え、あ、はい

 1ヶ月経とうが2ヶ月経とうが、自分がどうしてここにいるのか未だに理解できていない。座学は上の中、体術は中の中、あ、狙撃とか銃はかなり上だった。目がいいからかな、前世でもスコープなしで命中させたことあるよ。ラウワンのだけど。あれって何メートルだったんだろ。
 今日も今日とて下っ端の仕事。交通課か交番勤務を希望していたんだけどな……それか音楽隊とか入りたかったのに……なんで公安にいるんだろ……謎い。
 組織の取引が行われたというコンサート。構成員を張っていたと言うのに、取引することなくコンサートが終わると誰とも会わず帰っていったらしい。その件について現上司である風見さん含めた上の人間が会議室に籠っている。私の様な下っ端は入れない。
(……この曲かぁ、コンサートって増岡さんのやつだったんだ)
 会議室を通り過ぎるとき中から聞こえてきたピアノ曲は、私も弾いたことのある曲だった。前世で中途半端だった音楽を極めてやろうと躍起になっていた時期に弾いた曲の1つ。ピアノと並行してお熱だったヴァイオリンで学生選抜オケに選ばれたときは親に土下座して、オーストリア、ドイツ、フランスに行った。1ヶ月の海外生活で学んだことは、日本最高ってことかな。家に帰って食べたあきたこまちの美味しさに、暫くはリアル日の丸弁当にしてもらってた。コシヒカリも好きだけど、あきたこまち派。
 そんなゆっくり通り過ぎたわけじゃないけど、弾いたこともあるせいか気付くのは容易だった。おまけに増岡さんのピアノCDならいくつか持ってるし。この曲のもあったな。
(増岡さんがミスタッチ?……珍しいなぁ……)
 プロでもミスタッチはあるかもしれない。にしてはミスタッチした部分が奇妙だった。それとミスタッチの音、和音だから楽譜を知らない人は気づかなそうな、そんな音。
 元々そのコンサートは行きたかったけど、その取引とやらがあると聞いて「プライベートだとしても行くの辞めた方がいいかな……」と買ったチケットを諦めて払い戻しした。……音源あるなら聞いてもいいかな、ペーペーの私に貸してくれるわけないよな……。

「如月、帰る前に会議室の片づけ頼んでいいか?終わったらそのまま帰っていいから」
 風見さんに言われ「かしこまりました」とそのまま直帰できるようカバンを持って会議室に向かう。
 流石に重要機密系の書類は残っていない。単純に椅子を綺麗に机にしまって、モニタやDVDデッキを片付けておくだけ。
「……キタコレ……」
 DVDには「増岡ピアノコンサート」と書かれたDVDが入ったままだった。……いいかな、聞いていいかな。この後この会議室使う人いないから誰も来ないだろうし……いいよね?バレなきゃよし。
 聞くならさっさと聞いてしまおうとカバンからヘッドホンをだしモニタに繋げる。DVD回してコンサートを見た。
(ふぉおおおお!久々の増岡さんやあああ!!)
 最後にコンサート行ったのは確か5年前。予定とお金の都合がつかずあれからめっきり行っていないけど、好きな音楽家の1人だ。音質はやはり荒いけど十分、のはずだった。
(……やっぱりミスタッチ多い……)
 妙なところでミスタッチ、他の曲は完璧なのにこの曲だけミスタッチが多い。そんなミスするところじゃないはずなんだけど。それに、Allegroに入るタイミングが1小節ズレてる。さすがプロって言うべきか、違和感はないんだ。音楽の表現は人それぞれだから悪いとは言わない。例えばヴィヴァルディの四季冬の第一楽章を気持ちいい速さで弾く音楽家もいれば、アホみたいに速く弾く音楽家もいる。残念ながらコナンの世界にはいなかったけど、四季はやっぱイムジチでしょ。じゃなくて、増岡さんは楽譜に忠実な人だからこそ気になってしまう。
 曲が流れ終わる。その後の曲はミスタッチが一切無かった。ミスタッチの多かった曲だけを再生する。カバンからA5ノートとペンを取り出して、増岡さんらしくないところをミスタッチ含めて殴り書きしていった。何度も何度も同じ曲を聞きなおす。頭の中の楽譜がそれに合わせて流れていく。……この弾き方、おかしいところを顕著に弾いている……。いろんな音楽家も耳の肥えた人たちも聞くだろうに、よくまあそんな堂々と……。
殴り書きはドレミ音で書いた。
「…ド、レーフラ、ド、ラ、ファ、ミ、アレグロ、ラーフラ、ミ、シーフラ……」
 違うな、ミじゃなくてあれはファフラットみたいな感じだった。ドレミってカッコ悪いな、ドイツ語直してみるか。
C、Dis、C、A、F、É、Allegro、As、Fes、B
CD is CAFÉ Allegro As Fes B
 ヘッドホンで曲をそのままにペンを指に挟みながらスマホでググる。コンサート会場の近くにはCafé Allegroがあった。しかも、3日後にハッピーフェスティバルという名のイベントがあるらしい。一日かけて行われるイベントは、AパートとBパートに分かれていて……。
 ……まさかね、これが取引の、とかそんな都合いい話があるわけ。
 違うだろうなぁ、あーあ、何してんだか。帰って寝よ。ヘッドホンを外してカバンにしまった。デッキからCDを出してデッキの上にあったCDケースにしまったところで会議室の扉が開いた。
「……まだいたのか如月、ああ、そこにあったか」
 風見さんは丁度持っていたCDに用事があったらしい。あ、どうぞ、とCDを渡す。モニタとDVDデッキの乗ったラックを部屋の端に引きずった。
「……如月、これは何だ」
 やべえ、なんかやらかしたかな
「は、はい……」
 ビクつきながら慌てて風見さんの方に戻れば先ほど殴り書きした紙を持っていた。なんだ、それか。なんだじゃねえわ、勝手にDVD聞いてたって怒られる。いや黙ってるより素直に言った方がまだいいか。
「す、すみません、先程会議室から増岡さんのピアノ曲聞こえて、DVDあったので…つい…見てしまいまして…」
「勝手に資料を見たんだな、それは今は良い、この下に書かれたこれはなんだ」
 CD is CAFÉ Allegro As Fes Bと書かれた場所を指さし風見さんは目を細めた。うわああ資料見て捜査紛いなことしてればそら怒るよな!
「ま、増岡さんのらしくない演奏だったので、メモにしてしまいました!」
 すみません!と90度お辞儀で謝罪。ヤバいやばい、ここ来てまだ2カ月だぞ、これは、ヤバい。画面越しに見る風見さんと生じゃ天と地ほどの差がある。めっちゃ怖え。これ降谷さんに絶対会えない奴だ。立場どうこうじゃなくて、公安として会えない奴。これでよく~どころじゃないよ、何で公安にいるんだ、だよ。
「頭を上げろ、詳しく話せ」
 え、このイキった推理聞くの?命令されたから正直に言うけど、無いと思うよ、うん。
「増岡さんは、私の知るピアニストの中でも楽譜に忠実な方です。ですので、ミスタッチが妙に多いし記号もズレていて、そのメモは…その増岡さんらしくないと思ったところを書いた、ものです…」
「俺は音楽に詳しくないんだが、どうしたらこの文になる」
「ミスタッチした音階をドイツ語表記にして、記号通りに弾いていないところを書いたら、そうなりました」
 余計なことは言わない。これ大事。雄弁は銀、沈黙は金っていう。Allegroってカフェがあることとかイベントがあるとか、下手に言って「お前のしょーもない推理に付き合う暇はない、そんなことしてる暇があったら書類の1枚捌いたらどうだ」とか怒られてしまう。風見さんに怒られたことはないけど、こういうの言うのは別の上司だけど。
「…この紙貰っていいか」
「は、はい。…あ、あの、大したことじゃないと思います、ので…すみません…」
 後で怒られるんだろうなぁ…。この件誰が関わってるかペーペーの私には分からないけど、ぜってーそれ違うって。そんな都合言いわけが。
 引き留めて悪かった、帰っていいと言われたので一礼してそそくさと帰る。明日登庁するのがこええぜ…。


 風見さんからお礼言われた…。あの珍推理が合っていたらしい…。今日はケーキ買って帰ろう、ケーキ食べれないけど、ダメじゃん。と1人褒めて突っ込む。おいしそうなイチゴタルト見つけたんだけど、生クリームとかカスタードクリーム食べれないから買えないんだよな。タルト生地は凄い好きなんだけど。あとイチゴも。中学生あたりから私の誕生日だけケーキなしになったんだよ、いじめとかじゃなくて、私がケーキ食べれないから。甘いものは基本苦手。甘さ控えめならコーヒー片手に食べられるんだけど。ブラックコーヒーは眠気覚ましでしか飲まない。カフェオレ片手に、だな。
 ケーキは買って帰れないから代わりに夕飯はオムライスにしよう。ご飯炊いときゃ良かった。
 今日もいつも通りPC弄って書類まとめてな日。ハンコ文化滅べ。あと会議で書類回すのも。流石に警察だとそうはいかないのか?デスクに置かれたモニタは何と嬉しいことにデュアルモニタ。あとスペックがかなり良い。
 前世で見た科捜研みたいな、画像や動画の解析ツールみたいなのはどうやらないらしい。歩行から同一人物か計ったりとか、ウィーンウィーンって荒い画質を綺麗にしたりとか、そういうの。無いなら作ればいいじゃんって大学時代作った。今も重宝してるよ。…使ってないけど。
 終わった案件の資料をまとめている途中、その荒い写真を見てそれを思い出した。家のパソコンにアクセスしてツールを引っ張ってくる。家にアクセスとか、パッと画面見られたところでフォルダ移動しているようにしか見えないっしょ。ちゃんと見られたらヤバいけど。他のパソコンがこのパソコンに入ってこないようにって対策は個人的に勝手にやった。どうせバレない。
 ツールを使って画質を綺麗にした。Before Afterよろしくメインモニタの左側に荒いの、右側に綺麗なのを並べて1人満足する。使うのは荒い方だけどね。勝手にやった。
「…如月、それは何だ」
 持たれていた背をぴしゃっと伸ばす。バッと音が鳴る勢いで後ろを見れば、あれ、デジャブ、風見さんがいた。風見さんは私のモニタに目を…。
 やべえ、捜査資料で遊ぶなって怒られる。…もっと大人しくしないと、褒められたから調子乗った。サーっと体温が下がる。慌てて立ち上がり謝罪した。
「す、すみません」
「いや、…元の画像を綺麗にしたのか?」
「す、すみません……その…つい…」
「つい、でお前はそんなことするんだな…」
 あ、詰んだ。項垂れたまま目線は風見さんの靴ばかり見ている。…最近新調したんだ、綺麗だ。じゃなくて。
「以後しません、申し訳g」
「構わない、頭上げろ。…丁度いい、このデータの同じようにやってくれないか」
 風見さんは持っていたUSBを渡してきた。え、同じようにって、待って私元の仕事が…とか言えません、ペーペーなので。つかこのツールも3年前のだから、今見直すと結構酷いんだけど。
「このようなもので、よければ…かしこまりました」
 やれって言われたからやらないと。下僕は黙って「はい」か「Yes」、いや日本人だから、「はい」か「御意」だけでいいんだよ。御意ってなんだ、ドクターXじゃあるまいし。
 右のモニタで元々の作業をしつつ、左のモニタで渡されたデータの解析を行う。これ動画も入ってるけど、動画もやれってことかな、そういうことですよねかしこまりましたでございますよ…。
 因みにその日の夕飯はうどんになった。オムライス作る気力もご飯が炊けるのを待つ気力もなかった。

如月 椎名(25)
 京王大学工学部卒。公安所属で風見の部下。何故公安に来たのかピンと来ていない。前世の推しと会える程の人間ではないため見かけたことすらない。上司風見のことも2番目くらいに推しだったが、興奮を勝る緊張で普段は基本無表情。5つ離れた姉が医者で個人院を開いている。姉は結婚して名字が違う。姉の旦那とは会ったことは無いし名前も知らない。姉自身が仕事人間で夢も花もない。
 公安に入った時期がくそ忙しい時期というタイミングが悪すぎて教育係がいない。