Reincarnation:凡人に成り損ねた
偶然の産物か、必然の結果か、
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公安調査庁は情報コミュニティのコアメンバーだ。故に他の組織の情報の入手がしやすい。警察庁も然り。そして国内だけでなく、他国の組織とも情報共有をする。これが私の狙いだ。
「アメリカですか」
「黒崎にとっては初めての潜入になるか。異国の地だが、黒崎なら大丈夫だろう。命にかかわることは無いから安心してくれ」
半年経ったあたりから紀里谷さんは私を新人として扱わなくなった。遠慮もほぼない。同期はほぼおらず、先輩に囲まれているがみんないい人たちだ。
「日本を拠点にしている宗教がアメリカで何かやろうとしているらしい。数年前にできたばかりの宗教団体だが、過激な話は聞かない。だが変な噂もあるからな」
渡された資料に目を通す。最長2年か…定期的に日本には帰れるようだ。
「黒崎はまだ若いからな、それを利用して学生という身分で行くのが自然だと思っている。住居は既に確保済みだ」
「分かりました」
日野優香、二十歳、高校卒業後はバイトしながらお金を貯めて渡米し、美容の専門学校へ通う学生。
初の潜入調査だ。黒崎椎名を出さないようにしないと。
「アメリカか…。暫く会えなくなりそうだね」
久々に会った優作は相変わらず隣にいて落ち着く。喧嘩してから連絡こそ取り合っていたものの、会うのはこれが実に数年ぶりだ。
「アメリカに行く機会はきっと私もあるが、他人のふりをした方が良さそうだね」
公安調査庁に入ったことは言っていない。が、「表立って優作の親友を語れなくなる」とは伝えた。勘の鋭い親友だ、それだけで悟ってくれた。
「正直こうして会えるのも、これからかなり厳しくなると思う。会えても黒崎椎名って名前じゃない可能性が高いかも」
「そうか…。なら、工藤優作のファンとして会うなら違和感ないくらい有名にならないとな」
小説家として既に有名な気がするが…まだ上を目指すか。
「『あなたの書く作品はコナン・ドイルを読んで以来の、興奮を覚えています』」
ぴしっとコーヒーを飲む手が固まる。優作は優雅に一口すすった。
「匿名で来たファンレターの一文だ。あれが作家になって初めてのファンレターだったな」
「へぇ、そうなんだ、ふぅん」
「とても嬉しかったから、直接聞いてみたいって思っているんだ」
分かって言っているな…私が出したやつだと……。
「さようでございますか」
「いつか、私が書いた小説を、私を背もたれにして読んでくれる、小説家になってできた私の夢の1つだ」
誰が、とは言わない。私と優作の間には言葉が足りない時がある。それだけお互いのことが分かっているということだろう。
「有希子も君に会いたがっていた。いつか家に顔を出してくれ」
「有希子さんとまたショッピング行きたいなぁ。あのセンスは見習いたい。新一は流石に私を覚えてないか、来年小学校だっけ」
「葬式以来会っていないからね。このままだと十年後には忘れていそうだな。偶に私から話をするときはあるが覚えて無いようだよ」
「どんな話してんだよ」
あれから優作から寛司さんの話は出ない。行方のつかめない父親、そして何かを知っていて隠そうとする親友、優作はいったいどんな気持ちなんだろう。
(これはエゴかもしれない。あとで優作に絶縁されるかもしれない)
タランチュアを捕獲したら全て話す。話す前に優作が何かを知ってしまうかもしれない。
(優作はちゃんと一歩引いた目で物事を見ることができる。きっと突っ走ったりしないはず)
お願いだから、私の知らないところで何もないでくれよ。
調査は順調に進んだ。というか、紀里谷さんたち公調からしたら「どうやってその情報手に入れられたんだ」というレベルで情報収集できている。大学生をしながら宗教にも入ることができた。ここは予想外だったらしい。暗い過去をチラつかせれば宗教なんざ簡単に引っかかる。想像していたような団体ではなく、どこかで共同生活をしながら意味の分からない儀式をするということは無かった。その代わり、明らかに怪しいことをしていた。
「日野さん、じゃあ今日はこれをお願いします」
「分かりました!人に幸せをあげられるなんて、ほんとステキですよね!」
白い包装紙に赤いリボンでラッピングされた箱。宗教内の活動の1つがプレゼント宅配だった。
(なぁにがプレゼント宅配だよ。中身は白い粉な癖に)
依頼者のふりをして受け取ったことがある。中身はしろぉい粉だった。依頼者のふりをした時もそうだし現在進行形でそうなのだが、黒崎椎名の顔で活動はしていない。変装はしている。
(化粧だけでだいぶ人って変わるよな)
ベルモットや有希子さんがするような変装ではなく、しっかり化粧して髪型を変えただけ。それだけでも鏡には黒崎椎名の面影はない。優作もきっと最初は気づかないだろうな。通う学校が美容だったことも幸いした。メイクやヘアアレンジも学んでいるのだ。
この宗教団体は私個人にも大きな情報を齎してくれた。宗教に関わる人間の中にタランチュアの足がいたのだ。芋づる式に3人ほど発見できた。12年前に壊滅したと警察側ですら思っている組織だ。口が緩くなったのかぽろっと教えてくれた。話の内容から、各国に足が残っている状態で、同じ国内の残党とは連絡は取れる状態だそうだ。しかし国を跨いでの連絡は難しく、取れるのはそういう組織や海外へ居てもおかしくない人間だという。
(それがFBIやCIA、ICPOってわけか。最悪なことにSISにもいるようだ)
会話の中で出てきたある人名はSISに所属する人間の名前だった。SISのメンバーリストはアラレナートで共有済みだ。勿論、そいつの話もアラレナートに報告済みだ。
タランチュアの捜索は当然本来の仕事に含まれない。表立って動けなかったが、約2年の歳月で十分情報は手に入れられた。学校を卒業して帰国する際、宗教に身を置いている日野優香は帰国後の住居を宗教から提供された。証拠も情報もあるがここはアメリカ。戻ってからもしばらくは日野として生きることになった。
アメリカで手に入れたのは、タランチュアや黒の組織を含めた犯罪組織の情報。そして、大学の友人に誘われて遊びに行った結果として狙撃技術も手に入れた。
日野の住居は元の住居より離れていた。そして公調のある場所からも少々離れている。宗教団体の拠点近くの美容院で働きつつ、宗教活動をする日々が続いた。勧誘活動が一番しんどかった。
(日野としての生活もやっと終わった)
そして一昨日が日野として生活する最後の日だった。立ち入り調査があったのだ。拠点から出てくる違法なモロモロから宗教団体は摘発された。幹部は逮捕され、入団被害者はカウンセラーがつく。暫くは書類と睨めっこになるだろう。今日はその前の休暇だ。潜入お疲れさん休暇。
本来住んでいる部屋に戻る。あまりここには来なかったから生活感は殆どなくなっていた。とりあえず掃除をして、空っぽの冷蔵庫にため息をつき買い物に出かける。
アレンジしていた髪はアレンジする必要がなくなったのでバッサリ切った。まだ冬だってのに切ってしまって正直後悔している。首筋寒い。
(マフラーほしいなぁ。流石にコートだけじゃ寒い)
さっむ、と思わず口を零す。吐息は白い。その時、後ろからこちらに向かって走ってくる足音が聞こえた。
「「椎名先輩!!!」」
「あ?」
振り返ると男性2人が襲い掛かって来た、ように見えた。こちらに伸ばす手を思わず掴み、勢いそのまま2人を投げ飛ばしてしまった。
「「いっ」」
金髪の彼は背中から、黒髪の彼は正面から地面に落ちる。ズシャァという音がしなかったから、黒髪の彼は顔を怪我する事態は逃れらえたようだ。
「うっわすげえ、あの降谷を投げ飛ばしたぞ」
2人が来た方向から新しく3人の男性が見えた。グラサンをかけた天パ気味の男性、興味津々に私をみる少し髪の長い男性、そして短髪で一番背の高い男性。
(誰だこの人ら)
「椎名先輩投げ飛ばすなんてひどいっす!久しぶりの再会なのに!」
「くっ…投げ飛ばされるなんて…悔しい…」
「…なんかごめん、思わず」
手を差し伸べ立ち上がらせる。
「久しぶりだね、降谷、諸伏。背のびたんじゃない?」
3年ぶりに会う後輩は、幼さよりも凛々しい顔つきになっていた。
「この人が降谷たちが言ってた先輩か」
「…2人の友達か」
「俺萩原って言います、えっと椎名先輩?」
「名前で呼ぶな萩原」
「なんで降谷が言うんだよ」
「どうも“椎名先輩”、俺松田です」
「伊達です、“椎名先輩”」
「おまえらあああ!」
ニヤニヤと椎名先輩を強調し自己紹介する3人に怒る降谷、それを笑う諸伏。しかし諸伏の目は笑っていない。
「先輩は俺らの先輩であってお前らの先輩じゃないだろ」
「景光の言うとおりだ!」
「いやどうでもいいわ」
呆れたように2人を見る。卒業以来連絡取っていなかったのにこれとは、予想外過ぎる。
やいのやいの言い合う5人。これは長丁場になりそうだ。寒さに身を震わす。お前ら暖かそうだな…。
(それにしても、道端でこう話しかけられるとは思わなかったな。彼らにも優作みたいに言っておいた方がいいのか?んーそれだとかえって怪しいよなぁ)
投げ飛ばした時に掴んだ腕から、降谷も諸伏も以前より筋肉がついていた。そして受け身の取り方がそういう指導を受けてきた人間だ。あの高校は体育の必修に剣道はあるが柔道は無い。手袋をしていない諸伏の手は独特のマメができている。あれは銃を握っていた手だ。他の4人も近いものが見える。だいぶ消えてはいるが。
(ってことはもう警察学校卒業したのか、この時期だし。降谷は高卒で警察に入ったのか…。諸伏も一緒だとはな)
「ここで話してるのもなんだし、早く降谷の家行こうぜ」
「そうだな、椎名先輩もどうです?鍋やろうって話してたんすよ」
松田に聞かれ悩む。着いていけばご飯作らなくていいな…。
「先輩くるなら俺サンドイッチ作りますよ」
「のった」
諸伏の作るサンドイッチは今まで食べた中でも一等美味しかった。あれがまた食べられるなら遠慮なくいく。
「先輩…ちょっと単純すぎ」
「降谷、お前に言われたくない」
微妙な顔をした降谷。潜入中は安心して食べられなかったんだ、暫く缶詰めになるだろうしいいだろ。