Reincarnation:凡人に成り損ねた

虎視眈々と

10

 降谷が潜入している組織の案件、秘密裏に動いている対タランチュア案件、サミットの事前施設確認のためのエトセトラ…考えることに反比例してデスクの書類は比較的穏やかだ。タランチュアの案件は流石に書類にはできないししたとしても官房長や公調が持つだろう。公安部にタランチュア候補、自分の部下がいつ裏切るかわからないこの恐怖は、きっと当事者の諸伏は比じゃないだろう。
 丁寧にサインした書類を乱雑に端に寄せた。そしてデスクの前に立った風見を見上げる。組織の行動中の降谷にはなるべく警察庁・警視庁へ近寄らないよう伝えてあった。その間の連絡役は風見が行う。必ず、一人で来るよう念入りに伝えているが…。俺の名を呼ぼうとしたのか中途半端に開きかけた口を閉ざすよう自身の口に人差し指を立てた。デスクの周囲に人はいないがフロア内には仕事をしている仲間がいる。キーを打つ音、「例の件だが…」と小さな声で会話する音、書類をとんとんと整理する音、耳を澄ませば仕事をしている公務員の音が聞こえる。それに反して俺と風見の間には静寂が訪れた。
 風見の隣に音もなく並び左腕を掴んで袖の裏を見れば、黒いテープに張り付いた異質物が顔を覗かせた。ビリッと剥ぐとそのまま小さなそれをつまむように潰した。
「相手が“俺”だったことを二度とない幸運に思え」
 潜入中の降谷が相手だったら、盗聴器一つで、お前の迂闊さで一人の優秀な捜査員が死ぬことになる。絶句する風見に厳しい視線を向けつつ、風見が気付かなかったなら身内の犯行…田沢の可能性も否めないなと密かに同情する。盗聴器は後で名田さんか高桐さんに渡しておこう。チート黒崎か天才紀里谷さんが調べてくれるだろう。というか、いくら風見と言えどまさか身内から仕掛けられるとは夢にも思わないだろ。こいつは失態を自省できる人間だ。一先ずお咎めは置いておこう。いつのまに、とでも言いそうな表情の風見に「報告」と続きを促した。
「…はい、降谷さんから組織の動きについて報告がありました。シェリーがミステリートレインに乗車する可能性が高いと」
「ベルモットと同乗して仕留める、って流れだなそれは」
「始末はバーボンが行えるよう調整中とのことです」
「捜査員の配置の許可は俺から上に通しておく。配置は俺より降谷にやらせた方が都合がいいだろう。ミステリートレインに乗車する組織関係者についての情報は?」
「ベルモットとバーボンは確実に。シェリー周辺を追っていたバーバラについては、今回の作戦には同行しないと」
「はぁ?あれだけ嗅ぎまわっておいてか?」
「ベルモットとバーボンの前で、ミステリートレインに乗車しないと宣言したと報告受けています」
「…とりあえず分かった。だがまぁ、バーバラの駒も判明してない、可能性として念頭に置いておけ。それから降谷に会ったら伝えてくれ、“焦るなよ”ってな」
 毛利探偵事務所へ潜り込んでから、FBIに接触したりベルモットを利用したりと中々際どい動きをしている。FBIの中で降谷とバーボンをイコールづけられるのは死んだ赤井のみ。…いや、死んだ“ことになっている”か。
「目先のことに囚われると些細な油断を起こしやすい。特に気を張っていればいるほど、期間が長ければ長いほど、身内の人間を前にいつもならしない“ミス”を起こす……まぁ身内相手ならそれだけ気を許してるってことにはなるか」
「…体験談ですか?」
「身内側の、だけどな」
──コナン君の様子見れば分かるか…?──
 公安は赤井を死んだと判断している。それは俺だって同じだ。あの映像でどうやったら赤井が生きている判定になるのか寧ろ気になるところだ。諸伏の時とは違う。頭を打たれた後爆散してんだから。残された右腕の指紋鑑定も赤井と一致となっている。
 江戸川コナンは確かに赤井秀一を筆頭にFBIと関係がある。だが捜査官の死を江戸川コナンに伝えるだろうか?情報管理がなっていな過ぎる。だが黒崎の口ぶりは江戸川コナンの様子から赤井秀一の死に纏わるなにかを判断できるというものだった。それが「死んだ人間が何故ここに」なのかどうかは分からない。
──…まあそれで顔出すような人間でもないけど…──
 無意識に呟いたであろう言葉はしっかり聞こえた。降谷から聞いた話だと、捜査官は演技している様子もなく己の存在に驚き”死んだはずの恋人が返ってきた”かのような様子だったという。それで顔を出すような人間でもない。まるで赤井秀一が生きているかのような口ぶりだ。あの時の黒崎は間違いなく“油断していた”。気付いて調べなおしてみれば、指紋鑑定の一致先は江戸川コナンの携帯。なるほど、確かに一枚噛んでいるらしい。警察組織の目をも欺いたその作戦の内容はとても気になる。黒崎に聞けば一発か?どうだろう、…今ならいけるか?
(ここで聞いてたらダメだな、自分で推理しないと)
 情報量は少ないが分かることもあるはずだ。それを簡単にやってのけるのが公調、未成年に振り回されるのが警察…。俺もまだまだだだな。
「報告ご苦労。諸々手配が済んだらすぐに連絡する」
「はい」
 「ああそうだ、糖分でも補給しとけ」と引き出しに入っていたチルルチョコを一つ風見のポケットに滑らせながら席を立った。丁度名田さんが戻っていたはずだ。バーボンとベルモットの動き、黒崎が気になっているバーバラの動き諸共、公調へ行くには仕事が立て込んでるから名田さんに報告しておこう。


「ただ、降谷がいるのがなぁ…」
 ミステリートレインの入場パスである指輪を手で転がしながら報告する。アンディを追ってたら、まさかと言うべきか案の定と言うべきか、バーバラに辿り着くとは思わなかった。紀里谷さんと黒崎もまた難しそうな顔で報告を聞いていた。
「バーボンとベルモットは同乗、そこでシェリーの抹殺を企てる、か…」
 「降谷ならベルモットの目を掻い潜れるでしょうね」と相変わらず降谷への信頼を零す黒崎に思わず苦笑した。北澤さん曰く黒崎と降谷はここ最近会ってないらしいし、なんなら黒崎の方が避けているらしい。避けてる理由は分からないけど、海より深そうな信頼が垣間見える。
「だが公安預かりにしたところでシェリーと認めてもらえるかは…いや、むしろ認めてもらえないだろうな。シェリーの隠し子にしては年齢的に無理があるし、知られざる妹、ってところか」
 知られざる妹、か。確かにあの見た目でシェリー…宮野志保と他人と言うのはかなり無理があるような気がする。降谷ならいかようにもできそうな気がするし、したところで驚かないだろうなと思う。妙なデジャブに少し思考を巡らせれば、別の人物で同じことを思った過去があったのを思い出した。
(…この黒崎にしてあの降谷あり、ってか…)
 降谷…良くも悪くも先輩見てたんだな…いや仕事的には良いことだろうけどさ…、となんだか複雑な心情をよそに、黒崎と紀里谷は会話を展開していく。
「アンディがミステリートレインに乗るってのは、バーバラの代役とも考えられますね」
「まあそう考えるときれいな流れになるよな…。シェリーを追ってる割にミステリートレインに乗らないっつーバーバラ、そして何故かパスを持ってるアンディ…代役を立てる意味が分からないな」
「というかミステリートレインには江戸川少年たちも乗るらしいぞ、どうする黒崎」
 東堂として過ごしていた経歴を考えれば黒崎が乗っていても不思議ではない。ここで俺が乗るよりも自然なはずだ。降谷がいる時点で「何故手塚がいる」となる。コナンたちと顔見知り、安室とは知り合い出なくても降谷と関係があり、ミステリートレインに乗っていてもおかしくない人物。東堂馨はあまりにもうってつけだ。しかし黒崎は首を横に振った。
「知り合いだからこそ、やめておきます」
 意味深な発言に「どういうことだ?」と紀里谷さんと共に首をかしげる。しかし黒崎は理由を告げずに「それよりも」と会話を続けた。
「名田さんって爆弾処理できましたっけ?」
「爆弾処理?まあ凝ってなければ」
「おいおいまさかシェリー殺すのに爆弾しかけるとか考えてるのか?」
「一番証拠が残らない上に、確実に全員殺せ(消せ)ますからね」
 消せる、というのはシェリーのことだよな。しかしいくらなんでもその方法だとバーボンやベルモットまでも巻き込みかねない。ネズミの疑いのない奴を殺す組織ではなかったはずだ。
「ミステリートレインは寝台列車みたく部屋が分かれてます。降谷に会わないことも可能ですよ」
「…理論上は、だろ。降谷の動き読んで隠れるってなんて高等テクニック…」
「まるいち、バーボンとして動いている間に降谷のスマホは触らないはず。まるに、コナンたちも恐らくバーボンとベルモット対策をするはず。組織として確実にシェリーが死んだことにするための策を講じているでしょう。そのコナンたちには探偵バッチがあるので探知は可能。何なら盗聴も。まるさん、車内で何か起きても“何も知らない客”がいてもおかしくない人数は招待されている。その上車内に監視カメラはない」
 つまり?降谷のスマホをハックして車内における居場所を特定、更に江戸川少年たちの居場所と会話内容を盗聴、そして件の関係者とは誰とも会わないよう爆弾の解除をやれと…。
「黒崎はあくまでサポートか。がんばれ名田」
「ぼちぼち俺人間やめられる気がするんですけど」
「黒崎のナビだし大丈夫だろ」
「言っときますけど俺の中では紀里谷さんも中々黒崎よりですからね?なんで見ただけでできるわけ」
「…2人とも、人を人外呼ばわりしないでもらえます?」
 目を細める黒崎に紀里谷さんと口を揃えて「お前はもはや人間じゃない」と伝える。「降谷じゃあるまいし」って言ってるけどな、その降谷は多分お前見て育ってるぞ?いわばお前が親鳥だ。あきらめろ。