Reincarnation:凡人に成り損ねた
今後のことはあまり考えていない
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よろしくといっても所詮社交辞令だと思っていた。流石にそんな頭を小学生が持っているか?と一瞬思ったが、相手はあの工藤優作である。油断はできない。
私たちが住んでいるマンションは、母の職場、即ち工藤優作が通う小学校から少し遠い。だからもう会うことはないだろうと踏んでいたのだが、一週間後にあっけなくその予想は崩れた。
「椎名ちゃん、こんにちは。一週間ぶりかな?」
工藤優作が現れた!何故だ!いつもいないだろう!
表情に出さず、知り合いのお兄ちゃんを見つけたかのように(実際一応そうなのだが)パッと顔を明るくさせ挨拶をする。
「こんにちは!」
「先生が、椎名ちゃんがよくここで本読んでるって教えてくれたんだけど……」
私が今読んでいるのは、シャーロック・ホームズシリーズの始まりである『緋色の研究』だ。短編集から読んでいこうかとも思ったが、確かコナンに『緋色シリーズ』と呼ばれる話があったなと思い頑張って読み始めてみた。緋色シリーズの内容は一切知らないから、これを読んだら何か分かるのだろうかというのもある。
左手で英和辞書、右手で英字の本を読んでいる5歳児は異様な光景だろう。今座っている席は図書館内でもかなり奥の方にあり、ほぼ人が来ない。だからこそここで読んでいる。
「まさか原作を読んでるとは……。びっくりしたよ」
工藤優作ってポーカーフェイスのイメージがあるんだけど、結構表情出るな。言葉遣いは年に似合わず大人びてるとは思うけど、やはり6年生なんだなと感じる。
(後のベストセラー作家も、今はただの小学生か。コナンとは違って、人より頭がいいだけで根本は子供っぽい節が見えるな。でも育ちはいい、所作が落ち着いている)
「わたしかっこいい?」
「はは、かっこいいよ」
にやけを抑えずうへへと笑う。工藤優作にかっこいいって思われた!やったぜ。
「あと半分くらいで終わるんだね、読み終わったら感想聞いてみたいな」
実は既に5回ほど読み終えている。しかし本は7回読んで初めて理解できるとかなんとかという話を聞き、英語だけでもすらすら読めるよう回数を重ねている。一冊簡単に読めれば残りもそこまで苦戦しないだろうという目論見だ。
「あんね、名前がね、よめないの」
「名前?」
「うん、えっと」
名前は本当に読めなかったのでこれ幸いと聞いてみる。ついでに知らないふりして難しいイディオムも聞いてみた。工藤優作ならどんな意訳をするのかと期待してである。
名前はスラスラ答えられたが、意外にもイディオムや英単語は分からないものがちょくちょくあるようだった。辞書貸してと言われペラペラめくってはこういう意味だよと教えてくれたのである。まさか態と知らないふりを?と観察しているが、本当に分からないようだった。
(優秀っちゃ優秀だけど、成長はこれからなのかな。既に十分なんだけど、これ以上伸びるとか)
自分が同じ年の時を想像すると遠い目にもなる。工藤優作はやはり秀でた人物なのだ。
工藤優作との付き合いは予想以上に長く深く続いた。予想外すぎる。彼が小学校を卒業し中学校に入ると、図書館でなく家にくるようになったのだ。そして家に来るときは必ず何かしら小説をもってきていた。
保育園に通っている私と小・中学生の工藤優作とでは自由時間に圧倒的な差がある。特に、私は年中さんの後半くらいから一人で帰って一人で図書館へ行っていた(保育園と家までの距離が近かった)ので、平日も図書館へ入り浸っていたのである。高校受験や大学受験時並みの集中力と本気を出して、ありとあらゆる本を読破していった。結果、私が小学校に上がるころには工藤優作が持ってくる本は全て読み終えている状態だった。
(既に読み終わってるとは流石に言わないけど。恐らく彼は友人こそ多いけれど、こういった小説を話せる人が周りにいないんだろうな)
工藤優作=推理小説というイメージが強いが、推理小説以外にも多様なジャンルの本をもってきていた。持ってくる本はだいたい原作であるため、工藤優作なりの解釈や訳を聞きたくて敢えて質問しながら読んでいた。
深く関わる気はなかったが、子供版工藤優作は思いの外良かった。
工藤新一は(イメージではあるが)、推理を見せびらかして凄いと言われたい性格だと思っている。だから結構お喋りだし、語りだしたら止まらない。興味が沸いたら後先考えず首を突っ込み、災いと化して小さくなった。対して工藤優作は、表情には出るものの直ぐに答えを言うわけではなかった。ただ、表情には出るのである。それに気づいてからは、工藤優作が表情を輝かせたポイントで質問するようにしてみた。嬉々として、それでも興奮しすぎないようこちらの表情を伺いながら語る姿に何かを思い出した。
(この感じ、そう、これは前世で散々体験した、あれだ)
萌え、だ。
ある日、工藤優作は本の代わりに映画のビデオを持ってきた。そう、この時代はまだビデオなのである。ブルーレイはおろか、DVDが出始めて間もないころである。録画もレンタルもまだビデオが主流だった。
「面白そうな映画を持ってきたんだ。一緒に見よう」
最近ようやくビデオ化したばかりの映画だった。タイトルは「自由への欺瞞」。連続で起きるバラバラ殺人事件を解き明かす推理ものだ。
「……R-18Gってかいてあるよ」
「借りたのは僕じゃなくてお父さんさ。僕はカバンに、この前録画したはずの“探偵ナイト”を持ってきたはずなんだけどな」
その顔は明らかに態と持ってきましたと言っていた。なるほど、子供向けミステリー番組の録画ビデオを持ってきたと思ったら、間違えてレンタルビデオを持ってきてしまった。でも折角だし見てみようと思って見た。ということにするようだ。別に見たからと言って捕まるわけではないが、万が一の言い訳か。万が一ってなんだよって話なんだけど。
映画の内容はなかなか残虐だった。舞台は中世ヨーロッパ。貴族の男の首なし死体が見つかる。そのあと発見される死体は体のパーツが必ずどこか欠けていた。右腕、左腕、右足、左足、胴体。貴族の男を含め6人が殺害された。犯人の動機は不明だが、殺害された6人はいずれも似たような体格をした成人男性だった。
主人公の刑事は証拠をかき集め犯人を突き止めた。犯人は、最初に殺された貴族の男の妻だった。しかし犯人を捕まえにいくと、女は既に首を吊って死んでいた。足元に置いてあった遺書には動機と欠けた体のパーツの在処が書かれていた。その貴族の男の理想的な女だという理由だけで結婚。男の理想にそぐわなければ罵られる日々。男への恨みと復讐から、女は自分も理想の男を作ってやると殺害計画をたて決行。それだけでも頭が狂っていると思うが、自殺した理由は完成した理想の夫に天国で会うためだという。欠けたパーツは燃やして海に捨てたとあった。
「なかなかスッキリしない終わり方だったね」
(やっぱ工藤優作は気づいたよな~。証拠集めの序盤辺りで、イスに深く座りなおしたし。あの辺りから真相気づいていたか。というかこの犯人の女凄いな。この人の演技と、舞台の道具がこの映画の完成度を握ってると言っても過言じゃない)
「最後に犯人が死んで終わる、こういうタイプの話はいつ見てもモヤモヤするよ」
「うぇっマジか」
思わず彼を見る。彼も驚いて私を見た。というか素が出た。
「椎名ちゃん、それはどういう反応?」
言葉のことを言っているのか、言葉遣いのことを言ってるのか、多分両方言ってる。
「……椎名ちゃんは、今の映画どう思った?」
「あー…」
真剣な瞳で私を見つめる工藤優作。
なんだかんだで、この世界で一番仲のいい友人かもしれない。話がしやすい相手であり、恐らく、可能なら、
(今後も仲良くしたい相手……。まさか工藤優作に対してそう思うとは……)
「この事件も、この物語自体も、そしてこの結末も、全てにおいて現代じゃ完結できないなって思った」
「現代じゃ完結できない?」
「私は、所謂自分の推理を人にひけらかすというか、そういうのは面倒くさいから好きじゃないです。だから」
「……だから?」
ええい、儘よ!
「是非謎解いてみてください」
少し驚きの表情を浮かべた工藤優作を、私も真剣に見つめる。
もしかしたら、今が、この世界で私がどうなるのかの分岐点かもしれない。
「…ふふっ、分かった。じゃあ解いたらご褒美が欲しいな」
「ご褒美?」
「まず僕を呼んでほしい。意図的なのか無意識なのか分からないけれど、椎名ちゃんは一度も僕を呼んだことがない。それと」
「まだあるんですか」
「その突然の敬語もなし、これまでの元気さとか健気さが嘘だったとは思えないけど、さっきみたいな本当の椎名ちゃんと話したいな」
私が名前で呼ばないことに気付いたらしい。確かに出会ってから一度も、コナンの言い方を真似るなら工藤さんとも工藤のお兄ちゃんとも、優作兄ちゃんとも呼んだことがない。想像するだけでなんか違う感が半端ない。呼ばなかったのは何と呼べばいいのか分からなかっただけなのだが。
「じゃあ早速」
彼はそういうと、リモコンを取りビデオを巻き戻した。
「って、ここで見るんですか」
「今の時間ならあと2回は見ることができる。僕は椎名ちゃんの見たものと同じものが見えなかった。2回で謎を解いて見せよう」
最初の告知や会社のロゴマークを飛ばし、彼は再度映画を見始めた。
スタッフロールが流れるのはこれで3回目。この映画はスタッフロールも後日談として映像が流れていた。その後日談の中にも、この物語の鍵がある。事件が終わったからとここを観ずに巻き戻すということはしないようなので、最後にもヒントがあるということは分かっているのかもしれない。しかし、映画が完全に終わり真っ暗な画面になっても、工藤優作は黙ったままだった。
(眉間に皺が寄っている。視線も若干下を向いてるし、考え事するときの癖が出てる。どうやら真相にはたどり着けていないみたいだな)
顎に手を添え考える姿は、遠い昔に見た絵と重なって見えた。このポーズはこの頃から身に着いていたのか。
「悔しいけれど、今日はこれで帰るよ。次に来るまでに必ず解いて見せる」
大して持ってきていない荷物を纏め、彼は玄関へ向かった。私も後を追う。
「それじゃあ次の土曜日に、また来るよ」
彼はそう言って私の家を出ていった。