Reincarnation:凡人に成り損ねた
虎視眈々と
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組織の幹部、キールが病院に運ばれたと言う。そこにFBIが関わっていると知った時の紀里谷さんの表情は、いつしか降谷が見せた表情に似ていた気がする。
「ひとんちで好き勝手しやがって…」
「FBIの目撃情報を聞いた時の降谷と同じ表情してる」
杯戸病院の見取り図をペラペラ見ていた名田さんは紀里谷さんの表情に苦笑した。
「紀里谷さんが俺のポジションだったら降谷といいタッグ組めたんじゃない?」
「…想像すると胃が痛いですよ…」
FBI相手になると冷静さにかけるのが降谷、FBI相手になると温度を下げるのが紀里谷さん。どっちも、新一前にしたらバレそうだ。でも紀里谷さんの捜査一課での動きを見てる感じだと、多分大丈夫だとは思う。
「この前の事件、コナンから聞きましたよ。紀里谷さんの感想聞きます?」
「聞く聞く、何て言ってた?」
ごほんと咳ばらいをしてコナンの声真似をしながらあの時ポアロで言っていた言葉をそのまま言う。
「高木刑事を上回る天然で、正直どうして一課にいるんだろうって思っちゃった」
「…ふっ、それは誉め言葉だ」
言葉のわりに持っていた空のペットボトルをぐしゃりと握りつぶした。どうして一課にいるんだろう、遠回しによく一課に入れたなと馬鹿にしている。天然で頭の回らないキャラ設定にしたことを少し後悔しているようだ。
「まーまー、これであの少年は紀里谷さんを不審に思わないわけじゃないすか。一課も全く気付いていないみたいだし、…紀里谷さんが羨ましいっすわ」
名田さんは遠い目をしながら今の上司を思い浮かべている。名田さんの立場は立ち振る舞いが凄く難しそうだ。普段のままで行くと間違いなく降谷に怪しまれる。かといって出来なさすぎると降谷の信頼を失う。あと紹介した北澤も疑われる可能性がある。…匙加減が難しそうだ。
「あと一歩おしいやつ、で今は何とかなってるけどな。あんまりやりすぎるとわざとらしくなるから…まあ基本デスクワークと降谷のサポートだし、あっちの組織の情報は何だかんだ手に入りやすいんだよな」
「キールの件を降谷は知ってるってことか」
「そうですね。ただ今回キールの捜索の任務は受けていません。んで、今は本職の方勤しんでます」
「…名田さん、今ここにいて大丈夫なんですか…」
「俺の今の仕事は、FBIの動向を探ることだからな。まさに仕事中ってわけ」
公調内でも限られたあの8人しか入れないこの部屋は、少し前まで私たちがデスクワークしていた部屋と風景はほとんど一緒だ。ここで仕事するのは5人だけだから流石に広さは相応のものだけど。片面の壁にはモニターが10台並べられており、映っているのは全て杯戸病院の中だ。
「こんだけFBIがいれば「ここにキール居ますよ」っていってるようなもんだな」
画面に最低1人は映っている、一般客に見えるFBI。FBIのほとんどはアメリカ人だから、流石になじむのには無理がある。
そして先ほどからちょろちょろ映っては病室に入り、患者に声をかけ出ていく少年の姿があった。
「相も変わらず落ち着いていられないんだな」
「…少年、まさか楠田を探しているのか…?」
「楠田…構成員の下っ端ですか」
キーボードを叩き楠田がいる部屋を探す。ここだ。
「黒崎は何でも知ってるな」
「少し前に、偶然構成員の名簿をゲットできたもので」
両サイドで目が光った気がする。…口を滑らしたかも。
「良いもん持ってるな黒崎。上司命令だ、寄越せ」
「じゃあ先輩命令ってことで俺にもちょーだい」
「…入手した目的はタランチュアの残党を探すためです。それを念頭に置いていただければ」
運良く捕まらなかった残党は、壊滅当時の資料と照らし合わせて判明している。あと怪しいのは2年ほど前に幹部になった、バーバラとハイライフという男。本名どころか偽名すら分からなかった。要注意事物だ。
「なるほどね。それじゃ下手に降谷へ渡せないわけだ。つっても、降谷もどうせタランチュアの存在知ってるんでしょ?」
「えぇ、勿論。教えた理由は言えませんが、あいつもタランチュアの残党探しを手伝ってくれています。諸伏も」
「降谷やるんなら俺ほとんどやらなくてよくなりそうな気がする」
「あんまあいつの負担増やさないでくださいよ?」
「黒崎…お前…いい先輩だな」
「え?紀里谷さん、今気づいたんですか?」
「いい性格もしてるな。そういうところは名田に似たか」
何だかんだいって名田さんは上手く降谷の負担を減らしてくれるんだろう。いかんな、公私混同は良くない。
この状況から組織はどうキールを奪還するのか。そして一度FBIに囚われたCIAのノックは、再び組織に戻ったとしてどう信用を得るのか。
ある程度情報を取れたと名田さんは警察庁へ戻っていった。スーツの下に銃を持つのが慣れないと言っていた割に、そんな素振りも見せないから流石だ。名田さんがいなくなり私と紀里谷さんだけになった。
「キールが組織に戻る、為にFBIは条件出してきそうだな」
「FBIは今組織の情報取れないですからね。喉から手が出るほどほしいでしょう、中の情報は」
「戻す代わりに情報提供をしろ、ってところか。組織に戻ったとして、組織はキールを歓迎するかは微妙だな」
「そうなんですよねー。どうせ新一のことだから、それも踏まえて作戦考えていそうですけど」
「赤井秀一を殺せ、とか指示来たりして」
「そう簡単にシルバーブレッド殺せるなら2年前にジンはしくじらないでしょう…」
シルバーブレッドを殺せだなんて指示が来るなら、いっそ新一たちには美味しい話だ。赤井秀一は死んだと組織が判断すればもう追われることは無い。ある意味捜査の幅が広がるも同然。
(そんなうまくいくかねぇ…)
頬杖を突きながら、赤井秀一と何かを話す新一を見る。十中八九原作の話だろうから私は介入しない。そういえば暫くポアロに行ってないな…。梓さんのコーヒーが飲みたいな…。
手塚としての職場、警察庁警備局警備企画課に戻れば、現在の上司降谷が来週京都で行われる予定のG7の警備資料を纏めていた。
「遅いぞ、手塚」
…ここにきて一番の驚きは、紀里谷さんから聞いていた降谷のイメージと全く違ったことだな。
「すんません。思ったより収穫あったんで、ちょっとビックリしまして」
「つかめたのか、キールの居場所」
「あれだけFBIが集ってれば探すまでもなかったですよ。彼女は杯戸病院にいます」
さて、ここからどのくらい情報を提供すると手塚らしいか。ここに来る途中で黒崎から構成員のデータは送られてきた。律儀なことに、タランチュアの残党だと思われる人間には印をつけていて。あいつは古株のジンやベルモットでなく、最近昇格した別の幹部を気にしているらしい。あの黒崎ですらまだ情報が掴めていない幹部、バーバラとハイライフ。黒崎の勘は昔っから恐ろしいほど当たる。降谷にはその二人を探ってもらいたいんだけどなー。報告書に2人の名前はあったけど会ったことも何をしてるかも、降谷も知らないみたいだ。知らないのか、報告していないだけなのか分からないけど。
(ほんと、これのどこが小型犬だよ、紀里谷さん…)
そういえばこの前見かけた時、あの少年の同級生諸君に囲まれていつもなら絶対しないようなへらへらした笑い方してたな。待てよ、年齢的にあのくらいの子供がいてもおかしくないな。今度「パパ」ってハート付きで読んでみてやろう。…高桐さんから「ブーメラン」って言われそうだからやっぱやめとこう。
「病院付近にあきらかぁに不審な男見かけましたよ。黒い帽子に黒いスーツ、グラサンした体格のいい男でしたね。電話してたんですけど、相手のこと「兄貴」って呼んでたような…」
「ウォッカだな」
あんな格好でよく病院の近くうろつけるよな。いや、それならトロピカルランドでジェットコースターに乗ったジンも言えることだな。…あの2人がジェットコースター…。堪えろ、このネタ黒崎と爆笑したからもう笑い済んだだろ。
「ウォッカとジンがキールの捜索に当たっていたのか……」
「もし身動きとりづらいようでしたら、俺の車貸しましょうか?車が変われば多少動き回っても大丈夫でしょうし」
ポケットから車のキーを出し降谷さんの前にちらつかせる。この人に盗聴器や発信機はつけられない。なら車そのものを発信機にするまで。俺には優秀な後輩がいますから。
「…その鍵、レクサスRCか」
「よく鍵見ただけで分かりましたね。俺正直車詳しくないんで、適当に選んだんですよ」
「適当でスポーツカーを選ぶ奴がいるか…」
「ほら、おれんち、金だけはあるんで」
降谷に近づくならでっちあげた過去は通用しない。長官がまだ現役だった頃に調査協力をしてくれていたIT企業の会長に協力してもらっている。手塚グループの孫、手塚邦洋、それが俺だ。事前に顔合わせも口裏合わせも終わっている。「じーちゃん」って呼んだ時のあの人の顔…「孫にも呼ばれたことないのに」って感極まってたな…。大丈夫か手塚家。
「今はいい。俺の車が大破した時に借りる」
「そういわれると、大破予定がないことを祈りますよ。怪我したら元も子もない」
スポーツカーをぼっこぼこにする予定でもあるのかこいつは。
缶コーヒー片手に休憩所の窓の外を眺める。優しい部下の俺は、この後降谷上長に缶コーヒーをあげよう。あれ、でもゼロって部下からの差し入れも口に入れないのかな。怪しいからやめとこ。
使われていないすぐ隣の会議室の窓が開く音がする。そちらの方を向かずにコーヒーを一口飲む。
「北澤と降谷は白だな。黒崎も、だ」
北澤の部下辻本…高桐さんの情報にでしょうねと返す。
「身内にはとことん甘いですからね、黒崎は。まさか自分も疑われてたとは夢にも思わないでしょ」
「あんだけ詳しかったら調べて当然だろう。黒崎はもう少し身内も疑うことを覚えたほうがいい」
「そんな辛いことさせない高桐さんはいいセンパイですね」
「言うな、それはお前の方がだろ」
黒崎は絶対に降谷、北澤、諸伏を疑わない。高校時代の友情だの先輩後輩関係だの、結局一時期の感情に過ぎない。10年経てば人は変わる。良くも悪くも。北澤と降谷を探ろうと持ち掛けたのは俺からだった。黒崎も追加したのは高桐さんの独断だ。
「ったく、黒崎はガキのころからチートだったのか?あいつらの情報全く出てこなくてすんげー大変だったんだけど」
「そんなにすか?まあ一般的には小学生の時に大学卒業してますし、子供んときから天才だったんじゃないすか」
「黒崎自身、そして工藤家周辺の情報操作をするのは分かる。じゃあ何故、降谷の情報も操作されていたのか。まるで潜入することを分かっていたかのようだった」
「その言い方ってことは、北澤の方から調べたんすね」
「北澤も苦労したけどな。降谷ほど操作されてなかった。つーかまさか13年前の事件資料に黒崎、降谷、諸伏の名前があるとは思わなかった」
「13年前というと…高校生くらい?」
「ああ、殺人事件に遭遇している。…これは予想だが、黒崎は警視庁刑事局にもコネがあるな。それも上のやつ」
「マジかよ…」
「トロピカルランドの取引の時、「殺人事件があったらしい」とあいつは連絡してきた。いくら警察車両が来たからってそれが殺人事件と断定するのはおかしい。あいつはその場にいなかったんだから」
「それが刑事局の情報提供によるものだと。そんで、それが13年前の事件で知り合った刑事」
「今も刑事局にいる当時担当した刑事は、小田切警視長だけだ」
あいつの知り合いどうなってんだ。警視長…あれ、でも北澤も警視長じゃなかったっけ。北澤も大概すげえな。
「降谷はタランチュアの存在知ってるみたいっすよ。黒崎は降谷も巻き込んで探し出そうとしているみたいです」
「あいつの執着心も中々だな…疲れねえのかな」
「復讐心に疲労なんてないんすよ」
俺も人間だ。人を憎んで陥れてやろうとしたこともある。犯罪者としてでなく公調としてを選んだ俺は、黒崎のことを何も言えない。犯罪者を選ばなかったのは俺も黒崎も、理性はちゃんと残ってたってわけだ。
「疲労はない、でも、終わった時に虚無感と罪悪感がどっと来るんすよ」
「随分知ってるようだな。経験済みか」
どうせ高桐さんの、いや、みんなのことだ。あの調査中様子のおかしかった俺を見て勝手に調べたに違いない。
「…高桐さんのそういうところ、俺嫌いっす」
「はて、それは誰のことだ?俺は辻本だ」
あーあ、あんだけ「極力法には触れたくない」とか言ってたくせに、しっかり黒崎に染まってんじゃねえか。
「警察庁こっちの害虫探しはおまかせして、俺は組織の方探りますかね」
「なんだ、潜入予定でもあるのか」
「俺の代わりに勝手に調べてくれる奴がいるんで」
「…はぁ、お前が大変なのか、降谷が大変なのか…」
まだ俺は降谷からの信頼はそこまで得られていない。信頼を得るために動くには場所も環境も悪い。ならこっちは勝手に探らせてもらう。伊達に黒崎と探り合いしてねえからな。
『まさかここまでとはな…』
『私も驚いたわ…こんなに上手くいくなんて…』
(それはこっちのセリフだっつーの…)
流石新一というべきか、それともこれは起こるべくして起きたと言うべきか。イヤホンから聞こえてきた二人の会話、後の銃声。
スマホ時代を生きた私からすれば、携帯電話で遠隔操作が浸透していないこの時代は随分ぬるい。ジェイムズさんやコナンの携帯を経由して裏で乗っ取った赤井秀一とキールの携帯電話。右耳はキールの携帯、左耳は赤井秀一の携帯だ。
(ってー、爆発音。…車ごとか)
聞こえなくなるはずの左耳から変わらず音が聞こえる。赤井の携帯は一緒に燃やさないんだ。そこは燃やしたほうが確実だと思うんだけど。盗聴内容は全て録音している。残りは後で聞くか。
ポケットから潰された黒い小さな機械を出す。スーツの裾についていた盗聴器。つけられたのは混雑した電車に乗ってた時だ。バレずにつけるのが随分上手くなって、先輩は嬉しいよ。
「残念だったねぇ、降谷」
人ごみの中に紛れる後輩を見分けられないほど、お前と会ってないとは思わないよ。ここ最近会えていなくて、今日偶然見かけたんだろうね。私が赤井秀一…FBIの情報を掴んでいると踏んでつけたんだな。
「!……やはり気が付いていましたか。相変わらず、気配を消すのがお上手で」
電車を降りてから降谷の尾行を始めた。盗聴器は直ぐに潰したさ。
「盗聴器の付け方がいやらしくてビックリした。でも一歩間違えれば痴漢だから気をつけろよ?」
「そんなへましません。…怒らないんですね、盗聴器つけたこと」
「どうやら私は身内対してはとことん甘い、らしいからね。自覚はあるし、そういう意味では降谷も同じにならなくて良かったと思うよ」
当人がいないところで好き放題言ってた先輩2人を思い浮かべる。私がどれだけ機械に強いか、あの2人はまだ分かっていないようだった。
「それじゃあ身内に優しい先輩なら、組織の動向だけじゃなく僕の周りであったここ最近の“異動”についても教えてくれるんですか?」
北澤と名田さん、直接会ってはないだろうけど高桐さんについて思うところがあるようだ。そりゃいきなり3人異動してくれば不自然に思うよな。
「…はぁ、可愛い後輩の面影は今は無し、か…ほんと、良い男だよお前は」
「おほめ頂きありがとうございます」
「私個人の問題であれば喜んで言っただろうね」
アラレナートに入れておきながら、心強い味方だと思っておきながら都合が悪くなると手放す。我ながら最低だな。
「ごめんな、降谷」
「…先輩?」
「お前と、そして諸伏とも会わない」
赤井さん達との報告会以来ずっと心に引っかかっていたころがある。私はその引っ掛かりを調べていた。今はまだ憶測でしかない。ただその憶測が本当であれば…。これは私の勘に過ぎないが、原作に食い込む降谷との接触はあまりにも危険だ。
(本当は、むしろ接触したほうが早いかもしれない。でもそれが良くない結果を齎す可能性の方が高い)
降谷はショックを受けたような、悲しい瞳をした。しかしそれも一瞬で、静かに目を伏せ、次に私を見つめる瞳は確固たる何かを持っていた。
「帰り道が分からなくなったら、俺が迎えに行きます。だから、安心して」
「…お前、ほんと…」
名田さんは私のこれを復讐だと言った。確かにそれもあるかも、いや、ある。タランチュアの目的は未だ分からない。でも今何をしようとしているか、憶測があっていれば分かる。それは私の今後の人生を大きく揺るがすものになる。タランチュアを知ってしまったら、私は…もしかしたら…。
それでも迷子になったら探しに来る後輩がいるなら恐れることは無い。後輩が迎えに来るその時まで思う存分迷ってやろうじゃないか。
「さいっこうだよ、降谷との出会いはきっと偶然じゃない、必然だったんだね」
「今更気付いたんですか?」
ふっと笑う降谷の姿は十数年前と変わらずドヤ顔で、私も思わずぶはっと笑ったのだ。
絶対に、降谷も、優作も、みんなみんな、守って見せる。