱走を手助けした。ベルモットはシェリーが脱走した日の組織の動きを見て、明らかな情報操作に気付いた。シェリーが監禁されていた研究所周辺に一切組織の人間がいなかったのだ。ジンを含め幹部の人間はあの方からの命令で周辺にいなかった。シェリーがそれを狙うのは流石に無理がある。幹部全員と顔合わせしていないシェリーが他の幹部の情報を知り得るわけがない。組織に歯向かう幹部がいて監禁されている状態で、誰もいないなんておかしい。監視目的で周辺にいる筈の構成員も、正当な理由でいなかった。まるで偶然が重なり脱走を許してしまったかのような。だがそれにしてはおかしい。
「何の用ですか?」
「ハァイ、バーボン。ちょっと頼まれてくれない?」
「僕もそんな暇じゃないんですがね…いいでしょう、何です?」
「脱走したシェリーのことよ。おかしいと思わない?あの日、あの周辺に誰もいなかったのよ」
「その日は貴女と任務でしたね。ジンもウォッカも、何やら取引があったとか」
「ええ。監視をするよう言われていたやつらも、別の任務だの何だのでいなかったのよ。“全員”ね」
「…つまり何者かがそうなるよう仕向けたと?」
「シェリーが一人で脱走だなんてあり得ないわ。ジンが外から鍵をかけていたのよ」
「ジンがへまをしたわけですか。ふっ、それは面白いですね。いいですよ」
 腹の底が見えない自分と同じ秘密主義者の探り屋バーボン。探り合いは疲れるが、ジンのようにすぐ銃に手を掛ける男やキャンティの様に毛嫌いされている相手といるよりよっぽど気が楽だ。カルバトスは惚れられているから使いやすいだけ。
 見つけたらシェリーの目の前で殺してやろうかしら。物騒な考えを振り払うこともせず、ベルモットは煙草に火をつけた。


「そうじゃ、ポケットにこれが入っていたんじゃ」
 工藤新一の事情を知っていると分かり、自身がその薬の開発者だと分かっても家にいていいと言うドがつくほどのお人好しに「危機感が無いのか」と若干の呆れを感じながらも、行き場のない現状ありがたくそうさせてもらうことにした宮野志保。脱走のとき飲んだあの薬がポケットに入っていた最後のもの。他に何も持ってきていないはずだ。まさか気付かないうちに何か仕込まれていたか?と慌てて博士の持つものに目を向け、は?と漏らした。
「缶コーヒー…?」
 未開封の缶コーヒー。流石にないと思うが念のため中に何もないことを確かめるべく、台所で中身を全て捨てた。後ろでもったいないと言う博士に「この人大丈夫だろうか」と呆れから不安に変わった。中にはコーヒーしか入っていなかった。盗聴器も発信機もない。
「…何かしら、文字?」
 流し終えてから気付いた底の文字。
「『In trouble if you die』…死なれたら困る…」
 あの時薬を飲んで死のうとした。それを知っている、知られている。何故、どうして。いつのまに。
 今も尚見られているんではないかという恐怖に背筋が凍る。脱走してから気を失うまでに入れられたら流石に気付く。ということは倒れてからポケットに入れられた。その間もずっと見られていたのか。ゾッとする。誰がどういう意味でそう言うのか分からないが、姉が死んだ宮野志保にとって見ず知らずの人間に「死なれたら困る」と言われはいそうですかと生きるのを止める人間ではなかった。ごみの分別に則り、綺麗に洗ってからスチール缶を捨てた。
 しかしそれから数カ月たてば「逃げない、立ち向かう、生きたい」と決心した灰原哀の姿があった。そしてふと思い出すあの缶コーヒー。
「責任取るため、ってわけじゃないけど確かに困るわね」
「?何言ってんだ灰原」
 紅茶を飲みながら突然ふっと笑い零してしまった言葉を受け取った小さな探偵。そういえば彼にその話をしていなかったと思い出す。
「誰か知らないけどそう言われたのよ。“In trouble if you die”、死なれたら困るってね。組織を抜け出した直後に言われたから、アポトキシンを飲んで自殺を図ったことをどうやら知っているみたい、その誰か」
「それ、灰原が脱走したのも」
「ええ。勿論知っているわよ。言われたのだって直接じゃなくて、貴女の家の前で気を失っている間にポケットに入れられた缶コーヒーに書かれていたもの」
「缶コーヒー!?もしかしてそれって」
 携帯を操作し「これか!?」と1枚の画像を突きつけられる。それはあの日中身を捨てた缶コーヒーと同じ銘柄だった。
「…なんで貴方が知っているのよ、博士から聞いたの?」
「ちげえよ。…数カ月前、俺がまだ小さくなる前だ。蘭が殺されそうになったところを助けてくれた人がいたんだ。その人、蘭に缶コーヒーを渡してどこか行っちまったんだ。未だに見つかってない」
「まさか、その缶コーヒーにも何か書かれていたの?」
「ああ、底の方に。『From here,Crucial moment』、ここからが正念場ってな。その缶コーヒーは?」
「捨てたわよ。流石に飲まないわ。…死のうとしたことを知られていたのにゾッとして、缶もすぐ捨てたわ」
「そう…か…。組織に関係のある人間だったのか…。なあ、左の手首に包帯を巻いた人間見なかったか?その人なんだけど」
「心当たりはないわね」
「包丁を思い切り刺されたんだ。怪我の具合は分からないけど、完治したかどうかってところだと思う。傷跡もかなり新しい筈だ。身長は蘭や俺より高かったけど、底上げのブーツを履いていたから正確には分からねえ。サングラスとマスクで顔も見れなかったし、フードを被ってたから髪型も性別も分からねえ。左手首に傷跡、分かるのはそれだけだ」
「今はまだ寒いから、夏にならないと分からないわね。この時期じゃみんな長袖で見えないもの。私も気になるから、探してみるわ」
 怪我をしてまで人を助けた、という情報に灰原の意識が変わった。得体の知れない人間には変わりないが、悪い人ではないのかもしれない。