禁書ノ記憶

美術館からの脱出

黄の間

 めちゃくちゃリアルな猫の泣き声を聞きとげ、現れた細い通路を進むと代わり映えしない色の世界。まずは左側の白いキャンパスへ。
「あ、そいつ唾吐きます」
 ペッ
「うわっと」
 音のわりに小さな水たまりが出来る量の唾を吐いた、へらへらしている赤い奴。水たまりは水のように透き通っていて、忘れてたら踏んでしまいそうだ。
「それ踏むとダメージ1枚です」
「分かった」
 白いキャンパスの中央には赤い文字で「9」と書かれてる。小さすぎて何度も確認したが、降谷さんも「9じゃないか?」と言ってくれたので9と判断する。
「赤で9、赤で9、赤9…」
「そう何度も言わなくても忘れないから…」
「私が忘れそうです」
「それで良くゼロに入れたな。…結城の場合は特別か」
「よくコネって言われますねー局は違うけど母が上にいるんで。まあどうでもいいですけど」
「実力云々はともかく、上は結城を手放したくないだろうな。そう考えると君の昇級は待ったなしか」
「そうですかね?」
「条件満たせば人を消せる本だぞ?悪用されれば完全犯罪も可能だ。恐らく今までは回収の過程で消えるのを防ぐ為に、今ある本だけを管理していたんだろう。結城がいれば解読も回収も可能だ」
「ああ、だから私に取りに来るようお達しがあったのか…」
 潜入捜査官のいる部署へ下っ端の私が呼び出されるなんて正直有り得ないと思ってた。というか上司がこっちもって来ればとか、先輩が取り行けばとか兎に角私より偉い人が行った方がいいんじゃって思ってた。でもそういう意味があるなら私が呼び出された理由はよく分かる。
…いやだから毎回解読できる保証ないって…。やっぱり上司は理解していない。今回は当たりだったから良かったものの、これで知らない世界だったらどうするんだ…。
唇の方はリンゴが無いから最後だ。通路に落ちている「忘れたころに……」のプレートを見て「また手が出てくるので通路の真ん中歩いてくださいね」とちゃんと伝える。緑の部屋のあれか…と嫌そうな顔をしながらも、私の後ろを着いてきてくれる降谷さん。ズバァと出てきた手に背後の空気が僅かに揺れた気がした。まあ、ビックリはするよね、分かってても。
「あぁ、そういえばこんなのあったな」
「…うわぁ…」
 通路を過ぎて左側には天井から足をつられた人形がぶらさがっている。私らに合わせているのか妙にリアルだ。
「えっらいキモイな」
「気持ち悪いというより怖いだろ…まだ組織の方がマシだぞ…」
 人形の先にもいく必要はあるけど数字が分からなければならない。反対の部屋にその一つがある。ギミック解いた後が中々ショッキングだけど、そこは我慢してもらうか。最悪外に待たせて…吊るされた人形が見える廊下で1人待ってるのと一緒にいる代わりにショッキングなもの見るの、どっちがマシなんだ…?
 とりあえず頭を使う部屋に向かうことにする。「ウソつきたちの部屋」、正直メモが欲しい部屋だ。ポケットを軽くまさぐったがレモン味の飴とライターしか出てこなかった。…この2ついつの間にポケットに入ってたんだ…?
(完全にギャリー役か、いや分かっちゃいたけど)
 とにもかくにも先に進むか。扉を開けると子供の1が6枚壁にかけられている。全員違うポーズをして、違う色の服を着ている。3枚3枚に別れた中央に黄色い扉がある。一番近くにあった青い服の子どもの下に書かれた文字を読んだ降谷さんは「この部屋に敵はいるか?」と聞いてきた。「ここは安地…安全地帯なので脅かしも敵もないですよ」というと、分かったといい他の子どもの言い分も読み始めた。私も倣って読み始める。
 全部読み終えた降谷さんを連れ黄色い扉をくぐる。部屋の中央に白い石像があり、周囲には不自然に盛り上がったタイルが整列している。
「“石像の正面に立って 東に4歩 次に北へ2歩 そこが正解”。子どもの謎ときだね」
(一応主人公小学生だし、それに合わせてるところあると思うけど)
「東西南北は石造の正面から見て素直に考えていいのか?」
「それで大丈夫です。っとその前に」
 私が考えてそうするより当人の意志を尊重したほうがいいか。先に言えって何度も言われてるし。
「ここのギミック解くと、隣の部屋がちょっとショッキングなことになります。1人で廊下で待ってるのと一緒にショッキングビューを見るのどっちの方が精神的に平和です?」
「あの廊下に1人ってのもな…どのくらいショッキングだ?死体見るのとどっちがマシ?」
 死体とどっちがマシか…って言われても…。
「…そういえば半身ゾンビとか白骨の山は見たことあっても普通の死体は見たことなかったな…」
「普通って…。1人より2人、だな。共有できる人間がいた方が気が落ち着けるはずだ」
 この場合恐怖の共有と言うより見聞の共有だな。怖いもの見たさってのもありそうだ。
 降谷さんがそれでいいというならそうしよう。石像の正面に立ち東へ4枚分、北へ2枚分進む。カタッとタイルを剥がすとタイルの裏に青い文字で「4」と書かれていた。
 そして、隣の部屋から何かを切り裂く音、ガラスが割れる音、子どもの悲鳴が響いた。


 変わり果てた子供たちの絵に足を止めかけた降谷さんの腕を強引に引っ張り部屋を出る。この部屋にもう用はない。見なくて問題ないものを不必要に見過ぎると精神がやられる。現実世界では有り得ない事やショッキングなものを見た時のストレスを軽減させ、心の安寧を保つために本から帰還後はカウンセリングを強制的に受けないといけない。私はともかく、初めて本に入ってしまったあげくそこが明らかに異世界なら降谷さんも相当なストレスを抱えている筈だ。目に見えない分厄介。下手に喚かれるよりその冷静さに助かっているところはあるので余計に何も言えない。
 次のギミックを解くため吊るされた人形の間を通りながら、気を紛らわせるため関係のない会話を広げる。
「そういえば降谷さんっておいくつ何ですか?」
「26、今年で27かな」
「納得できるような出来ないような」
「それはどういう意味だ」
 丁度私の顔の位置につるされた赤い人形を通り過ぎると、降谷さんより上の位置につるされていた赤い人形がボトリと落ちてきた。ズボンに書かれた緑の「18」を確認しながら「だって」と理由を述べる。
「あの部屋にいた時点で自分より年上は確実、なのに見た目は自分と大差なさそうな…でも明らかに私より大人びてる感じ?なんかちぐはぐだなって」
「ちぐはぐ、か…若く見られることがほとんどだが、初めて言われたな」
「新米警察官ですから人を見る目はまだないんですよねー」
「結城は二十歳あたりか」
「今年二十歳です。へっへっへっ、酒が飲めるぜ」
「好きな酒は?」
「カルーアとかカシオレですかね」
「ホォー?ということは飲酒経験があるんだな?」
 やっべ、警察官なのに未成年飲酒バレた。
「…18×9+4は?」
「166、話を逸らすんじゃない」
 ギミック解くため聞いた質問で誤魔化されてくれず「くっ、口が滑った」と呟くと「警察官としてもゼロとしてもあるまじきだな」と軽く小突かれた。カタンと扉の鍵が開く音がし、そのまま扉を開ける。木のオブジェが立ち並ぶなかで1つだけリンゴが出来ている木に進む。
「おっと意外に位置が高い」
「リンゴ?…ほら」
 届きそうで届かないもどかしさを味わっている私の背から、難なくリンゴを取った降谷さんを足から頭へと視線を動かす。…チッ、イケメンで背が高いとか。
「これだからイケメンは」
「結城に言われたくない」
 半目で降谷さんを見上げると降谷さんは降谷さんで呆れたように見降ろしてきた。何してんだ私ら。
 リンゴを取ったら次のステージに進める。吊るされた人形を雑談しながら通り過ぎ、端に注意しながら通路を進む。ズバァっとまた出てきた手に今度こそ降谷さんは怯えなかった。流石に慣れたか。
 この部屋に入って右側、唯一行かなかったその先に進むとルージュの唇がぷくりと壁に埋まっている。人1人食べられそうなほど大きな唇だ。
「はら へった くいもの よこせ」
「リンゴでよければ」
「その くいもの よこせ」
 ぱかっと開いた口にリンゴを「ほい」と投げ入れる。木をかみ砕くガリゴリというどう聞いても美味しそうじゃない音が響く。
「うまい これ」
 ゴリゴリとかみ砕きながら感想を伝えてくれる唇に降谷さんが「あの感触は木だったぞ…」と小さく呟く。
「おまえら きにいった こことおす おれの くちのなか くぐっていけ」
 ばっかりと先ほどより大きく開いた口。降谷さんも余裕で人飲みできそうなほど大きく開いた口の向こうに部屋があるのが見える。
「さーて行きましょう」
「ここ通るのか…」
「不安なら手ぇ繋ぎます?」
「子ども扱いするな」
 こつと頭を小突かれる。はは、すみませんと言葉だけ謝りながら口の中に入っていった。足に伝わる感触がグニグニしていたのがちょっと気持ち悪かった。


 壁にかけられているのは巨大な刃物、ギロチンを描いた絵画。進むごとにその刃は上へと上がっていく。突き当りにかけられた最後の絵は完全に刃が見えなくなっていた。
「嫌な予感がするな」
「その予感的中です。ここ通ると上から降ってきますんで、一旦待ちましょうか」
 上を見上げながら少しずつ歩を進めると、ヒュンと風を切る音が聞こえた。直ぐに後ろへ下がると、先程までいた場所より少し先に大きな刃物がドォォン!!と床を割った。
「ここに来るまで何度も思ったことだけど、帰って来れない理由がよく分かるよ」
 普通に進んでいたら間違いなく直撃しているだろう。身体が真っ分たつに割れる、というよりその刃の大きさから潰される方が正しい表現になるかもしれない。床に刺さった刃物は不気味なほど音を立てず上へ上っていった。
「一回落ちればもう落ちないはず、ささっと渡っちゃいましょう」
「先に階段があるのか、転ばないようにしないとな」
 ある程度高い位置に刃が上り、2人足早にその下を通り過ぎる。階段を下っていると壁や床の色が黄土色に近い黄色から赤色に変わった。