Reincarnation:凡人に成り損ねた

偶然の産物か、必然の結果か、

6

 たった一人が重要なデータを記憶していて、その一人が死んだときデータはどうなるのか。当然データも死ぬ。データを生かすには形にするか誰かに伝えるか。
「この話はSISにはしていません。赤井さん、あなただけに伝えました」
 アメリカで盗んだ薬の開発データの解析はとうに終わっていた。薬学のことは専門外で全く分からなかった。ということで一から調べていたら月日が経ってしまっていたのだ。
『ということは、この話は彼らにするなということか』
 調べたと言っても科学者には叶わない。何の薬かは分かったが作れるかと言ったら多分無理。
『細胞を一気に退行させ、その負荷で心臓を止める、か。とんだ毒薬だな』
「薬に触れたことのない人間が調べた程度なので、半分以上想像が入っています。化学反応でどう変わるかは全く分かりません」
 薬の名前は分からない。ただ、細胞を退行ということにあの薬が思い浮かぶ。
(アポトキシン、といったかあの薬は。この薬がアポトキシンに関わっていたら)
 考えすぎならいいが、何がどこで影響を及ぼすか分からない。優作に会ったこと、赤井さんと密かに連絡を取っていること、降谷に懐かれたこと、バタフライエフェクトはどれが原因になるか。
(幼少期の新一はほとんど記憶に残らないだろう。問題は降谷だ。原作は十数年後だが、高校時代の記憶って何気に残るんだよなぁ)
『で、その話を聞いたうえで俺はどうすればいい?』
 赤井さんがフーっと息を吐いた。ヘビースモーカーの彼のことだから煙草を吸っているのかもしれない。
「いや特に何も。私に何かあった時の保険かな?」
『そうならないよう気を付けてくれ。データはまだ持っているのか?』
「叩き割った」
『は?』
「物もってるの怖いしフロッピーディスクはそのうち廃れる。化石を持ってるのは興味をひちゃうし、かといってデータを移しかえていたらいつかどこかで流れるかもしれない」
『だから割ったと……中身は覚えているんだろうな…。はぁ、君の記憶力には脱帽だ』
 バッキバキに、文字通り叩き割って処分した。見つかっても修復は不可能だ。
『あれからタランチュアに関する情報は手に入れられていない。組織の方も、新しい情報はない』
「想像通りだな…。相変わらず裏で汚いことしているようだけど」
 そろそろ組織へのハッキングが厳しくなってきた。まだできなくはないが、技術の進化で時間がかかるようになった。
「ああそうだ、赤井さん、あなたの息子さん今アメリカにいるよ」
『何?日本にいるんじゃないのか』
「家族に生きていることは伝えていないんだよね?探してるんじゃない?」
 赤井さんの死を偽装はできなかった。赤井さんと組んでることをSISに知られるのは少々まずい。アデルも赤井さんも勿論私にとっても、アメリカは異国であって何かするには準備も時間もなかった。
『全く秀一は…』
「そこですぐ長男の名前出る辺り心当たりあるのね」
『あいつはそういうやつだからな』
「愛されてるねぇDad」
『娘もまだ幼いっていうのにあいつは』
 ぶつくさ言う赤井さんに心の中で思う、それ多分ブーメラン。


 この時期になると大学受験で空気は重い。特に来月控えるセンター試験に向け、友人たちはみな追い込み中だ。といっても進学校だけあって、推薦だの指定校だので半数以上が既に決まっている。空気に合わせて私も勉強はしているが必死ではない。進路の話はこちらからしていない。一応成績は良い方なのでみんな勝手に進学を想像してくれている。勿論そんなこと一言も言っていない。
 受験勉強でなく情報収集がひと段落着いたところで、冷蔵庫が空なのを思い出し買い物に出かけた。捻挫した足はしっかり治っている。東都はあまり雪が降らない。今日は曇天だった。
(…さっむ……)
 厳しい寒さの中、てけてけ歩いてスーパーを目指す。その途中で見覚えのある二人組を見つけた。降谷と諸伏だ。
「降谷君、諸伏君、元気に青春してる?」
「あ、先輩、ちわっす」
「こんにちは先輩。特にする青春もないです」
 二人とも今日は部活がないようで、二人で遊んでいたらしい。この二人って何して遊ぶんだろう…。
「もうすぐ受験っすね、先輩なら余裕そうだけど」
「今までノー勉で試験に挑んだことはこれでも一応ないよ」
「一応なんだ」
 時間はそろそろおやつの時間。丁度いい。
「可愛い可愛い後輩君たちへ、先輩が奢ってあげよう」
「マジすか!やった!」
 諸伏のそういう素直なところは好印象。降谷もなんだかんだ私への遠慮が無くなってきて、ありがとうございますとお礼を言った。


 少し歩いて喫茶店に入る。おやつの時間のわりにお客さんが少ない。この寒さだからそもそも外に出ないか。私がコーヒーを頼むと二人もそれに倣った。口が肥えているわけではないが、ここのコーヒーはあまりおいしくなかった。二人はブラックを一口飲むと顔を歪ませ、シロップと砂糖を入れた。
「先輩ブラック飲めるんすね…かっけー」
「君らもそのうち飲めるようになるさ。それにしても、このコーヒー微妙だな…」
 店員には聞こえないよう小さい声で言う。
「味の違い分かるんですか?」
「美味いコーヒーは誰が飲んだって美味いってわかるもんだよ。私は舌が肥えているわけじゃないけど、ここのコーヒーはちょっと薄いね。うーん、おいしいコーヒーの淹れ方極めてみようかな…」
「先輩の淹れるコーヒーか……」
「降谷君の方が淹れるの上手そうだよね。喫茶店でウェイターとか似合いそう」
 思い浮かぶは好青年のあのウェイター。あんなウェイターいたら喫茶店通うわな。
(なんだかんだ凝り性な降谷のことだし、めっちゃ上手いんだろうなぁ。ぶっちゃけ安室も沖矢も本性は知ってるけど、何で喫茶店にいたのかとかどういう経緯で大学院生やってるのか、詳しいこと知らないんだよな)
 前世でこの二人の知識はほとんど二次創作からくるものだ。だからどこまでが本当の情報か分からない。そういえば原作では諸伏の存在はなかったな。幼馴染とは言え、高校卒業したら離れ離れになるのだろう。降谷は公安の人間になるし、連絡も疎遠になるんだろうな。
「今のうちにしっかり遊ぶんだぞ」
「いきなり何言ってるんですk」
 キャアアアアアアア!!!
 響く悲鳴に二人は分かりやすくビクッとした。そんな二人を視界に入れつつ店の奥を見る。
(うっそだろぉ…探偵いないぞ、ここ。つかここから米花遠いんだけど……)
 事件の匂いに頭を回す。未来の私立探偵に任せるのは、ありか、なしか。


 事件吸引器だなんて揶揄される人間はこの場にはいない。私自身日本に戻ってきてから事件の遭遇はほとんどない。ある時は基本優作がいた。例によって警察がやってきて鑑識を始める。
(ちょっと待て、あの人、小田切警部じゃないか)
 10年近く前に見かけた警部は、当時よりも風格が出ている。今も現役で現場に来ているのか。目暮刑事も佐藤刑事もいないようだ。そういえば毛利小五郎はもう警察に入っているんだっけ。しかしやはりこの場にはいなかった。
 降谷も諸伏も死体は見ていない。しかし、殺人事件が起きたことに動揺は隠せていない。話を聞きに来た知らない刑事の問いにぎこちなく答えている。私も質問に答えながら店内を見る。殺されたのは常連の女性らしい。
「…すみません、トイレ、行きたいのですが…」
 顔を青くさせながらそういえば大抵の人間は勘違いしてくれる。顔色変えるのは無理だが、刑事の顔を恐る恐る見上げながら唇を少し噛めばそれっぽく見える。両手は服をぎゅっとつかんで、殺人事件に怯えて恐怖のあまり体調を崩したJK完成。そういえば、JKじゃん、あと数ヶ月で終わるけど。
「先輩、大丈夫、ですか?」
 自分たちも怖いだろうに気をかけてくれる二人は本当に優しい。
「うん、大丈夫、ごめんね」
 二人を騙すつもりはないけれど、ただでさえきっと二人の頭に私は残っているだろうに、これ以上変な印象を与えるものではない。警察のOKが出たので静かにトイレに向かう。トイレは店の奥の扉を開け、通路の突き当りに会った。店員も使いやすいようにだろう、通路には厨房への扉もあった。開けっ放しのおかげで中の様子をちらっと見ることができた。
(店内のトイレに行かせてもらえるってことは、現場はトイレじゃない、と)
 警察の中に女性がいないせいか分らんけど、付き添いは無かった。ガバガバだなぁ。前も思ったけど、これがコナンが動ける理由だろう。トイレに入りトイレの中をしっかり見る。普通に使っておかしくないところは素手で触りつつ、普通は触らないようなところはトイレットペーパーを利用して触る。もともとあった指紋が消えないといいんだが、そこまで強い力でこすっていないから大丈夫だろう。
(これ“グリーンレット置くだけ”か。コーヒーも微妙だったしトイレの清掃は雑だな。客が少ないのも納得できた気がする)
 タンクの蓋の隙間からグリーンレットの汚れが見える。蓋とタンクの汚れが“ずれていた”。指紋を付けないよう且つ汚れを落とさないよう慎重に蓋をあげてみた。
(はーい凶器はっけーん)
 タンクの中は赤く染まっており、中にナイフが見えた。この状態でトイレつかったら流れる水の色でバレそうなもんだけどな。あとで回収する予定だったとしたら、事件の後じっくりここに入って証拠を隠滅できる人間、店員が濃いな。
ナイフをそのままに音を立てないよう出て、店に戻ろうとして間違えた風に殺害現場を見に行く。現場はやはり厨房だった。店内から厨房は見えない。幸運なことに鑑識は私に気付いていないようだ。入口から気付かれないようそっと中を見る。死体は見えるところにあった。壁に背を預け俯く女性。胸から出血しているが、刺された部分の破けた服は見えた。近くには赤く染まった包丁が落ちている。
(刺し傷の大きさと包丁の大きさが一致していない。あの包丁はフェイク。包丁についている血も、後から塗ったような形跡が見える。そして被害者の手。刺された後胸に手を当てたんだろうな、その時についただろう血に変な線が入ってる。包丁の血は手についた血をつけたものか)
 態々凶器を誤魔化したということは、あの包丁を使った人間を犯人にしようとしたんだろう。死体の前、少し離れたところに滴った血が落ちたような跡がある。さらにその近くには、拭い去ったような血の跡がある。
(女性を正面から刺して、その女性が犯人の方に倒れた。大きな音を立てると誰かに気付かれるだろうから、そっと壁に女性を凭れさせて、ナイフを抜いた。ふむ、抜いた拍子に勢い余って尻餅ついたか手を床についたな。指紋を消すために拭い去ったってところだろうか)
 だとしたら犯人の服は汚れている可能性が高い。でもそんな状態で人前に出るわけがないから、一度着替えたはずだ。さらにその服を持ち続けているのは危険だから、まあ捨てるかもしくは隠すか。
殺害した後にトイレに凶器を隠し戻る。しかしこの営業中だって時間に態々殺人を起こした。ということは、今日殺すのに持って来いの理由があったということだ。
 鑑識にばれないうちに店に戻る。心配そうな顔をする後輩たちに大丈夫だと声をかけ座る。店内には客が5人、店員が2人。7人の表情、目の動き、呼吸、肩や手、足の動き、そして服装を見逃すことなくしっかり観察する。犯人が分かったところで後輩二人の頭を優しく撫でた。
「ちょっと、外に出ようか。寒いけれどここより空気は良いと思うよ」
 あまり顔色の良くない二人を気遣う。降谷はきっと将来的には死体を見る機会は多いだろう。この顔色の悪さは今のうちだけだろうな。
「小田切警部、すみません、外の空気吸ってきてもいいですか?“事情聴取はそこで受けますので”」
 向こうは私のことを覚えているか分からないが、向こうは今日まだ名乗っていない。その上での名指し、加えて先ほど事情聴取を受けたのにも関わらずまた受けると言う、小田切警部がこのことに違和感を抱いて着いてきてくれるかは正直賭けだ。訝し気に私を見る。
「……そうだな、外の空気を吸ってきたほうが多少落ち着くだろう」
 勝った。彼は私の元へ近寄り、私たちを外へ誘導した。
 外に出て店の前のベンチに二人を座らせる。本当なら二人の前で言うのは遠慮したいが、仕方ない。不安げに私を見る二人に安心させるよう笑みを向ける。優しく頭を撫で、小田切警部に向き合った。
「…もしかして君は10年前の遊園地の」
 凄い記憶力だ。私のことをあの一回で覚えていたらしい。
「覚えていてくださったようで、正直びっくりしています」
「空気の読めないお嬢さんだと思っていたが、あのおかげで犯人も捕まったからな」
 そんなこと思ってたのかこの人は。まあ仕方ないか。
「随分大きくなったな」
「まあ思い出話するほどの関係ではないと思うので、本題に行かせていただきます。犯人は岩田という店員です」
 小田切警部は目を細める。後ろから「えっ?」と諸伏が驚いた声を上げた。
「君の、推理を聞こうか」
「すみませんが推理ショーするつもりはないです。とりあえず、トイレのタンクに本当の凶器が隠されています。岩田さんの荷物漁れば証拠出てくると思いますよ。あと、まだごみ捨て言っていないのであれば、この店のごみを見てもあるかもしれないですね。岩田さんのズボンの裾にわずかながらに血痕が見えました。白い服なんで分かりやすい」
 人間観察で犯人を当てているところもあるので、推理に自信はない。事情聴取を聞いていれば理論立てて伝えられるが、聞いていないのでそれもできない。
(調べりゃ分かるような証拠を残して、寧ろなんで捕まらないと思ったんだ犯人は)
「あ、私が言ったとか言わないでくださいね」
「…まあいい。協力には、感謝しよう」
 小田切警部は店の中に入っていった。
「先輩…犯人分かったんですね…」
 振り返り二人の前にしゃがむ。外の空気を吸って先ほどより顔色が良くなったようだ。
 私はもう死体に対して感情を抱かなくなってしまった。そんなに死体を見ていないはずなのに。
(復讐で人殺しする人の気持ち、ちょっと分かるかもしれない。それ以外何も考えられなくなってるんだ)
 敵討ちをする、という意識は確かにある。かといって殺すまでは行かない。あの時は直ぐに犯人が捕まったからいいが、もし、もしも。
(あの人が死んだ原因となった人を見つけた時、私はどうするのだろうか)
「先輩?」
「……ああ、何でもない」
 店の中から犯人と思しき男の言い訳がかすかに聞こえる。言い訳、じゃない、殺人動機か。
 今にも降り出しそうな雲が空を覆っていた。


 漸く解放され二人を家まで送る。「俺たちが送ります!」という二人を説き伏せ送り届けた。諸伏の方が近かったので、今は降谷と二人っきりだ。
「先輩、あの時のって、フリだったんですか?」
 トイレに行った時のことだろう。心配してたら実は演技だっただなんて、気分は良くないよな。
「ごめんよ」
「いえ……先輩は、ほんと凄いですね…。あれは現場を見に行くための口実ですよね?警察も気付かなかったし、それに犯人も分かって…。でも他の人たちの話聞いていなかったですよね。証拠はあったかもしれないけれど、それでも確信できるんですか?」
 探り屋となる彼がどのように情報を収集するのか分からない。私の人間観察能力は、彼の役に立つような気がする。命を懸けて潜入しているんだ、生き延びる術は多いに越したことは無い。
「例えば、人は嘘を吐くと瞳孔が開く。喜ばしいことがあると無意識のうちに頬が緩んだり口角があがったりする。緊張で手が震えるなんてこともあるよね。そういうのを見て心理状態を推察してるってところかな」
「簡単に言いますね」
「殆ど勘なんだけどね。昔言われたんだ、気付かないうちにそうであるという証拠を見つけ、それが積み重なって答えが出るんだろうって。こう、人と話しててさ、『この人今こう思ってそうだ』とかそういうときない?そんな感じなんだよね」
 心理学なんて後付けだ、と笑う。正直自分でも偶に凄いなって思う。一度死を経験して、大切な人の死を目の当たりにして、またなにか身に着けてしまったのか。
「それって、辛くないですか?知りたくないこととか気付きたくないことも、感じちゃうってことですよね」
 あの子はあの子のこと嫌い、あの先生はあの生徒のこと嫌いだよね、喋らなくても普通の人は顔で全て語ってくれる。気分のいいものではないのは確かだ。
「自分に対してそういう感情が向けられないよう上手く接しているつもりだよ」
「……俺や景光も、その対象ですか?」
 降谷は私の前に回り込み視線を交わらせた。不安、悲しみ、心配、いろんな感情が混ざった目だ。
「俺たちは先輩にとって、気を遣わないといけない対象ですか?」
「気を遣ってるつもりはないけどなぁ。二人の好意、あ、敬愛の念かな、は十分伝わってるよ。ありがとうね」
「……そういうところですよ…」
 素直に返したのに何故か拗ねられてしまった。本当に気を遣ってるつもりはない。先輩としての見栄はあるかもしれないが。
 降谷はその後家に着くまで口を開かなかった。感情は分かってもそれが何によるものかまでは分からない。とりあえず私の態度が気に食わないのは分かる。
(そういえば優作は、私の口が悪くなったり容赦なく言うようになったりしたとき凄い喜んでたな)
 もしかして優作も感じていたのだろうか。仲いいと思ってたのに距離があるってあの時も言っていたな。うだうだしてても仕方ないか。
「…送ってくださりありがとうございました」
「降谷はどうしたい?」
「え?」
「降谷は、私とどうなりたい?どういう関係でいたい?私はもう卒業だ。会うのは難しくなるよ」
 数年後彼は公安に入る。そしたらきっと降谷から連絡を断ち切る可能性が高い。まあ今の降谷はそんなこと考えていないだろうから、今の降谷の考えが聞きたかった。
「俺は……、今の俺はまだ、全然、ダメだ。でもいつか先輩に頼られるような、違うそうじゃなくて……」
 前髪をぐしゃっとつかむ。言葉がまとまらないようだ。今すぐじゃなくてもいいか。センター試験が終わったら卒業式まで自由登校だ。ただでさえ学校で会う機会も少なくなっている。連絡先は知っているから連絡は取れるけど。
「難しいこと聞いたね。今日は疲れただろ?ゆっくり休みなよ」
 降谷の頭をポンポン撫でる。反応を待たず彼に背を向け帰路についた。


 曇天から降り出したのは雪ではなく雨だった。雨脚は強くないがずぶ濡れになるには十分な雨量。まるであの時のように、冬の雨。
(あー買い物行き損ねたなぁ。まだパンがあるから、胃に入るものはあるか)
 寒い。
(また風邪引いちゃうかなぁ。そしたら買い物どころじゃなくなるな)
 体温が徐々に失われていく。それはあの日のことを彷彿とさせる。
(なんか気が滅入ってるな。ここ最近タランチュアの情報全然手に入らなかったからかな。長期戦だって分かってるのに……。そもそもタランチュアの存在自体原作には出てこなかった。原作に出てこない組織なんていっぱいいるだろう。タランチュアもそれなのだろうか。しかし、黒の組織にもいるというなら、しかもFBIやCIAにも、あそこは組織にNOCがいる。タランチュアから情報が漏れる可能性も0じゃない)
 被りを振って嫌な予感を振り払う。もう原作がどうこう言っている場合じゃないのかもしれない。新一だってキャラクターじゃない、生きた人間だ。それでも“原作”というパワーワードは私の情報源の1つだ。
「椎名先輩!!」
 突然背後から呼ばれグイっと腕を掴まれた。視界に降谷の顔が映る。その後ろには曇天ではなく紺色が見えた。傘だ。
「うぉあっ降谷君?」
「…もう呼び捨て止めたんですか」
「えあ?」
「椎名先輩」
 降谷は先ほどの降谷とは違い、しっかりとした面持ちで私を見つめる。
「俺、先輩とは、ただの先輩後輩関係で終わりたくないです。じゃあどんな関係がいいんだって言われたら、うまく答えられないです。確かにこれから会うのは難しくなるかもしれない。でも、先輩とは定期的に話すような仲とか、お互い何してるか常に把握してるような仲とかそういうのじゃなくていいんです。会いたくなったり話したくなったりした時に気兼ねなく連絡取れるような、そんな関係になりたいです」
──凄い告白だね。まるでプロポーズを受けている気分だ──
 あの時の親友の言葉がよくわかる。これじゃまるでプロポーズだ。
「今の俺じゃまだ先輩の隣には立てないけど、いつか、絶対先輩のそばに堂々と立ちます。景光と一緒に」
「……ぶっ、はははは!!!」
 耐えきれず笑ってしまった。
「ちょっと!俺真剣なのに!」
「悪い悪い、降谷。いや、昔同じようなことを親友に言ってさ。言われるとこういう気持ちなんだって、今更知った」
 相変わらず腕は掴まれている。もしかしたらカップルに見えるかもしれない。そんな空気は微塵もないけど。
「じゃあ私も、降谷がいつまでも隣にいたいって思えるような人間であるよう頑張るよ」
「先輩はこれ以上凄くならなくていいです。俺が追い付けない」
 降谷はムスっとしながら言った。私は思わずまた笑った。


 結局降谷は私をマンションまで送り届けてくれた。面目ない。
 お礼を言い降谷の後姿を見送る。少し歩いて彼は振り返った。
「先輩!ちゃんとあったかくして寝てくださいね!風邪ひきますよ!」
「おー、ありがとう……降谷」
 生きろよ、絶対に死ぬな
「?すみません、雨で良く聞こえなかったです」
「いや、なんでもないよ」
 このまま立ってたら降谷は帰りづらいだろう。気遣いできる優しい子だから。
 気を付けて帰れよ、と声をかけマンションへ入っていった。

黒崎椎名
 親友がいない場で、小田切警部に会った最初で最後の事件。小田切警部はこの後昇進し現場へ出る機会が少なくなったのも理由の1つ。
 アラレナートの活動が思うように進んでなくて焦燥からちょっと情緒不安定。そしてこの事件で、自分がタランチュアに対して盲目的過ぎたと気付いた。
 親友とは喧嘩してから会っていない。仲直り(?)はしているので連絡は偶に取っている。
 以前親友に言ったことと同じことを後輩に言われる。当時言った自分と彼は同じ気持ちなのだろうか?それにしても言われる立場ってこんな気持ちなんだな。言われて凄く嬉しかった。
降谷零
 先輩大好き1号。今回の事件で先輩との距離を感じた。翌日幼馴染と会って「椎名先輩との関係が“ただの高校時代の後輩”で終わらないようにするためにはどうすればいいか」と真剣に話す。どうしてここまで先輩に執着しているのか自分でもよく分かっていない。ただ、雨の中ずぶ濡れの先輩を見て一人にしてはいけないような気がした。十数年後、この時の自分よくやったと過去の自分を褒める。
 先輩の親友が気になる。俺と同じことを先輩は親友に言った、その親友はどんな人物なのだ、気になって夜しか眠れない。
諸伏景光
 先輩大好き2号。先輩と一緒に幼馴染を弄っているときが一番楽しい。警察に証拠の話をする先輩が嫌に冷静なのが頭から離れない。翌日幼馴染からの相談に全力で乗る。いつか先輩が自分たちの前では油断してくれたらいいのにと思っている。幼馴染が完璧なのを知っているからこそ、先輩からも同じようなにおいがして不安。重荷に潰されなければいいが……。先輩が頼りにするならきっと幼馴染で、自分はサポートする立場だろうと思っていた。十年後、幼馴染より先に先輩からの信頼を実感することになる。
 先輩の親友という存在を幼馴染から聞き、あの先輩が親友という人間だと…?と悔しくなった。零、何かするなら俺も手伝うぞ。
小田切警部
 推理もなく犯人と証拠品の場所、そして証拠だけを伝えられた。ただ見つけたものを言っているだけかと思ったが、彼女の中では既に推理も組み立てられているのだろうと推測。トイレに行っていたのは知っていたが、誰にも気づかれずに現場を見て容疑者を見ていた事実に、彼女は敵に回してはいけないと強く誓う。これ以降事件関係で会うことは無かったが、プライベートで偶然再会し連絡先を交換した。これじゃ目暮のこと言えないなと思った。