Reincarnation:凡人に成り損ねた
虎視眈々と
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とある案件でバタバタしていたが一段落着き、紀里谷さんとラーメンを食べに行った。時刻は深夜、日付が変わっているが気にしない。ラーメン屋は公調の中では有名な個人経営の小さな店。口の堅さはピカ一、なんてったって、元公安の人間が経営しているのだ。紀里谷さんの古い友人だと言う。
「今日は奢りですか?」
「仕方ねーな。明日から暫く書類な」
看板は閉店となっているが中は電気がついている。紀里谷さんが電話をしていてくれたらしい。引き戸を開け中に入るとカウンター席には男性が二人いた。というか、一人はめっちゃ知り合い、つかなんでここにいる。
「よう紀里谷、こんなおっせー時間に営業させんじゃねえよ」
口の悪い店主は笑いながら言った。紀里谷さんも笑いながら悪いなと返す。
「この時間にいるってことは、そこの二人も同じ口か?」
閉店時間は21時のこの店が時間外営業するときは、決まって公調か公安の人間が頼んで開けてもらっているのだ。それが分かっているから紀里谷さんもズバッと聞いたのだ。
「とりあえず中入ってください紀里谷さん」
「あ、悪い」
中に入り席に着く。紀里谷さんを訝し気に見ていた彼の目は、私を捉えると驚愕に変わった。
「えっ!?」
「よー降谷、お疲れ。日本に戻ってたんだ」
ジンから嫌がらせを受けたと海外へ行っていたはずの降谷が何故かここにいる。スーツを着ているから公安の仕事で一時帰国していたのかもしれない。私の知り合いと分かり、紀里谷さんは降谷と私が隣同士になるよう座ってくれた。
「降谷さん、お知り合いですか?」
隣に座る彼は映画で一度見たことがある。というか一度しか見たことない。恐らく風見とかいう降谷の部下だ。
「なんだ黒崎、知り合いか?」
「高校時代の後輩で、今は公安にいる子です。MMの取引相手の、あの組織を追ってるんですよ」
「ということはこちらの報告書を渡している相手が、君ってことか」
黒の組織の情報は公調でも少し掴んでいる。その情報は国内で最も追っている公安に回されている。会話から降谷は、紀里谷さんが私の上司であることに気付いた。
「降谷零です。いつもお世話になってます」
「はは、そんなかしこまらなくていいさ。紀里谷雄太だ。よろしく」
「そちらの彼は降谷の部下かな?」
「あ、風見裕也です。えっと、降谷さんの先輩?」
「黒崎椎名。ああ、私も降谷と一緒で潜入中というか、普段偽名で生活してるからよろしく」
自己紹介をしながら私は塩ラーメンを、紀里谷さんは味噌ラーメンを頼む。降谷たちは既に注文済みのようだった。
「組織の情報提供、いつもありがとうございます」
「ほかに何か必要であれば何でも言ってくれ、できる限り手伝おう」
左右でペコペコしているのを横目に、鳴りそうなお腹をさする。
「降谷はまた海外行くの?」
「そうですね。明後日にまた」
「忙しいな。…ああ、そうだ。黒崎、来週アメリカな」
「はぁ!?聞いてないっすよ」
思わず声を上げ紀里谷さんを睨む。おまち、とラーメンが渡された。おいしそう。
「MMについての情報を、どうやらFBIが持っているようだ。ついでにCIAから黒の組織の情報掻っ攫ってこい。ったく自分の国でもないのに好き勝手調査して、腹立つな」
「俺もそう思います」
分かるか、ええ分かります。と紀里谷さんと降谷の間で何かが生まれた。風見もうんうんと頷いている。
「FBIとCIAねぇ……。情報さえ手に入れば行く必要ないですよね?」
「それはそうだが…なんだ、手に入るのか?」
ずるずると女子力なんざ気にせずラーメンをすする。ここのラーメンは相変わらず美味しい。
「CIAは問題なく入るかと。FBIは…まあ強請ればボロボロ出るんじゃないすかね」
「FBIを強請る…」
風見が若干顔を青くした。降谷は何故かドヤ顔だ。実際に強請るつもりはない。
「流石先輩、ネタを持ってるんですね」
「警察組織みんなが同じ正義感で動いていればいいのにね。非常に残念だよ」
FBI内部に黒いやり取りをしている人間がいるのは把握済みだ。それを対価にもらえばいいだろう。
「降谷は次どこの国に?」
「次はアメリカです。先輩とアメリカもありだと思ったんですが、無理そうですね」
「悪いな降谷。アメリカのご飯は口に合わない。もし優作に会ったらよろしく」
「そう簡単に会えるとは思わないんですけどね……。」
ズルズルとラーメンをすする。イケメンはラーメンを食してもイケメンだな。
一方的に情報をもらうのは、相手機関が情報漏洩としてバレた時に色々問題が起きる。だから情報はなるべく等価交換だ。さて、CIAにお得な情報はあったかな…。公安や公調の情報を渡してコウモリのようになりたくないな。CIAが知らないもので公安や公調伝いでなく手に入れた情報…今のところないな…。CIAの情報は収集しつつ先にFBIに聞いてみるか。時間を見計らってジェイムズに電話をする。
「…こんばんは、今お時間大丈夫ですか?」
『ああ、何か用かな?』
「カルロス・ミッキー捜査官を調べてみてください。それと彼の銃器取り扱いについても」
「私の部下にはいないが、分かった。調べてみよう。欲しいのはどの情報かな?」
「ありがとうございます」
話が早い人は本当楽だ。腹の探り合いは神経使うし疲れるので、ジェイムズとは大変やりやすい。MMについての情報をもらう。こういうタイプの人は先に情報を提示すると、欲しい情報をちゃんと返してくれるからいい。
(黒の組織以外ともやはり薬のやりとりがあったか…。しかもタランチュアの足もいる。でも割と目を付けられてるな。タランチュアとも繋がってるようだから、公的に捕まえる前にそっちの情報を手に入れないと、動きづらくなる…)
顎に触れながら眉を顰める。タランチュアと取引したやつをピンポイントで先に、これは骨が折れそうだ…。
『…椎名君、一つ頼まれてくれないかな?』
深刻な声色でジェイムズは問うてきた。これはFBIとして頼めない内容のようだ。個人的、しかも頼んだことがバレたら少々マズい内容かな。
「私にできることでしたら」
『宮野明美が組織からの逃亡を図っている』
……ついに来たか。降谷はアメリカにいる。コードネームを持っていない彼女の殺害計画は、コードネーム全員には伝えられないのか。CIAはちょっと後回しにしよう。先にこちらを片付けるか。
「彼女の手助けをしてほしいということですね?それは赤井秀一の為、ですか」
『上官として正しい判断ではないと言うのは分かっている。君の命も危うくなる可能性もあるということも』
組織の人間を捕らえる、又は保護するのは警察からしたら収穫が大きい。だが彼女の場合は組織に関する情報はほとんどないと言ってもいい。妹はコードネームを持っているが、彼女は持っていないのだ。そりゃ警察からしたらある意味巻き込まれたに近い彼女を助けたいと思うだろう。だが、組織に潜入している人間がいる以上、下手に助けるのは得策ではない。NOCがバレる危険が高いからだ。FBIから潜入している人間はもういない。彼女が何故脱出を図っていると分かったのか、赤井秀一に連絡でもしたか。潜入中に使った連絡手段は、通常潜入後は破棄するはず。きっと赤井秀一は持っていたのだ。そして、繋がるはずがないと分かっていながら宮野明美は連絡したのかもしれない。
「とりあえず宮野明美の連絡先を教えてください。ただし流石に私一人で助けるのは厳しい。公安の手を借りることになります」
『彼女が生きて組織から抜け出せるなら』
思わぬところから情報を得られた。幸いなことに私は、原作における彼女の最期を識っている。
灰原哀の存在は今後の展開に大きく関わる。そういう意味でも、やはり宮野明美さんには一度死んでもらう必要がありそうだ。
MMについての情報は、タランチュアのことは伏せて紀里谷さんに報告した。黒の組織の情報は「脱走を試みている組織の人間がいる」と報告した。何度も話すのは二度手間だろ?という紀里谷さんの厚意で、公安も含め会議の場が設けられた。降谷は日本にないので代理に風見が、警視庁の公安からは北澤と諸伏、公調からは紀里谷さん、高桐さん、そして私。
「宮野明美、25歳女性。組織の末端。妹の宮野志保は組織の科学者です。コードネームはシェリー」
「シェリーは姉を人質に研究をしているようなもの。姉の宮野明美も妹を大事に想っているようだったから、妹を放置して脱出するとは考えにくいです」
3年前まで組織にいた諸伏は、宮野姉妹両方と面識があるらしい。全く知らない人間が近寄るより、知った顔に助けられる方が宮野明美さん的にもいいかもしれない。しかもそれがNOCバレして死んだはずの人間なら。…上手くやらないとかえって警戒されそうだけど。
そのことで夕べ降谷から連絡がありました、と風見は報告をした。
「ジンとウォッカが宮野明美に何かをさせようとしている、その何かに乗じて殺す可能性がある、と降谷は言っていました」
「彼女を見つけ出すことは出来ても、接触は極めて難しいだろう。だがこれで宮野明美が日本にいることは分かった。兎にも角にも、まず本人を探さないとな」
尤もだ。助ける云々の前に宮野明美がどこにいるか、何をしているか、それが分からないことには手の打ちようもない。まあ探し出すことに苦戦はしないだろう。そこでふと視線を感じその方を見ると、北澤が難しい顔で私を見ていた。
「…俺は、これが最善だと思うんだが」
何か案があるらしい北澤は言い淀みながらも、深呼吸をするとしっかりとした目で言った。
「組織のことだから警察が捕らえたとしても、何かしらの手段を使って宮野明美を殺しにかかるはずだ。だから、組織の連中の目の前で一度死を偽装すべきだと思う」
「…俺と同じように、ということですね」
「ああ、しかし彼女はこれまで普通に生活してきた、一般人と変わらない。上手くいくかどうか…」
人一倍正義感の強い北澤のことだ。偽装しようとして失敗し、結果的に殺されてしまうのではという不安があるのだろう。北澤が難しい顔で、私を見た、ということは私なら何かできると考えたか。諸伏や風見が持ってきた宮野明美に関する情報を見る。身長は私より少し高いくらいか。…私どんだけ小さいんだよ…そうだよな、蘭ちゃん私より少し背が高いもんな…はは…。身長さえクリアすれば顔立ちは誤魔化せるな、多分。ジン相手だからなぁ。これは撃たれる前に自殺を見せかけた方が賢明かもしれない。
北澤は私と宮野明美を入れ替えようとしているのだ。だから難しい顔をして私を見た。
「死体を碌に確認しないジンとウォッカなら、自殺を装えば可能だね」
私の言葉に周りは疑問符を浮かべた。北澤だけは意図を理解し、眉を顰める。
「死ぬ可能性があるんだぞ」
「スコッチの最期を見ていたらきっとできなかった。しかし奴らは見ていない。スコッチの死の報告も、死んだと告げていても死に方までは報告されていないみたいだからね。同じ手が使える」
「ちょっと待て、分かるように言ってくれ」
高桐先輩からストップが入る。公調はスコッチの件を知らないから余計に分からないのだろう。風見も同様だ。諸伏は分かったらしい。まさかと呟く。
「私が宮野明美に成りすまし、自殺を図る」
簡潔に述べるとシンと静かになる。北澤は少し悔いたような顔をした。自分の考えが私に読まれていたと気付いたらしい。
「まず私が彼女と接触する。しかし私が助けると言っても彼女は耳を傾けないだろう。次に諸伏と接触させて、計画を伝える。彼女に拒否権はない。…申し訳ない所はあるけどね」
「宮野明美の動向を掴めないことにはその計画も実行できない。その計画はあくまでA案として、他の案も模索しつつまずは探し出すところからだな」
原作は何一つ覚えていないはずだった。だが、いざその状態が近づくにつれ、ぽつぽつと思い出すものがあった。……そうだ、コナンが彼女の最期を見届けている。ならコナンを追っていれば自然と彼女の手がかりが見つかるはずだ。
江戸川コナンだと名乗るその少年は、私からすると小さくなった新一というより幼い優作の姿だった。かほりさんから見せてもらったアルバムに写っていた、幼き優作。
「コナン君、なんか見覚えある気がするんだけど、どこかであったのかなぁ」
「き、気のせいなんじゃないかな!僕、馨さんと会うの初めてだよ!」
やはり頭脳明晰の名探偵とは言え、まだまだだな。視線を逸らし頬をかく、あははとひくつく口角は嘘を吐いていると語っているも同然だった。本当に初対面だとしても会うのが初めてと断定するのはいささかおかしい。一方的に知っていたり見かけたことがあったりという可能性があるからだ。この場合は「僕は初めてだけどなぁ」あたりが違和感のない答えだろう。あくまで初めて会ったんだと印象付けようとコナンは必死だ。
数日間ポアロに通うと、見事ヒットした。お下げをした女性が探偵事務所から出てきたのだ。眼もとは赤く泣いた痕が見える。私の直感が「この人は組織関係者だ」と告げている。毛利さんと蘭ちゃん、コナン君も出てきた。偶然を装って近づく。
「こんにちは」
「こんにちは馨さん。あ!馨さんにも協力してもらおうよ!」
「そうか、東堂ちゃん色んなところ行くから、もしかしたらそこから情報が得られるかもしれねえな」
毛利さんは簡単に彼女、広田雅美さんの依頼内容を話した。協力に広田さんも同意していた。依頼協力を私にして来たのは意外だった。それだけ毛利さんからの好感度が高いというところか。
「そうなんだ…。分かりました!私の方でも探してみます!」
「本当ですか!!ありがとうございます!」
広田さんからお礼を言われ、お父さん絶対見つけようね!と励ます。彼女は満面の笑みを浮かべた。握手を交わす広田さんの右腕の腕時計に不審なものを見つける。
(……発信機か…?)
広田さんを見送りながらチラリとコナンを見やる。少し慌てた顔をしていた。なるほど、ミスって彼女に付けちゃったってことか。毛利さんや蘭ちゃんなら回収が楽だから、どちらかにつけようとしたんだろうな。
北澤、風見、そして紀里谷さんに一報を入れる。宮野明美と思しき人物が広田雅美と名乗り人を探していると。すると紀里谷さん経由で洞沢さんから別の情報を手に入れた。同じ人物を探す探偵がいたらしい。
「広田健三が夜な夜な回っていたというルート、これ、この前起きた10億円強盗事件の銀行付近から必ず始まってます。事件を機に広田健三は姿をくらましていることから、もしかして強盗事件の犯人の一人なのではないでしょうか?」
諸伏の言葉に北澤はそうか、そういうことかと推理を始めた。
「組織はこの強盗事件を使って宮野明美を抹殺しようとしたんじゃないか?失敗を口実に殺そうとしたが成功してしまった。だから10億円を回収しようとするはずだ。しかし肝心の金を持って広田健三は逃走。宮野明美と、共犯の男は別の探偵を雇って広田健三を探しているんだ」
「だとしたら、広田健三も共犯の男も殺されるね」
「最後に残った宮野明美から金をもらい次第殺す、ってところか」
宮野明美が金を手に入れたら組織と接触するはず。それまでは様子見をすることになった。広田健三と共犯の男は殺されないよう公安が何とかしてくれるはずだ。公調は、警察とのコネクションがある毛利さんが広田健三を探し出せるよう上手く誘導をした。私は何かあった時の調整として毛利さんと会っていた。同じルートをぐるぐるしていた、という情報は既に手に入れていたが念押しするように私からも伝えた。
「誰が、ってのは分からなかったみたいですが、別のタクシー会社でも少し話題だったみたいですよ」
「一体何をしていたんだろうな。まあとにかく居場所は分かったし、広田雅美さんもこちらに向かっているらしい」
今日の私のミッションは、広田雅美に発信機と盗聴器を付けること。盗聴器は、電話をしてもノイズが出ないよう改良した。これで電話をされてもばれない。
随分慌ててきたらしい、中途半端に施された化粧はギリギリ学生に見えた。毛利さんたちと共に広田健三の元へ向かう。私は胸ポケットにインカムを忍ばせている。会話は全て他のみんなに筒抜けだ。
アパートに着き、全員の視線がその方向へ向く。その隙に盗聴器を付けた。そして現れた広田健三に抱きつく広田雅美。それを見て合言葉をいう。
「無事、見つかって良かったですね!」
盗聴器のセット完了。
感動の再会、を果たした2人からのお礼を受け私たちは帰る。電柱の陰からこちらを様子見る男性にコナンと毛利さんが気付いた。彼がもう一人の探偵か…。
広田健三がいたアパートが火事になった。直接組織と関わっていないとはいえ、彼にも身の危険があることに変わりない。公安の策に紀里谷さんは「中々過激なことするな」と呟いた。報道では身元不明の死体が見つかったと伝えられている。勿論公安が用意した偽装死体だ。
宮野明美に着けた盗聴器から、共犯の男とホテルで合流するとことまでは分かった。しかしその後の動向は、盗聴器を付けたカバンを捨てられたらしく不明だ。ジンは盗聴器に気付く男だと聞いていたからラッキーだった。ホテルで落ち合う日時を聞き、諸伏と先回りをした。既にスタンバイしていた男は先に公安が確保している。
男がいたホテルの部屋には10億円もの大金があった。北澤の読み通りだった。私、諸伏が部屋に残り、公安の人間が何人か、両隣の部屋で待機をしている。ホテル付近にも公安や公調の人間がスタンバイ済みだ。
「A案をやめるって聞いたときはホッとしたのに、もっと危険なB案になったんだから、これならAの方がマシですよ」
不安そうな諸伏の声にケラケラと笑う。自殺のふりをするA案は現時点で厳しくなってしまった。世間的にはおかしくないが組織としては怪しまれる可能性がある。強盗事件前にやれたらまだ良かったが成功してしまった。宮野明美の思考からここで自殺に繋がるのは考えにくいと組織は判断するだろう。特にベルモットやバーボンが不審がるはずだ。バーボンならうまく誤魔化せるかもしれないけど、下手に怪しまれる行動をする必要もない。それに、ここで自殺を図ろうものなら直前に関わりのあった毛利探偵に探りを入れられる可能性もある。…そこはベルモットとバーボンが図らずとも上手くやってくれそうだが。
ジンが宮野明美を殺すことが分かっているなら話が早い。B案は成りすまして代わりに殺されるというもの。自殺が他殺になっただけだ。
「そんな不安がるなって。…大丈夫、私は死なないよ」
不思議な自信があった。諸伏が過去に身に着けた防弾チョッキを身に着けている。腹に当たっても死にはしない。
「先輩のことだからそう簡単に死なないって分かってますよ。それでも心配はします、させてください」
いい後輩を持った。仕事じゃなかったら、もしかしたら諸伏は私の行動を引き留めていたかもしれない。公私混同をしないところは素晴らしいと思うよ。降谷も見習った方がいいと思う。
コンコン、と部屋をノックする音が聞こえた。彼女だ。諸伏と顔を見合わせ頷く。私は部屋の扉を開けた。
「!な、貴女は!?」
静かにするよう口元に人差し指を立て、動揺している宮野明美を無理やり部屋の中に入れる。…盗聴器も発振器もついていないな。
「数日ぶりですね、広田雅美さん。…いや、宮野明美さん」
「ど、うして…」
混乱している彼女は部屋の奥にいる人物を見て目を見開いた。
「3年ぶりだね、宮野さん。俺のこと覚えてる?」
「スコッチ!?死んだはずじゃ!」
「時間がきっとないだろうから、簡潔に述べよう。君を助けに来た」
諸伏は今回の計画を話す。混乱していた彼女も徐々に落ち着いていった。
「東堂馨さんも、公安の人間だったんですね…」
「申し訳ないけど本名は言えないよ。とにかく、公安は貴女を保護します。貴女の妹さんが殺される可能性は現段階ではかなり低い」
あくまで自分の身元は言わない。公安だと思っているならそう思わせておこう。
「シェリーは保護ってより逮捕って形で助けることになるかもしれないけど、君の妹も必ず生きて組織から抜け出せるよう、俺たちも動くよ。…君は命を張ってでも妹を助け出そうとしてるかもしれないけど、組織から抜け出した妹が、君がいないことに絶望して自殺を図ると俺は思うよ」
宮野明美は唇を噛みしめ、そして覚悟を決めて言った。私と妹を助けて下さい。私と諸伏はにんまりと笑った。
宮野明美の来ていた服を着る。幸い帽子とグラサンのおかげで化粧だけで十分誤魔化せた。ヒールで身長を盛り、ネックレスを付けた。
「そのネックレスは?」
「変声機だよ」
発した声は宮野明美と同じだ。変声機を作る余裕が時間的になかったので、セキュリティがザルな阿笠邸から勝手に拝借したものを改良したのだ。宮野明美の声しか出せないが、今は十分だ。
宮野明美からジンから言われた任務と約束、そしてこの後向かう場所を聞く。それをホテル前の待機組に伝え作戦を実行した。台車でガラガラと大きなキャリーケースを引く。10億円おっも…。エレベータを降りたところで誰かとぶつかった。
「ったく、なんでこんな時に」
悪態をつきながら拾ってくれたのは毛利さんだった。コナンがしきりに眼鏡を気にしている。やはり発信機か。男の腕時計を外しておいてよかった。
「ありがとうございます」
お礼を言い、3人がエレベータに乗ったところを確認すると、フロントにキャリーを預けた。そして並んでいるタクシーの列に加わる。数分待って順番が来た。乗り込んで行き先を告げる。タクシーの待機列に一瞬目を向ける…コナンと蘭ちゃんか。私を追うようだな。作戦だと私は死んだふりをする。死にそうだと分かってる人がいたら脈を図る余裕はない、よな。場が混乱していたら尚更。コナンはまだ組織の存在を知らない。ここで初めて知るんじゃないか?だとしたら、私責任重大だぞ…。幸い私の手元には公安に関わる所持品は一切ない。インカムも盗聴器もないから公安や公調とも連絡はとれない。向こうも私を追っているだろうが、私への連絡手段が無い。私の行動にみんな合わせてくれるという。心強い。
辿り着いた埠頭はコンテナに囲まれていた。夜で雨が降ってたら、私ちょっと使い物にならなかったかもしれない。
「ごくろうだったな、広田雅美…」
コンテナの角、現れたのは黒い服の男が二人。黒の組織の人間とこうして対面するのは、これが初めてだ。
「いや…宮野明美よ…」
今は宮野明美として来ているが。
「…あなたからもらった睡眠薬、飲んだとたんに彼、血を吐いて動かなくなったわ。どういうこと?」
睡眠薬を渡されたという薬は匂いから毒物だというのが分かった。効果は不明だったが、即効性の毒は泡を吹いて死ぬか血を吐いて死ぬか。
「フ…それが組織のやり方だ…」
どうやら血を吐いた方で合っていたらしい。安心しつつも二人を睨む目はやめない。私は、宮野明美。
「さあ、金を渡してもらおうか…」
「ここにはないわ。…ある所に預けてあるの」
なにぃ!とウォッカは憤る。ジンは目を細めた。
「その前に妹よ!!この仕事が終わったら、私と妹を組織から抜けさせてくれるって、約束したはずよ!…あの子をここへ連れてくれば、金のありかを教えるわ」
毅然とした態度で腕を組み、ジンとウォッカを睨み続ける。私の態度にジンは鼻で嗤った。
「そいつはできねー相談だ…。奴は、組織の中でも有数の頭脳だからな」
「なっ!?」
「奴はおまえとちがって、組織に必要な人間なんだよ…」
その言葉に勝ちを確信した。ジンは、私が宮野明美だと完全に信じている。そして発言から、今のところシェリーは殺されないと確証を得られた。
「あなた達は…最初から…!」
ジンが銃口を私に向ける。ジャカ、と重い音が響く。
「最後のチャンスだ…金のありかをいえ」
「…私を殺せば、永遠に分からなくなるわよ」
「フ…だいたいの見当はついている」
射止めんとする鋭い眼光から、ジンが嘘をついていないことが分かる。確かに、私でも見当がつく。
「それにいっただろう?最後のチャンスだと…」
遠くから足音が聞こえてきた。2人分、うち1人は随分体重が軽いようだ。…恐らくコナン。
船の汽笛がボーっと大きく鳴り響いた。瞬間、腹に衝撃が走った。膝をつき倒れる。
「ま、雅美さん!?」
蘭ちゃんの声が聞こえた。腹を抑え蹲る私の服は徐々に赤く染まっていく。
「どうしたの雅美さん、しっかりして!!」
「蘭姉ちゃん、早く救急車を!!それにおじさんたちにも!!」
万が一誰かに見られて救急車を呼ばれたときに備えた手回しも、既にしてある。北澤の「公安舐めんな」と悪役のような笑みを思い出す。高校時代に比べ自分に自信がついたようだ。
「む、りよ…もう、手遅れだわ…」
宮野明美が言いそうな言葉でアドリブをする。しゃべっちゃダメだ!!というコナンの言葉を無視し続ける。腹から益々血が出てきた。この血は事前に採血した本物の血である。一人で採ろうと考えたが流石に貧血になるので何人かに協力してもらった。いろんな人の血が混ざっているから鑑定されると非常に困るが、そこは公安がどうとでもしてくれるだろう。
「ボ、ウヤは確か…探偵事務所にいた子、だったわよね…どうしてここがわかったの…」
ハァハァと荒い息遣いでコナンを見る。この距離で私が偽物だと気づいていないようだ。まあ宮野明美ほど美人ではないが、顔立ちが少し似ているところがあったから気付かないのかもしれない。コナンは私の出血量から、もう長くないと悟った。
「発信機さ…。最初、探偵事務所で会った時に、偶然あなたの時計につけてしまったんだ…。それを追っていたら、あのホテルにたどり着いて…そこであなたと遭遇した」
両手に着いた血をそのままに、コナンは更に続けた。公安が手回ししておいただろう救急車とパトカーの音が聞こえる。
「大きな荷物を運ぶあなたを見て、奪われた10億円を持ちさるところだとわかったんだ…」
「あ、あなたは…いったい!?」
「江戸川…いや…」
俯いていたコナンは、私を見つめた。
「工藤新一…探偵さ!!」
荒くしていく呼吸の中に、探偵、時計に…と言葉を交え最期が近いと演出する。私の時計が男の物だと勘違いしているコナンに、宮野明美から聞いた事件のあらましを話した。
「私も…組織の手にかかって…」
「組織…?」
「謎に包まれた大きな組織よ…私は末端だから…組織のカラーがブラックって事しか知らないけれど…」
「ブラック!?」
「そうよ…組織の奴らが好んで着るのよ…カラスの、ような、黒い服をね…」
大勢の人間がこちらに向かって走ってくる音が聞こえた。漸く迎えが来たようだ。ああそうだ、これだけは伝えておかないと。
「…10億の入ったキャリーバッグはホテルのフロントに、預けてあるわ…。あとは、頼んだわよ、たんていさ…」
視界の端に警察官の格好をした公安が見えた。公安も警察なんだけどさ、あっちはスーツ着てる人が多いから。伝えることは伝えたのでそのまま息絶えたかのように身動きを止める。担架に乗せられるまでは呼吸を止め頑張って完全に動きを止めた。死んだふりってこんな難しいのか。諸伏、本堂さん、二人とも凄いよ。
大丈夫だぞ、という声が聞こえ目を開ける。紀里谷さんがいた。公調の息がかかった病院だった。
「んあー!疲れた!しんどかった!」
「おー、お疲れさん。とりあえず着替えな」
紀里谷さんからボストンバッグを渡される。中には事前に用意した服が入っている。血まみれの服はだいぶ固くなっていた。
(白い服着ると血まみれになるな)
あの情景を思い出してしまい頭を振る。紀里谷さんが部屋を出て行ったのでさっさと着替えた。態々濡れタオルも用意してくれたようなので、ありがたく身体に着いた血を拭く。身なりが整い部屋を出た。
「あとは公安がやってくれるってさ。俺たちはとりあえず今日は上がりだ。特に黒崎は血と硝煙の匂いがするからな。入念に洗えよ」
「ありがとうございます」
無事作戦は成功した、そう見て良さそうだ。ありがたく直帰させてもらった。