Reincarnation:凡人に成り損ねた
今後のことはあまり考えていない
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花見の場所の近くには小さな商業施設があった。スーパーと雑貨と服屋の3店舗しかない小さな商業施設だ。徒歩5分のところにあるということで、ズボンを濡らした父と優作は買いに向かった。少ししてお手洗いに行くというかほりさんに私もと母が着いていった。即ち、寛司さんと二人っきりなのである。
(なんだこの図ったような、二人っきりは)
そういえば、トイレに行った二人はお茶でなくコーヒーを飲んでいた気がする。私もコーヒーが好きだが、まだ両親の前で飲んだことがないので飲めるとは思っていないのだろう。
(コーヒーは利尿作用あるって本で見たな…そしてそのコーヒーを注いでいたのは…寛司さんだ…考えすぎか?)
女性は集団で行動したがる。かほりさんもうちの母もその毛が強い気がする。特にかほりさんはどこかへ行くときは基本一人ではないそうだ。優作が「母の買い物に振り回される」と聞く回数は少なくない。私とかほりさんが面識会ったのもそれが要因の一つである。かほりさんならきっとトイレに行くと言った後私か母を一緒に連れて行こうとするだろう。先に母が手を挙げたので聞いては来なかったが。
(優作も、私がOK出した父さんを気にしていたんだよな。ズボンぬらしちゃって、今は向こうも二人っきり…二人っきり?)
もしかして優作は、父の本音を聞こうとしているのだろうか?「娘が言うなら」という傾向の強い父が、本当はどう思ってるのかここでしっかり聞いておこうとしている?
(どうやって二人っきりになろうとしたかは不明だけど…いやまてよ…)
かほりさんはトイレに行くとき、最初から私を見ていなかった。母を連れて行く気満々だった。ということは、意図的に二人きりにされた可能性がある。
(推測だけで判断するのは良くないけど…多分、これ勘だが……)
図ったように、じゃない、こうなることを図ったんだ。
卵焼きをひたすら食べながら頭を回す。その間寛司さんへ視線は一切向けていない。その寛司さんからは穴が開くほど見つめられている。下手すれば通報案件だ。
「……あの、何か…?」
耐えられず言葉を発する。寛司さんはふむと、来てから一度も入れていないコップにコーヒーを入れた。
「そう簡単にイギリスへ、しかも大学へ行くとは言えないと思うんだ。それでも合格すれば行く、と言ったということは、少なからず合格する見込みがあるということだね?」
「優作、君は合格すると思いますけど、大学」
いつも通り呼び捨てで呼ぼうとし、相手は父親だと思いなおしてとってつけたように君付けする。
「確かに、息子は優秀だ。きっと受かるだろう」
こちらを見る目は変わらず。瞳の奥から何も伺えない。
(心理戦とか苦手なんですけど、優作の父親だし、別にいいよね)
「私に、何が聞きたいのでしょうか?」
目を細められる。凄く探られてるのが分かる。ピリピリとした空気ではないが、居心地がいいとは到底言えない。このままだと喰われそうだと。
「何、イギリス留学について、本当のところどう思っているのかと聞きたくてね」
それともう一つ
「君のその怜悧な頭脳について、とか」
「私と君は今日が初対面だ。だというのに、どうやら君は私が“只者ではない”ということに気付いたね?君は、私の職業は何だと思う?」
話し方もコーヒーを飲む動作も長閑なものであるのに、私を逃さないようにする空気感は初めての体験だった。コナンに追いつめられる人間はこんな気持ちだったのだろうかと、現実逃避をした。
「私が君を見ていると君が気付いているように、君が私を気にしているのは分かっているよ。私からしたら君こそ不思議な存在だ」
敵意はないことは分かる。それでもこの空気は嫌だ。凄い追い詰められている気がする。醸し出す空気だけで人を追いつめられるって相当凄いぞ。
「……人には言えない危険な仕事をしている人、だと思っています」
「そう思う理由は?」
そう食い気味に突っ込まないでくれ。
「優作から両親の話を聞くことは何度かありました。その中で寛司さんについては『海外で働いていて家にはほとんど帰ってこれない』と言っていました。そして父の仕事を知らないと。あまり聞いてはいけないような雰囲気で具体的には聞いていないとも言っていました。家族に職業を言えないような職業、想像するに命の危険があるものだと思っています」
コナンの世界ってせいで、正直組織の人間か警察の人間か探偵かのどれかしか頭にない。ここはもう賭けで言ってみよう。
「例えば、ICPOの潜入捜査官とか」
瞬間、首を絞められたかのように息ができなくなった。何故目を合わせてしまったのかと後悔する。しかしそれは1秒に満たないほど一瞬。余韻が体を震わす。
「……っ、げほっ」
思わずむせ視線を逸らす。逃げたい、ここにいたくない。
「すまない、驚かした。ここまでとは思わなかったんだ」
どこかで似たようなセリフを聞いたことあるぞ。しかし余裕のない私は、咽る私の背を撫でようと伸ばした寛司さんの手にビクついた。
「げほっ、ん“ん”…すみません、えっと」
「落ち着いて、ほら、お茶飲んで」
言われるまま少しぬるくなったお茶をゆっくり飲む。ゆっくり深く深呼吸をする。少し心臓がバクバクしている。
「落ち着いたかい?」
「はい、なんとか」
「それで、どうして私がインターポールの潜入捜査官だと?」
「…命の危険があり家族にも言えない、で思いついたのが潜入捜査官だけでした。多分他にもいろいろあるんでしょうけど……。最終的には、勘です」
「勘?」
「はい」
先ほどより空気が和らいだこともあり、姿勢を正して寛司さんを見る。彼はきょとんとした後、大笑いしだした。
「はっはっはっは!!勘!そうか、私は君の勘で見抜かれたということか!これでは潜入捜査官として恥だな」
決して私をバカにしている風ではなく、おかしく笑う。
「きっと君ですら気付いていないうちに、君は私がそうであるという証拠を見つけたのだろう。それが積み重なってその答えが出たのだろうな。そうだ、私はインターポールの潜入捜査官だ」
いや、そんなぽろっと自分の職業言っちゃダメだろ潜入捜査官。というか当てちまったんか……こんな勘はいらんぞ。
「ここにいるってことは、潜入調査は終わったんですか?」
「ああ。もう潜入捜査をすることはないよ。でも、変わらず日本には留まれないかな」
潜入捜査をすることはない、ってことは前線から身を引いたのか。日本にとどまれないってことは本部の上層に入るのか?
「フランスですか?」
「本当に君は凄いね、そうだよ、フランスだ。イギリスとはユーロスターもあるしバスもフェリーも出てる。イギリス料理は不味いからね、ご飯だけフランスにおいでよ」
笑いながら言う寛司さんからは、もうあの二度と経験したくないような気配を感じない。
「優作君には言わなかったのに、なんで私に言ったんですか?」
「あの子が信じた子だ。私も信じたいと思ったんだよ。それに、君には“忠告”をしておこうと思って」
父も優作も、母二人も帰ってこない。結構時間が経っていると思うのだが、確認する術のない私にはどのくらい経ったかは分からない。
「君のその頭脳は、あまり世間に知らせるべきものじゃない。君は普段猫を被って生活してるようだから、その辺りは大丈夫だと思っているが……裏社会に君の存在が知れたら、厄介なことになる」
君にとっても、私にとっても。
「椎名君。君はその知性を、世の為、人の為に使ってほしい。決して闇に落ちてはいけないよ。私は君を捕まえたくない。優作の親友である君を、ね」
落ちたら最後、いつでも捕まえることができる。暗にそう言われていると分かった。だから“忠告”をしたのだ。
もとより変な面倒ごとに絡むつもりはない。しかし、どこでどうなるか分からない。
原作でもいたじゃないか。優秀な知能を持ったが故、両親の研究を引き継ぎ死の薬を手掛けた少女。幼くして人工知能を開発し、危うく多くの子供たちを殺すところだった少年。何よりも……恐ろしい推理力と好奇心で小さくなった名探偵。
ある意味元々持っていた頭脳に無駄についた諸々の、私からしたら特典のようなものたち。これはもう少し気を張ったほうがいいかもしれない。大学に入学したら天才少女として有名になる可能性は限りなく高い。イギリスという遠い異国の地だ、日本には伝わらない可能性もある。まだ現代はインターネット文化が根強く普及しているわけじゃない。ガラケーだしパソコンもまだ高価な類だ。
(この環境が居心地良すぎて忘れていた。私は、普通の人間じゃないんだった)
深く考え込む私の頭に、快活に笑いながらポンと手を置く。
「ま、優作のことは頼んだよ。私の自慢の息子だ。優作は君の味方だし、私にとって君は優作の強い味方なのだから」
頭に置かれた手は、何故か突然前世を思い出させた。それでもその時とは違う手の温かさに泣きそうになった。