表と裏
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そう早く帰れないと分かっちゃいたけど、予想以上に拘束されそうな気配がして真にめっちゃ連絡した。1人で夜出歩くなとか、なるべく人の多いところ行けとか、お守りはぜってー肌身離さず持っとけとか。手が空いた隙にしつこいくらいメールを送ってたら「うるせぇガキじゃねえんだ一度言われれば分かる」と電話で帰って来た。それと「じいさんがリンゴ食いたいだとよ」とじいちゃんからの言伝を頂いた。私の代わりに見舞い行ってくれるとこほんと優しいよな、ツンデレ界の神だよ。お土産買って帰る余裕あるか分からないから今度手厚くお礼しようと誓った。
監督先生からサッカー部の高野氏についての情報が来たのは秀徳に行ってから1週間後のことだった。現在37歳で都内スポーツ店の店長をしているという。今は苗字が変わって中川になっていて、奥さんと子ども2人と仲の良い家庭を築いているとか。予想以上に情報集めてくださって「よく分かりましたね?」と聞いたら「相手が卒業生だからね」と返って来た。卒業生のことならいつでもどんな情報でも集められる…それはそれで怖いな…気をつけよ…。この件はあと子どもの写真を入手して保健室に行けば終わりだ。
「うへぇ…当たりかよ…」
大阪府警のお偉いさんに伝手がある西條さんが持ってきた情報…ここ最近の行方不明者や失踪者の情報をもとに裏の世界を駆けまわっていた。誰が掃除屋か分からないから、西條さんは信用できる人間のみに掃除屋の件を話していた。そして裏の世界への往復は自由度が高い人間を中心に行っていた。学生と言う身分だからこそ「まさかここにいるわけがない」と相手が油断することを狙って私も駆り出されていた。そらな、普通授業受けてるからな、私がここまで仕事人間でなければ。
これまで見てきた屍人の人数は名前を覚えている人間よりも多い。グロ耐性はついているし死体を見たから怯えることも吐くこともない。とはいえ…生身の人間の死体は初めてだ。
飢えた屍人が貪る遺体に魂の気配は感じられない。砂糖に群がる蟻のごとく集る屍人を全て消滅させぐっちゃぐちゃの死体を見下ろす。屍人だけを燃やす炎を右手から日本刀伝いに死体へあててみたけど燃えやしない。
「…当たりかよ…」
この状態の死体を表に持っていくのはかなりしんどい、精神的に。だからといって生身の遺体をこのまま裏の世界へ放置しておくとそれを貪る屍人が強化されてしまう。それは面倒だ。念の為持っていけと言われた頭陀袋(ずたぶくろ)に何とか遺体を入れる。素手で触るのが嫌でパーカーを脱いで手袋代わりに何とか入れた。感触が気持ち悪い。今猛烈に温かくてかたいもの触りたい。嫌悪感で身が支配されながらも頭陀袋を片手に表の世界へ帰った。
「おー、今日は早か…当たり引いたようやな」
「生身の死体は専門外なんでいつとか分からんすけど、屍人の群がり具合いからして1カ月以内なんじゃないすかね…」
「事情を知っとる先生呼ぶわ、理桜ちゃん着替えてきぃ。何なら風呂入ってきてええで」
「お言葉に甘えます…」
女子である私に気を遣って、大きな倉庫の端っこにはパーテーションがひかれてある。そこで早速服を着替え、着ていた服は西條さんが用意してくれた布袋に突っ込んだ。パーテーションから出て、そこで燃やしていいと言われたドラム缶に布袋を放り投げついでに火をつけた。炎に恵まれるとこういう時マッチいらずで便利。
倉庫から出て本宅に行きお風呂を頂く。今回の件は流石に奥さんやお手伝いさんに見せるにはえぐすぎるので、奥さんは今実家に、お手伝いさんは休暇を与えて旅行に行かせているという。他人の家という気は遣いつつも誰もいないという安心から遠慮せずお風呂をしっかり頂いた。ドライヤーで髪を乾かして再び倉庫に戻るとスーツを着た男性が2人いた。
「西條さん」
「おお理桜ちゃんええタイミングやな。こちら大阪府警の服部さん、んでこっちが警察病院で外科医しとる庵原先生や」
「東條理桜です」
よろしくしていいか分からないので名前だけ名乗るとお二人はそらもう大層驚いた目で私を見ていた。
「西條、この子が?」
「せやで、東條のじーさんはもう戦えへんから、事実上東條家の当主やな。この子強いで?」
「名前聞いたことあったけどまさかこんな子どもやったとはなぁ。オレは栂野(とがの)太一(たいち)、外科医や。普段は京都大学の大学院病院におる、関西で何かあったらいつでもいいや」
「おお、ありがとうございます。西條さんいるんで観光案内くらいしか思い浮かばないっすけど」
「ええでええで、かわいこちゃん相手ならいつでもサービスするで」
栂野さんと握手しがてら名刺を頂く。私も名前とメールアドレスだけが書かれた簡易的な名刺を渡した。
「大阪府警の服部平蔵や、西條から聞いとるで、警察関係に知り合いおらんそうやな」
「あー…じいちゃんの、ならいるんですけど私個人はいない、ですね」
「生身の人間関わっとったらおたくらだけではどうしようもない。東條家は有名やから名前は知られとるかもしれへんが、個人的な知り合いは作っておいたほうええで」
西條さんがせやなと同意する。続けて服部さんみたく上層部の人間だと色々便利やでと教えてくれた。ってことは服部さんめっちゃ上の階級か…。渡された名刺に「大阪府警本部長 警視監 服部平蔵」と書かれているが警察の階級は全く分からないのでとりあえず上の人間らしいということだけ分かった。警部とか巡査部長がどの立場かも分からんから警視監なんて益々ピンと来ない。本部長ってあるから大阪府警の中じゃかなり上なのかなーくらいの印象だ。
関東の人間なのに関西にコネ作ってどうするんだ…私も何とかコネ作らないとなぁ。
「んで本題や。ご遺体さん見たけど随分な有様やったな、理桜ちゃんよぉ運んで来たなぁ」
「亡くなられた方には失礼ですけど大変気持ち悪かったです」
「自分正直やな。断言できへんけど頭部に銃弾の穴があいとったから銃で頭撃たれたんやろな。貫通して無さそうやし」
「だとしたら周辺に銃を使う屍人はいなかったんで、恐らくこっちで殺されて向こうに運ばれたんだと思います」
「現場にまだ何か残っとる可能性はありそうやな。理桜ちゃん場所分かるか?」
地図を手渡され出発地点である西條家から通ったルートを思い出しながら辿る。周辺にあった建物を思い浮かべて現場だと思われる場所を指した。
「ここだと思います。割れたガラス破片が周囲に散乱していました」
「ホンモノの銃つこたんか武器化したもんつこたんかで話が変わってくるな。せやけど掃除屋は誰か分かった」
本物だろうが霊力を使ったものだろうが滅却師で銃を使いこなせる人間は1人しかいない。刀や弓、アーチェリーとかならまだ部活だの習ってるだのを理由に日常的に持ち運べるし、何より修業しやすい。その点銃は持てる人間が限られている。銃を使える滅却師…山梨県にいる沢辺さんだ。
掃除屋となった滅却師は最終的には逮捕される。殺人事件だの死体遺棄事件だの表向きの事件に結び付けるのは難しいし、霊力を使えば警察の手を逃れるのは容易だ。だから警察より先に捕獲し霊力を完全に無くしてから、犯罪をでっちあげ“事情を知る警察”に引き渡し逮捕する。だから滅却師はその犯罪をでっちあげてそれを通せるほどの階級にいる警察官の知り合いが1人以上いなければならない。違法捜査が十八番の部署、確か公安?との繋がりが一番いいと服部さんが教えてくれた。根本的にまず公安との繋がりをどう持てばいいんだって話なんだけどさ…。
三か月ぶりの帰宅、玄関に入るや否や安堵のあまりそのまま倒れこんだ。帰りの新幹線で本間夫婦や真には帰る旨を伝えてある。夫婦は仕事だし真も部活だろうから会えるのは早くて明日だな…。眠いからとか疲労が貯まっているからとかではなく、慣れ親しんだ実家に帰って来た安心感でそのまま眠ってしまった。
3日以上家を空けることの無かった理桜が3ヶ月も帰ってこなかった。初めの頃はしつこいくらい「お守り持った?」だの「1人になるなよ!」だのメールが来ていたのに徐々に少なくなり、今ようやく時間できたんだなと察せられるほど変な時間に来るようになった。俺のことを聞くようなメールばかりだったのに一度だけ「あかんわ」と、大阪にいるせいか関西弁できた自身の心情を表す理桜に「何がだよ」と返したが、それに対する返事は来なかった。
東條家の敷地内にある門扉と本宅の合鍵は何故か俺も持っている。道場の鍵は理桜だけが、仕事関係や来客用の離れの鍵は理桜と本間夫婦が持っているからそちらに入ることはできないが、本宅へは何故か俺も自由に入ることができる。純和風の日本家屋で敷地の周囲は森に囲まれ都会の騒がしさを遮断している。静かにしたいときや集中したい時に便利な場所だ。
今日帰ると連絡は来たがいつ帰ってくるのかと言う連絡は来ていない。不規則な仕事をしている母は夜勤で今夜は帰ってこない。家にいなくても問題ないだろう。一度帰宅し制服から私服に着替えた後再び夜空の下を歩いた。1人で出歩くなと理桜に怒られそうだ。か弱い女じゃあるまいしそんなこと言われる筋合いはない。心配される理由は分かっているがあいつの祖父さんから「気にすることなけぇ、こころが丈夫じゃんね、簡単に連れてかれないけぇねぇ」と言われている。生存する滅却師で最も老齢の祖父さんの言葉だ。理桜が心配しすぎなんだよ。
本宅から明かりが漏れていない。まだ帰宅できていないのか、鍵を開けようとしたがかかってないことに眉を顰める。躊躇なくガラガラと引き戸を開けると、上がり框に横たわり土間の方へ足を投げ出す理桜がいた。
「は、ちょ、理桜?」
まさか怪我でも、肩を揺すったが反応がない。髪を払って顔を覗くとただ寝ているだけだと分かった。んなところで寝てんじゃねえよ。
「おい理桜、寝るなら部屋いけ」
かなり乱暴に肩を揺すると漸く目を開いた。
「…んー…ん?…あぁ、まことだ」
「変なとこでぶっ倒れてんじゃねえよ」
「じっかのあんしんりょくよ…」
「おら、着替えて部屋で寝ろ」
何で俺が世話しなきゃいけねぇんだ…。いつもと雰囲気が違うことに気付いているが指摘するつもりも聞くつもりもない。緩慢な動きで今にも寝そうな理桜に手を貸すくらいには絆されている自覚はある。
「…あったけぇ」
冷たい方が好まれるこの時期に、俺の手を握った理桜は冬に炬燵に潜った時と同じような反応をした。風呂上がりでそこまで湯冷めしていない身体は、俺としては温かいというより暑い。
「ふはっ、この時期にんなこと言うのはてめぇくらいだな」
子ども体温の理桜にしては珍しく手が冷たい。昔から精神的に参ると手に出やすい奴だった。顔じゃなくて手ってところが不思議だ。自分に無頓着なところがある理桜のことだからきっと気付いていないだろう。いつもと違う雰囲気、いつもと違い精神的に参っている3カ月ぶりの理桜にいつも通りの対応をすると、締まりのない顔でへらりと笑った。