Reincarnation:凡人に成り損ねた
偶然の産物か、必然の結果か、
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新婚旅行も特に何もなく、後で有希子さんから「優作ったらまた事件に首突っ込んだのよ!」という話は聞いたが、組織に関する何かはなく無事帰国した。それからは特に目立った出来事が無いまま月日が経っていった。いや、一つだけあった。とても大きな出来事が。報告しなければ。
「こうして6人で話し合うのも、あの日以来だね」
モニタにはイギリスにいる5人が映っている。PCを使いビデオ電話をしているのだ。日本時間は朝6時。イギリスは夜9時だ。私の家に誰もいない状態で5人の都合が合う日がないのだ。こうして話し合えるのも奇跡に等しい。
『俺の潜入調査が終わったからな。ウィリアムがもう少ししたら潜入捜査に入る』
『ああ。しかも、あの酒の組織だ』
「そりゃ……。あそこは相当危険だ。タランチュアに気を取られて足元救われないようにね」
敬語はもう外れた。俺たちの前で緊張する必要も化ける必要もないと言われたからだ。流石に優作に対する態度とは同じではない。
『あそこについて何か知っているのか?』
「……まあ、ね。個人的になら情報提供するよ」
『SISへの提供はしなくていい。君の存在が表立つわけにはいかないからな』
事前知識とここ数年で調べた情報。幸か不幸か、今のエンジニアの技術は前世の最先端には及ばない。
(NOC全員知ってるとかは流石に言わない方がいいか…)
『タランチュアの情報は正直言うとお手上げ状態だ』
『カルヴィンは死んでしまったし、クレールもあれから何のアクションもない。これ以上外から探るのは難しいな』
数日前にテロに巻き込まれカルヴィンは死んでしまった。死んだように見せかけて工藤寛司を追っているのではないかと勘繰った。テロにジャックのいた組織が関わっていたのが幸い、というべきかは分からないが、ジャックは死体を直接見て血液を採取したそうだ。鑑定結果から本人で間違いないことが分かった。死体の偽装も頭に浮かんだが、科学的に証明されている以上こちらに頭を回すのは得策ではない。
「アデルが言った通り、タランチュアは暫く表に出ないだろうね」
『俺もそう思う。出るとしたら、そうだな、例えば世界規模の犯罪組織が一斉検挙されるときとか。他国との連携も必要になるときなら、他国の調査官と知り合いでもおかしくなくなる。今は裏で仲間がどこで何をしているかの確認をしているだろうな』
『焦る必要はない。向こうが持久戦に持ち込むならこちらも乗るまでだ』
『シーナ。君はまだ若い。引き返すなら、今ならまだ間に合うぞ』
突然ブルースが引き留める。ここまできてどうして。
『アデルも言った通り、持久戦になると思うんだ。しかも年単位の、数十年と掛かるかもしれない。君は未来の選択肢が多い』
未来の選択肢、か。今後のことはあまり考えていなかった。でも今は違う。
桜の下、頭をなでるぬくもりは覚えている。その時思い浮かんだ前世の記憶も。
人生は一度しかないから、だから悩み、悔い、そしてまた前を向く。贅沢にも二度目を迎えた私が何を望もうか。
「たとえ何度生まれ変わって同じ道を辿ろうとも、同じ選択をするよ」
『……ははっ参ったな。どうやら俺たちよりもしっかりしているらしい』
ブルースの言葉にアデルが苦笑いをする。
「まあ私の決意が分かったなら私から一つ報告。優作に子供ができた」
『子供ぉ!?』
「みんないい反応するなぁ。はい、こちらでございます」
みんなに見えるよう優作と有希子さん、そして赤子の3ショットを見せる。工藤新一、生誕。
『流石有希子の息子、可愛い』
『赤ちゃんってどの子もかわいくみえるだろ』
『お前は独身だから分からないんだよ、自分の子供は他のことは違って輝いて見えるのさ』
『いやセオドールも独身だろ。お前が言ってるのは姪のことか?』
『名前は決まっているのか?』
「新一って名前。この年で名付け親になるとは思わなかったよ…」
あろうことかこの夫婦は私に名付けを頼んだのだ。そりゃ断った。子供がいると発覚した8か月前からずっとずっと断ってきた。そしたらあの夫婦は外堀(と言っても私の両親だけだが)を埋めてきたのだ。
(生まれる2カ月前辺りから父さんと母さんも言ってきたんだよな…なんて言って二人を味方につけたんだあの夫婦は…恐ろしい…)
『シーナが名付けたのか。シンイチ、いい響きじゃないか』
もしここで違う名前付けたらそう呼ばれたのだろうか。劇場版でよく見かけた光景。らーん!しんいちー!のやり取り。そうだな…らーん!!とんぬらー!
「ぶっふ」
『シーナ?』
想像したら笑いが抑えられなくなった。ヤバい、ツボった。
「ごめん…くっ…ふふ…」
『悪役みたいな笑いになってるぞ』
いけないいけない。滅多に集まれないのにふざけている場合じゃなかった。
「くっ…さ、て。今後のことだけど」
画面越しに空気が締まるのが分かる。こういう切り替えは素晴らしいと思う。
「タランチュアが工藤家を襲う可能性は、現状は限りなく低い。確立としても一桁だ。」
『ユーサクの知り合いがICPOに行ったんだろ?それでも大丈夫なのか?』
原作で優作も有希子さんも新一も生きているから大丈夫、という理由は言えない。根拠はあるから問題ない。
「優作が小説家として名を馳せているのは知っているよね。有希子も引退してしまったがかなりの有名人。優作はスコットランドヤードにもニューヨーク市警にも、日本の警察にも知り合いが多いし有希子の友人も中々の面々だ。ここで彼らの身に第三者による何かが起きたら、間違いなく目立つ」
『身を潜めて力を蓄えつつ機を待つ奴らからしたら自滅行為に近いか』
「そういうこと。優作たちの周りに不穏な空気は感じない。奴らは優作たちの存在にまだ気づいていないだろう」
『壊滅したことになっている上に大きな行動を起こさない、調査が難航するな』
「壊滅していないことに気付いていると知られたら私たちも終わりだ。慎重に、確かに情報は欲しいけど自分の身を第一にしてね」
『勿論さ』
この中で一番安全なのは私だ。大学を卒業しているとはいえ、表ではただの子供にしか見えない。深追いはしないが情報収集は怠らないようにしないと。
季節が変わり私も思春期真っただ中な年齢になった。右腕が疼くぜ!とか言い出す人が出てくる年である。中学校に入ってからはまた運動を始めた。以前習っていた古武道の先生が「ようやく戻って来たかわが弟子よ!」と言って教えてくれている。弟子なんだ、いつの間に。
学校では思春期独特の空気にもまれながら平々凡々に過ごしている。成績は上の中くらいにとどめている。良すぎてもダメ、悪すぎてもダメ。平均ドンピシャとかやってみたかったけど進路を考えると、成績はある程度良い方がいい。
母さんはまた転勤らしく、今度は北海道だそうだ。そして父さんも転勤で関西に。中学生の一人暮らしを渋った両親に、かの夫婦が同居を名乗り出たが丁重に、そりゃもう丁重にお断りした。その結果、「かほりさんにお願いしたから」と母がいつのまにか、かほりさんに話を通していたためかほりさんと住むことになった。
「今日のご飯もおいしいなぁ」
「ふふ、ありがとう椎名ちゃん」
偶に、かほりさんが左薬指を寂しそうに見ているのを知っている。その度に口から出そうな真実を必死に呑み込み、静かにかほりさんの隣に座る。もしかしたらかほりさんは、私が何かを知っているということに気付いているのかもしれない。あまりにも何も言わないのだ。
(守る為、だなんて言い訳して、本当は逃げているだけなんじゃないか?…逃げる?何から?かほりさんが私を責めるのか?……かほりさんはきっとそれをしない…それが分かってるから…)
こんなにも心臓が痛い。
過行く日々の中で新一のことを一度も見なかった、なんてことはない。この時期なら会ってもどうせ覚えていない。夫婦二人がどうしても手が離せない時に子守をすることがあった。流石の私もミルクを上げたりおしめを変えたりは前世でもしたことが無かったのでちょっと新鮮だった。
「しぃちゃん、ごはん、しぃちゃん」
「あ~もうそんな時間か。お昼ご飯作るね」
本日子守デー。優作は打ち合わせ。有希子さんは久々に日本に来る友人と共に師匠の下へ向かうとか。新一は有希子さんが連れていく予定だったそうだが、二人の予定を知らず(情報収集しているとはいえ流石にストーカー紛いなことはしていない)訪れた私に何故か新一が引っ付いてしまった。結果、子守をすることになった。懐かれると思わなかった。新一よ、君は母より私を取るのか。ほらぁ有希子さん拗ねたじゃん。という流れはそんなに少なくない。
(まあ新一とこうして戯れるのも悪くない。優作が“引っ越すまでは”子守は何度でもするさ)
現在工藤家が住んでいる家は原作の家とは違う。あの洋館でもないし、隣に発明家の家もない。タワーマンションの一室だった。それでも広いんだけどね。
「たまご!しぃちゃん!たまごぐるぐる!」
「卵か、おっけーまかせろ」
2歳児が食べても問題ないものなんて分からなかったから、作り方から盛り付け方まですんげー調べた。私の部屋の本棚に「こどもがすきなごはん!」「幼児食のススメ」「子育てするお母さんが気を付けたいコト~食事編~」だなんて本が並ぶくらいには調べた。
くっそ可愛い新一はプラスチックプレートをもって、私の後ろをついて回る。混ぜる過程が特にお気に入りで、私は新一が見やすいよう床に座って卵をかき混ぜるのだ。
「は~いぐるぐる~」
「ぐるぐる~!」
その姿の写真を撮る。ああ可愛い。マジ可愛い。優作とはまた違った可愛さだ。聞いたところによるとイヤイヤ期が来ていないらしい。かほりさんから「椎名ちゃんって反抗吸引器よねぇ。優作も反抗期なかったし」と言われた。そこは「流石反抗期のなかった優作の子供」とか言ってほしかった。
有希子さんみたいに料理は上手じゃない。卵焼きって結構難しいよね、形整えるの。私が作る卵焼きはだし巻きではなく、砂糖・塩・みりんで味付けした甘めの卵焼きだ。見た目はごく一般家庭と同じだと思う。店に出すには形が悪いが家に出るには超普通な、そんな感じ。卵焼きとコンソメスープ、炊き立てのご飯。朝食みたいなメニューだな…。新一が食べやすいよう小さくカットした卵焼きやスープの具材たち。今日はちゃんと口に入るサイズだろうか。盛り付けして席に着き、行儀よくいただきますと手を合わせる。新一はおいしそうに食べてくれるので作り甲斐がある。
「しぃちゃん、しょっぱい」
「この味だとしょっぱいのか…。ごめんごめん、スープ残していいよ」
正直なのも、まあ、ステキなことですよ。スープの塩加減が新一にとってはしょっぱかったらしい。しょっぱいっていっても塩分たっぷりではない。健康に気を遣う有希子さんの作る料理は薄味だ。私の基準で味見したのが失敗だったか。
「でもおいしいよ!ちゃんとたべる」
「君のそういうところは是非伸ばしていくんだぞ新一」
ちゃんと完食してくれるなんて嬉しいじゃないか。君の将来の嫁は料理上手だから大丈夫だと思うけど、マズいからって残す男にはなるなよ。
本読んだり絵を描いたりして時間はあっという間に過ぎていった。シャーロックは優作が読ませるだろうからその辺りでなく本当にただの絵本。抱っこしながら絵本を読んでいると、おやつの時間になる前に新一はうとうとしだした。
「眠い?」
「うー…」
私の服をぎゅっとつかみ、そのままスヤァと寝息を立てた。なんだこの可愛い生き物。左手は新一が倒れないよう背中を支えている。右手で額を抑え、天を仰いだ。神よ。