Reincarnation:凡人に成り損ねた
虎視眈々と
プロローグ
トロピカルランドの取引がきっかけで彼は小さな探偵となる。その取引は黒の組織と、公調が追っている組織だった。足取りを追うため、捕えず泳がすことになっている。高桐さんと名田さんはそれぞれ別の場所で待機をしており、私は少し離れたビルの屋上にいた。双眼鏡で取引現場の様子をうかがう。トロピカルランドの駐車場にパトカーがないことから、まだ殺人事件は起こっていない。つまり取引もまだだ。
「取引相手を確認する為に、ジンたちは一度どこからか様子を見るはずです。観覧車だと時間がかかりすぎるから、ジェットコースターあたりかと」
「あの早さと回転の中相手を見つけるとか凄いな。というか、ここにいて大丈夫なわけ?」
絶賛潜入中の降谷が果たしてここにいて大丈夫なのか。人体実験のあの組織、私たちはMadMedicalからMMと呼んでいる、がどこかと取引をするという情報を掴んだ。そして黒の組織もどこかと取引をするという情報も得た。そこから導かれるのはこれしかないよね。
「ふっ、先輩、俺を侮らないでいただきたい」
「流石っす」
双眼鏡越しにジェットコースターを見る。うん、いないな。
「安室さんや、“先輩”」
お互い潜入中の身。そうやすやす本名を呼ぶものではない。指摘すると彼は降谷から安室に変わった。
「っと、すみませんでした。…でも今は東堂さんでもないんですよね?なんとお呼びすればいいですか?」
今日はウィッグを被って茶髪、カラコンで青い目にし、黒いパーカーと黒いスキニーという格好だ。東堂でも黒崎でもない。降谷零を知っているせいか、安室透には違和感しかない。安室スマイルより降谷のドヤ顔の方が好きだな。
「遠藤花とかでいいんじゃない」
「適当ですね…」
車だと新一がコナンになったときの動向が追いづらいと考えて徒歩で来た。コナンの動向はただの好奇心である。降谷が一緒なのは誤算だったな…。
(江戸川コナンが工藤新一である、そして組織の被害者になると分かってたら、コナンもある意味動きやすいか?)
コナンと安室が会うのはまだ先だが、そもそもこの後輩がコナンについて気付かないはずがない。安室がポアロで働いていたということはコナンとは接触していたはず。ストーリー的にコナンは安室の本性を、バーボンであることもゼロであることもどこかで知るだろう。降谷はコナンが何者であるかを知っていたのだろうか?
(そもそもポアロへの潜入に当たって身辺調査をするはずだ。そこでコナンのことも調べるはず、戸籍に存在しない彼に不信感を持つのは当然だろう)
だとしたら敢えてコナン=新一だと知っておいた方が、お互いの為になるかもしれない。コナンは安室と情報交換ができる上に信頼できる大人を得られる。安室はコナンが危険に陥りそうになった時手助けができる。なにより、頭脳明晰でも少年であることに変わりはないが、事情を知れば降谷も融通を利かせるだろう。コナンの無茶を許容する、というかさせる。でないと黒の組織は壊滅できない。
ジェットコースターがまた動く。私と同じく隣で双眼鏡を除く降谷も見つけたようだ。
「…あれですね」
新一と蘭は降谷の目にはただのカップルに見えているだろう。後方に座る、明らかに場違いすぎる二人の酒を見て、耐えきれず噴き出す。
「………ぶはっ、く、ふふふ、似合わねえ、やばっ」
「落ち着いてください、…くっ」
「何であれ帽子落ちないわけっくくっ、ふはっ、マジックテープでも着けてるのかよ」
「やめっ、ふふっ、くっ、笑いがっ」
結局降谷も耐え切れず静かに笑う。二人で肩を震わせながらジェットコースターを追った。取引の時間が近い。
そして現れたパトカーに降谷が疑問符を浮かべるのは当然のことだった。
何故殺人事件が起きたと知っているのか、それを聞かれるわけにもいかない。かといってこの事態のままだと高桐さんや名田さんが警察の登場にまさかと思うはず。私が言うことだから二人は「警察内部からの情報か」で終わるからいい。何よりの問題は、降谷だ。そもそも今日は降谷としても、安室としても、バーボンとしてもオフの日。つまりここにいるのは完全に独断なのだ。公調がMMを追っているのは知っているが、恐らく個人的にも情報を持ちたいのだろう。私が逆の立場なら同じことをする。
(私の最大の秘密は誰にも知られてはいけない、そう、私は、“何も知らない”んだ、あそこで何が起きているのか、“知らない”)
「何で警察が?」
「…何かあったとしか考えられませんね。ジェットコースターが封鎖されているのが見えます。あそこで何か起きたのでしょう」
「うーん……仕方ない」
困った時の、小田切警視長。降谷に静かにするよう言い電話を掛ける。
「もしもし、こんばんは。今夜のトロピカルランドの照明はパトライトのようですね」
『君か。今そこにいるのか』
電話の相手の声が降谷に聞こえないようにする。警察の情報が外に漏れている事実はあまり聞いて気分の良いものではないだろう。まあそもそも、降谷と小田切警視長が接する機会などない気がするが。
「ジェットコースターの方へ向かうのが見えましたが、事件ですか?」
『殺人事件だ。私はいないが、部下が向かっている。詳しいことは現場の人間が調べることだ。今私の方では何も分からない』
「いえ、とりあえず何があったかだけ分かれば大丈夫です。ありがとうございます」
電話を切って双眼鏡で眺める。流石に乗降場は屋内だから様子が見えない。
「殺人事件だってさ」
最近降谷は私がどんな情報を仕入れてきても特に驚きも追及もしなくなってきた。今も、特に今の電話を気にすることなく会話を続けた。
「こんなところでやるなんて随分ナンセンスですね。余程殺したとバレない自信が、犯人にあるのでしょうか」
組織が関係しているとはお互い思っていない。ただでさえ目立つのに、しかも怪しさ満点(本人たちはきっと自覚していないかもしれない)で警察に厄介になるわけがない。ジンたちは巻き込まれたと考えるのが妥当だ。
「うーん、取引中止になられると困るんだけどなぁ」
「ジンたちなら警察の目を掻い潜って抜け出すことは可能でしょう。もっとも、あの場で事件が解決すれば、の話ですが」
「はは、名探偵でもいないと難しそうだね。日本の警察をバカにしているわけじゃないけど、そんな簡単に解決できたら日本で事件なんて起きないわな」
確かこの殺人事件、首が吹っ飛ぶんじゃなかったか?少年誌の第一話で首吹っ飛ぶとか、よく載せたよな…。そういえばあの頃はまだいろいろな規制が緩い時期だったな。当時はある探偵ドラマの死体が怖すぎて見れなかった記憶がある。
回想はさておき、先輩たちに連絡をしないといけない。メールで一斉送信をする。園内で殺人事件が起きた模様。取引が中断される可能性あり。二人からは暫く待機する、様子を見るようにと返事が来た。
「警察が引いてくね…」
「…人ごみに紛れてジンたちが離れていく。…どうやら事件が解決したようですね」
女性が一人、警察に囲まれて園の外へ誘導されていく。それを見るふりをして新一を探す。いた。蘭ちゃんを慰めているようだ。流石に慰めるか。
「ん?ジンとウォッカ、別行動するの?」
「ウォッカは取引に、ジンは周囲を警戒しているのかもしれません」
「なるほど。さて、取引が始まったら私は相手を追わなきゃだから安室さんとはここでお別れかな?」
公安として新一を保護する可能性もあったが、ジンたちに見つかるリスクを考えると、降谷のことだから一部始終を見た後新一を放置するだろう。保護しなくても降谷が盗聴器なりで新一の動向を知ったら様子見をするはずだ。
懐からインカムを取り出す。耳に着けながら降谷に言う。
「気を付けるんだぞ」
「せn…遠藤さんこそ」
先輩、と言いかけた降谷を呆れたように見る。周囲に誰もいないからって気が緩みすぎじゃないか?
地上に降りインカムのスイッチを付ける。先輩二人は既につけて待機していた。
『動いたか?』
「漸くです。……来ました。相手は一人」
双眼鏡で見えるは白いアタッシュケース。男はそれを渡すと代わりに白い何かをもらっていた。何を言っているか分からないが穏やかな空気ではない。やがて男は逃げるようにその場を去った。後ろ髪を引かれながら男の後を追う。
「取引終了です。トロピカルランドから西へ向かっています」
『了解。俺の方が近いな、名田はK地点付近で待機していてくれ』
『了解です』
一人の人間がずっと追跡すると気付かれやすい。途中で追跡相手を変える予定だ。本来であれば私も追跡に回らないといけない。しかし新一が無事工藤家に辿り着くかを気になる。そこで考えたのが、発信機だ。流石に盗聴器は気づかれる可能性がある。
懐からスコープを付けたピストルを取り出す。重さも手触りもおもちゃのそれだ。勿論弾は入っていない。撃って出てくるのは鉛玉ではなく発信機だ。普通のピストルなら発砲音が響くが、所詮元はおもちゃだ。ジンほどの相手ならバレる可能性が高いが、あの程度の男なら問題ないだろう。流石に服に着けたら気付かれるか?だとしたら靴か…アタッシュケースは流石にバレるだろうな。
男は前方に見える黒い車に近づいた。立ち止まったところをチャンスと、靴を狙いトリガーを引く。
(やっべ靴じゃねえ足首に当たったかも)
男は足元を見た、違和感を抱いたようだ。車内から何か言われたようで気にせず乗り込んだ。セーフ…。おまけとばかりに車にも発信機を付ける。しっかりついたのを確認すると、ピストルを懐へしまい、代わりにいかついゴーグルを取り出しつけた。ゴーグルにインカムを取り付け連絡もできるようにする。フードを被りゴーグルをつけていると分からないようにする。コナンのようなメガネはやはり作れなかった。OSを搭載した、ゴーグル型のPCというところか。画面は度の入っていないガラスだ。そこはコナン眼鏡と同じ。ゴーグルの淵のボタンを操作し、地図を出す。うん、居場所がちゃんと分かるね。
「黒のプリウスが中央道路を出ています。ナンバーは新宿、“た”の404」
『了解。黒崎、自分の車は近くにあるか?』
「ちょっと遠いですね。合流には時間がかかります」
乗ってきていないとは言わない。トロピカルランドまでは車で来ていないが、流石に途中までは車で来ている。といっても車が止まっているのはここから徒歩40分は離れている。その車の場所は、工藤家の近くだ。
『車が特定できたならそこから情報を得られるかもしれないな。黒崎は庁に戻れ』
「了解です。あ、発信機を車と男に付けられたので、見失ったら言ってください」
『『…はぁ!?』』
先輩が叫ぶ、耳が痛い。思わずインカムを一度外した。
『おまっ、どうやって!』
「おもちゃのピストル改良して、発信機撃ってみました」
『…そういえばお前、工学系出身だったな…。インカムは切って構わないが、すぐ連絡が取れるようにしていてくれ』
「了解です」
インカムを切りゴーグルを更に操作する。予めセットしていた高桐先輩と名田先輩のGPSが表示される。程よい距離感で追跡できているようだ。私は視線をずらし、ここから一番近い交番に目を向けた。
交番は少々騒がしかった。少年がどこかへ行った!と言っているのが聞こえる。新一は上手く抜け出せたようだ。どうせ行きつく先は工藤家だ。ここから工藤家へのルート、新一が通りそうなルートを導き、その道を避けるように工藤家を目指す。パルクールとかやっておけばよかったかな…。流石に先に着くとは思うけど。
その角を曲がれば工藤家というところで降谷を見つけた。やはり新一を尾行していたか。ゴーグルを外して音を立てず近寄り肩を叩く。降谷は一瞬にして殺気を放ち、流れるように懐から拳銃を取り出しこちらに向けようとした。銃口がこちらに向く前に銃のリボルバーを掴んだ。
「っ!何でここに」
「肩を叩かれて直ぐ抜いたらダメだろ、警戒心は花丸だが、その行動は減点ものだな」
そっと手を離す。降谷は拳銃をしまった。
「車がこの近くにあるんだよ。それで取りに来た」
「トロピカルランド付近に止めてなかったんですか?」
「顔見知りがトロピカルランドに行くって言ってたからね。念には念をだよ」
顔見知りという言葉に降谷は顔を歪める。耳に付けているイヤホンは盗聴器か?降谷はもう片方のイヤホンを私に差し出した。疑問符を浮かべながら耳に付ける。
『俺だよ俺!!工藤新一だよ!!』
聞こえたのは少年の声。そして老人の声も聞こえる。阿笠博士だ。訝し気に降谷を見ると、降谷は角の向こうを指した。覗くと小さな少年と老人がいる。聞こえてくる音声と、彼の口の動きが一致する。二人は工藤家へ入っていった。
『いいか!君の正体が工藤新一であるということは、ワシと君だけの秘密じゃ!!』
という秘密話をしっかり聞く。降谷も、隣で聞いて居る。ふと人の気配を感じ降谷を見る。降谷も気付いたようだ。
「…蘭ちゃんだ」
「お知り合いですか?」
「東堂馨が通ってる喫茶店の近くに住んでる子。新一の幼馴染だね」
「では先ほどの蘭君、とは彼女のことですね」
やがてイヤホンから蘭ちゃんの声が聞こえる。そして、
『ぼ、ぼくの名前は、江戸川コナンだ!!!』
降谷は微妙な顔をした。それは私も一緒だ。
「バカだなぁ」
「コナン・ドイルと江戸川乱歩からとったのでしょうか」
工藤優作の息子であることを考えたらしい降谷は結論づけた。仰る通りです。やがてコナンと蘭ちゃん、そし阿笠博士が工藤家から出て行った。
「つまり、工藤新一が小さくなったと」
「そうです、目を疑いましたよ。…驚かないんですね」
「さっき言ったろ?顔見知りが行ってるって。なるほど、ジェットコースターの事件を解決したのが新一だったか。そんで同乗したジンとウォッカを怪しんで尾行、ウォッカが取引に出ていたからジンに見つかったか」
「ジンは彼に毒薬を飲ませたようです。恐らく、シェリーが開発中の、毒が検知されない薬。あの薬で死んだ人間はこれまでに何人かいる。何が原因か分かりませんが、幸い死なずに済んだようです。幼児退行、するとは」
降谷は周囲に警戒しながら工藤家をピッキングしようとした。
「あ、入るなら待って。ピッキングは痕でバレるかもしれない」
「塀をよじ登る気ですか?玄関はどうするんです?」
ポケットからキーケースを取り出す。そこには黒崎椎名の家の鍵と、ここ工藤家の鍵が入っている。もしもの為、と優作からもらった合鍵だ。私が合い鍵を持っていることを新一は知らない。優作が住む前後で鍵は変えてある。
(そういえば、この家も土地も結局工藤名義じゃないんだよな。優作ももらえるならもらっちゃえば良かったのに)
黒崎哲郎名義のこの家も土地も、父は譲ると言ったのにあの夫婦は権利書に決してサインをしなかった。その真意は未だ分からない。
「ほら、合い鍵」
「持っていたんですね」
「親友からね、念のためって」
親友、という言葉に降谷は一瞬ムッとした。優作の話をすると後輩2人は嫉妬するような顔するんだよな。先輩離れは一体いつするのか…。
工藤家に合法的に入る。降谷は新一の着ていた服を漁り黒い何かを取った。盗聴器だ。これの回収をしたかったのか。
「あの少年の様子を見ると、組織へとことん首を突っ込みそうですね」
「素直に優作たちに連絡しないだろうなぁ。今の年齢だと、父への反発心が多少ありそうだ。…ま、私は親友の言葉通りにするまでかな」
「優作さんから何か言われているのですか?」
江戸川コナン、彼は黒の組織壊滅の最重要人物だ。組織を潰すにあたって彼は、いわば光なのだ。照らされ闇が暴かれ、江戸川コナンの物語が終わるときこそが、タランチュア壊滅のスタートとなり得る。
「息子を頼む、ってね」
今の降谷には彼が頭脳明晰な名探偵には見えないのだろう。コナンの推理力を知った時の降谷がどんな反応をするのか、少し楽しみだった。
車で変装を解き公安調査庁に戻ってから、2週間。缶詰だった。家に帰るのは風呂と着替えだけ。MMの調査に関わっている面々はみんな目が死んでいる。潜入中の洞沢先輩と名田先輩は別だ。私は東堂としての仕事もしつつ、他の二人より自由が利くのでここで公調の仕事もしていた。
「くーろさーきー」
紀里谷さんが私を呼ぶ。多めに買った缶コーヒーを紀里谷さんに渡しつつ、聞かれる前に答える。
「まだ全部は洗い出せてないです。製薬会社と怪しいやり取りしてるのは分かってるんですが、証拠が掴めてません」
「製薬会社か…薬学なら俺が一番詳しいか」
「まさか、潜入するつもりですか?」
「報告によれば真っ黒なわけじゃない。一部が黒だろう」
紀里谷さんは病院へ潜入調査をしたことがある。薬学も医療もチームの中では一番詳しいだろう。リーダーの不在はチームには大きな痛手だが仕方ない。出来うる限りのフォローをしなければ。