Reincarnation:凡人に成り損ねた

虎視眈々と

8

 紀里谷さんを目暮警部から離したのは紀里谷さんの言う通り降谷と合わせない為、というのは表向き。私の思惑は、名田さんと高桐さんを察庁から離れさせるように仕向けたのと同じ、全部同じだ。彼らはきっと理解できないだろうし私も言うつもりはない。
 降谷には直接、諸伏にはメールで「当分会わない」と伝えた。一方的と言えばそうであると認めざるを得ない。
「あいつと違って俺は表に出さないタイプなんで。俺だって先輩とずっと付き合い続けたいんですよ」
 潜入中の降谷は“互いの為に”とこの家に来ることはだいぶ減った。死んだはずのスコッチがここに入るところを見られたら事だと思うけど、3年前の話で組織からしたら終わった話。変装している諸伏は一発でスコッチとは分からない風貌だった。
「それで?」
「…こういうことしてくるなら降谷だと思ったんだけどなぁ…お前も大概、私のこと好きなんだな」
 コーヒーを作ることに拘りのない私は市販のインスタントしか置いていない。勝手知ったる何とやら、私の分のコーヒーも淹れた諸伏は正面に座った。
「出会ったのはあいつが先でも、総合的に一緒にいる時間長いのは俺の方っすよ?」
「何故そこで張り合う」
「宮野明美の一件以来、ちゃんと話してないんで…」
 ぶすっと拗ねた諸伏に呆れてため息を出そうとしたら苦笑してしまった。降谷が引くと諸伏が出てきて、諸伏が引くと降谷が出てくる。バランスが良いと言うべきか流石幼馴染と言うべきか。
「……最近、諸伏の周りで雰囲気変わったやついない?」
「俺の周り、っていうのは公安のっすよね。…心当たりはないですね」
 田沢は良く立ち回っているようだ。純粋に接触が無いだけだろうか。
「どう変わったとか、具体的なものあります?もしくは雰囲気変わったきっかけになりそうなこととか」
「…そうだな、きっかけは…江戸川コナンの存在を知ったかどうか、諸伏がスコッチだと知ったかどうか」
 自分の名前が出てくるとは思わなかったのか、一瞬目を見開くも直ぐに頭を巡らせた。諸伏がかつてスコッチを呼ばれた潜入捜査官であるという情報は、洞沢さんに聞いたところ普通は知れない情報だという。降谷さんと直接会える風見くらいにならないと知れない。それは警察官としての階級ではなく実力と信頼度によるものだろう。現に同じ警部補の田沢は降谷と会うことはできない。
「……そういえば…俺がスコッチだっだことは知らないと思いますけど、潜入捜査やったことあるかって聞いてきた奴はいますね」
「…そいつの名前は、田沢典弘?」
「…あいつ、疑われているんですか」
 一度職場の人間に売られた諸伏は降谷以上にその職場の人間に対して敏感になった筈だ。あいつがそんなことするわけない、ではなく可能性の一つとして静かに受け止めている。降谷が甘いってわけじゃないし、寧ろ私と比べると降谷の方が身内にも厳しいが、諸伏のは降谷の比じゃない。普段から疑っているわけじゃないと思うけど。
「引っかかるところはある。ただ…そいつについてはこちらで調べてるから、諸伏は探らないでほしい」
「同じ公安にいる俺の方が先輩よりはるかに情報得られると思いますけど?」
「田沢が、自分が調べられていると知れたらどう動くか分からない。恐らく田沢の狙いは…」
 言いかけて口を閉じる。これは果たして言っていいものだろうか。言ったとして、そう考える理由までは言えない。
「…もし降谷に恋人がいたら」
 言い淀んでいた私に諸伏は突然話の方向転換をした。何を言い出してるんだと思いつつも真意を読み解く為何も言わない。
「あいつ不器用なところあるから、仕事と恋人両方取るってのきっとできないと思うんすよ。かと言って別れるという選択肢は選びたくない、ってなった時、あいつどうすると思います?」
 潜入捜査中に会ってしまえば問題がある。公安の仕事は、仕事どころか所属すら家族に打ち明けることはできない。例えば恋人は東都から離れた所に住んでもらう、としても恋人の事情によっては東都から離れられないということもあるかもしれない。いや?降谷は口が上手いから言いくるめるかも。降谷が選ぶ人なら仕事に理解のない人間を選ばないと予想した。
「何かと言いくるめて東都から離れて暮らしてもらうとか」
「あー、あいつなら出来そう…。俺の予想は、「外で会っても他人のふりしてほしい」とか「俺と付き合ってることは隠してほしい」とか恋人にお願いする気がします」
「いや、まさか」
「あいつ本気の恋愛に関してはポンコツなんで、そうなる気がするんですよ。いや、もっとひどいかもしれない」
 そっち方面の話はしたことがないから、降谷の恋愛歴がどんなもんか分からない。幼馴染で私よりはるかに隣で見てきた諸伏がそういうなら、想像できないがそうなのかもしれない。
「そう言われた恋人が、もし街中でハニトラ仕掛けてる降谷を見てしまったら」
「修羅場は想像に容易い…他人のふりに加え交際を隠してほしいって言われた手前見たら、自分は遊びと思っても不思議じゃないね」
「こういうことになったとき必要なのって、信頼関係だと思うんすよ。その信頼関係を築くために必要なのは、勿論行動もありますけど、言葉が大事だと思うんです」
「愛してる、とか君だけだ、とか?」
「陳腐ですけどまあそうなりますね。言葉の内容も勿論ですけど、言葉に込められた想いこそ大切だと思います」
 一口、コーヒーを飲む。本人の与り知らぬところで恋愛事情を想像する、何かすまん。
「先輩は、その降谷と同じ状態なんじゃないかって思うんすよ。俺たちがその恋人。全て語れとは言いません、でも俺たち、不安なんですよ。……先輩に」
 言葉を詰まらせる。先輩に、と何度も言うも徐々に涙声になるだけでその先は中々紡がれない。
「せん、ぱいに…見限られたんじゃ、ないかって…!」
 黒の組織に専念しろ、不用意に近づくな、もう会わない。一度は頼りにしたのに、突然そんなこと言われたら。言ったのは私か…。
「…君らのためだ、何て言ったらますます、その降谷と恋人の状況と似ちゃうんだろうね」
「俺たちの為だとしても俺たちの心の為にはならない!所詮それはエゴだ!何かあってもそれを先輩のせいになんて絶対にしない、それを選んだのは紛れもない自分自身だから…」
 乱暴に涙をぬぐい諸伏は真正面から見つめてきた。潤んだ瞳は光に反射してキラキラしていて、なんだか眩しく感じた。
 良かれと思ってやってきたことは、結果的に彼らを傷つけてしまっていた。良かれ、それは当然大切な人たちの為もある。でもきっと私は、私の為に、私の目的の為にやってきたとも理解している。
「…今から言うことは、降谷に伝えてもいい。でもね、これはまだ私の予想の範囲の話なんだ。それだけは忘れないで」
 伝えて本当に大丈夫か不安でしかない。いつかこの予想の理由を聞かれる日が来る。その時私はきっと沈黙してしまうだろう。それでも伝えるのは、何も言わずただ一途に待ってくれる後輩と、涙ながらに私と続きたいという後輩が愛おしいと思ったから。大切にしたい。
─何だかんだ言ってかわいー後輩だからな。大事にしてーって思うよ。…言っとくけど、そういう意味じゃないからな─
─……先輩とそういう関係はちょっと想像できないっすね─
─んだとぉ?これでもクラスで一番チョコ貰ってたんだぞ?……義理だけど─
─義理かよ─
(大事にする、って、難しいっす…神崎先輩…)
「…先輩、俺言えって強要してるわけじゃなくて」
「いや、2人の気持ちをガン無視した私も私だ。聞いてほしい、うん、覚悟はできた」
 忘れてはいけない、言わずして降谷にあらぬ罪悪を被せかけたこと。諸伏に最悪の過去を背負わせかけたこと。
「再三言うけどこれは予想の範囲だ。何の根拠も証拠もない」
 田沢が風見を尾行している、諸伏にスコッチかの確認はしなくても態々潜入捜査の経験を聞いてきた。降谷以外にも潜入捜査している人間はいるはずなのに、現在潜入しているわけじゃない、ピンポイントで諸伏を訪ねた。
「田沢はお察しの通りタランチュアの可能性はある。そして奴は名前も顔も知らないある人物を探しているかもしれない」
「名前も顔も知らない…って…」
「田沢は独断か、もしくはタランチュアの指示で、スコッチを助けた人物……私を探しているのかもしれない」


「…見放されたわけじゃなかったんだな。正直、見当違いなこと言ったかもしれないって不安だった」
「見当違い?」
「いや、こっちの話だ。それにしても…田沢典弘か…」
「タランチュアは組織にもいるんだろ?もしかしたら俺がスコッチだってことも知っている可能性がある。あいつがタランチュアと繋がってるとしたら、組織に俺の生存が伝わってもおかしくないんだ」
「でも先輩はそれを否定したんだろ?…先輩は組織がスコッチの抹殺命令を出すより前に、その命令が下されることを知った。その情報源を知るために?先輩のハッキング能力を狙って?」
「先輩を捕えてから俺を報告しても遅くはない、か…。この方法なら、もし組織にいるタランチュアがコードネームもっていなかったら一気に幹部入りかもな」
「…タランチュアかどうか、関係あるか分からないが妙な奴はいるな」
「妙な奴?」
「ああ。組織に忠実なのに、組織の壊滅を望んでるような言動が度々垣間見える。脅されている、にしては任務に対しての嫌悪感がない」
「ベルモットみたいなやつだな」
「あいつとは少し違うニュアンスを感じる。先輩に伝えようと思ったが流石に確証もないのに伝えるのは、かえって先輩の負担になるからこちらで調べてからにしようと思ってまだ伝えていない。会わないって言ってもメールは繋がっているから…返信ないけど…」
「…俺も返信ないわ…」
「………」
「………」
「……そういえばそいつ、妙なこと言っていたな」
「妙な事?」
「ああ、確か」


 『ウンディーネに嫌われた、己が行為に酔いしれる哀れで愚かな神様気取りがやはりいるようだ』